「陛下」
赤マントは芝の上にひざまずき、主人に声をかけた。
「ゼーゲンか?」
「はっ」
ゼーゲン……この女の名前か? "鷲の帝国"の言葉で「祝福」という意味だ。たぶんマルムゼと同じく仮初の名だろう。
「お休みのところ失礼します」
「まったくだ。お前が槍でガンガン地面を叩くから目が冴えてしまったぞ」
「それは……申し訳ありません」
「ははっ、間に受けるな。冗談だ」
テラスにいる人物は、ゼーゲンをからかっていた。まるで機嫌が良い時の自分とマルムゼだ、アンナは苦笑しそうになるのをこらえる。
「で、この者たちか?」
「はい」
「やはり庭園の護衛をお前に任せて正解だった。ただの曲者ならともかく、サン・ジェルマンの使徒に対するのは、お前でなければ任せられない」
声の主は立ち上がり、芝生へ下りてきた。アンナとマルムゼもひざまずく。
「余は"鷲の帝国"皇帝、ゼフィリアスである」
ゼフィリアス2世。大国"鷲の帝国"に君臨する皇帝。
銀髪で柔和な顔立ちのこの青年は、卓越した政治家として知られており、さまざまな法律を作り、改め、国力を高めてきた。かつてエリーナも、彼の政策をモデルとした改革案を作成したことがある。
王の有り様としては、戦を好み武人的な行動で臣民の畏敬を得ていたアルディス3世とは真逆といえる。
「お前たちがサン・ジェルマンからの使いか?」
「このような形で拝謁することをお許しください皇帝陛下。私が今日こを訪ねたのは自らの意思。サン・ジェルマン伯爵の使いではございません」
「なんだと!?」
ゼーゲンが気色ばんで振り返る。
「馬鹿を申すな! ホムンクルスを連れておきながら伯爵と関係がないとは言わせんぞ!」
「サン・ジェルマン伯のことは確かに知っております。しかし私たちは今現在、かの大錬金術師との繋がりはございません」
むしろ、こっちが彼について知りたいくらいだ。マルムゼは何も教えてくれない。というより彼自身、アンナが考えているほど情報を持っていないのかもしれない。
そしてこの様子だと、皇帝やこのホムンクルスの女も同じなのかもしれない。
「そうか……伯爵が姿を消す前にいたのはこの国だ。この国を訪れれば、彼からの接触があると思ったのだがな……」
皇帝はそう言って、軽くため息をついた。
「では、お前たちは何ゆえ余の寝所に近づいた? サン・ジェルマンからの使者でないのなら、返答次第では見逃すわけにもいかないが……」
「それは……口で言うよりも、陛下に私の心を直接見せた方が早いかと」
「どう言うことだ?」
「失礼ながら、お手を取ってもよろしいでしょうか?」
「ならん!」
ゼーゲンが即座に拒否する。
「侵入者が陛下のお体に触れるなどもってのほか」
「いや、良い。何か考えがあるようだな」
「陛下!」
「大丈夫だ。お前がこのご婦人に槍を突きつけ、余に害を与えようとするなら即座に貫けば良い」
「それは……承知しました」
やや不服そうだが、ゼーゲンは皇帝の指示を受け入れた。傍に置かれた槍をつかみ、その穂先をアンナのこめかみに向ける。
「アンナ様……!」
「大丈夫よ、マルムゼ」
心配そうに自分を見つめてくるマルムゼに微笑み返した後、アンナは皇帝の顔を仰ぎ見た。
「では陛下」
「ああ」
皇帝はアンナの近くに歩み寄ると手を差し出した。近づいたことによって、ガス灯に照らされる彼の顔がはっきりと見える。
なるほど確かにご兄妹だ。皇帝の目元を見て、アンナはそんな事を思った。
「失礼します」
ゼフィリアス帝の手に触れると、アンナは異能を解放する。脳裏に思い描いた記憶を、彼に共有させた。
「これはっ!」
アンナが思い描き、皇帝に共有したのは、彼女の実質的な主君ともいうべき人物だ。
彼の実の妹にして、"百合の帝国"皇妃、マリアン=ルーヌ。
「このような力があるということは、貴女もホムンクルスというわけか」
「はい」
「今の私に見せたのはは……我が妹、マリアンだな?」
「その通りです。皇妃様の宮廷でのお姿とお声を私の記憶から呼び出し、陛下にお見せしました」
アンナは皇帝の手を離すと、うやうやしく頭を下げた。
「……まさか、それを見せるためにわざわざここにやってきたというのか?」
「はい」
「わからぬ。余と妹の面会は公式の日程に組み込まれている。寝所への侵入までしてなぜ妹の姿を見せたがる」
「公式に日程が組まれているからこそ、です。どうか陛下、今お見せした皇妃様のお姿をお忘れにならぬよう」
公式の日程で面会するのは、皇妃の影武者だ。そのことを事前にほのめかすために、アンナは今夜、危険を冒した。
これで影武者を見たこの皇帝は、アルディスやクロイスに不信感を抱くだろう。そうすれば"鷲の帝国"をアンナの味方につける事ができるかもしれない。
「そしてヴィスタネージュではどうか、ラルガ侯爵とお会いください」
「ラルガ? 以前、我が国に駐在武官として赴任していたラルガ侯爵か?」
「その席で、全てをお話しします。私が何者か、陛下に何を求めているかなどをすべて……」
「む……」
ゼフィリアスは短く唸り声をあげたまま動かない。
「陛下?」
ゼーゲンが主君の命令を待っていた。もし彼がアンナの提言を聞きれなければ、このホムンクルスの女は即座に槍を捻り、アンナの首を飛ばしてしまうだろう。
この身体を手に入れて以来、最大の勝負所だった。
「……あいわかった」
ゼフィリアス2世が右手で合図する。それを見たゼーゲンは槍の構えを解いた。
「正直、合点がいかないことも多いが、サン・ジェルマンを知る者が危険を冒してやってきたのだ。無下にもできまい」
「ありがとうございます!」
「それに余も、久しぶりにラルガに……あの老人に会いたいと思っていた。詳しい話はそこで聞くとしよう。貴女の名を聞いておいてもよいか?」
「はい……百合の帝国"貴族、グレアン伯爵にございます」
一瞬迷ったが、アンナは正直に自分の名を明かすことにした。ここではぐらかした所で、いずれバレる事だ。それなら先に名乗ってしまった方が相手の不信を買わずに済む。
「グレアン伯爵? そうか、あなたが噂の"百合の帝国"唯一の女性当主か。妹が世話になっているそうだな」
アンナの噂は国外にまで知れ渡っているようだ。しかも皇妃との関係も。あるいは、皇妃自身が手紙などで兄に伝えていたのかもしれない。
「まさか妹のそんな近くに、ホムンクルスがいるとはな。……これが歴史が加速するということなのか?」
「は?」
「いや、こちらの事だ。それではグレアン伯よ。もう目的は果たしたであろう。 我ら以外の者に見つかれば面倒だ。今宵は下がるが良い」
こうして"鷲の国"の皇帝との最初の邂逅は終わった。しかし、これはまだ準備段階に過ぎない。
「戻りましょう、マルムゼ。帝都へ」
「はい」
マルムゼは短く答えた。
赤マントは芝の上にひざまずき、主人に声をかけた。
「ゼーゲンか?」
「はっ」
ゼーゲン……この女の名前か? "鷲の帝国"の言葉で「祝福」という意味だ。たぶんマルムゼと同じく仮初の名だろう。
「お休みのところ失礼します」
「まったくだ。お前が槍でガンガン地面を叩くから目が冴えてしまったぞ」
「それは……申し訳ありません」
「ははっ、間に受けるな。冗談だ」
テラスにいる人物は、ゼーゲンをからかっていた。まるで機嫌が良い時の自分とマルムゼだ、アンナは苦笑しそうになるのをこらえる。
「で、この者たちか?」
「はい」
「やはり庭園の護衛をお前に任せて正解だった。ただの曲者ならともかく、サン・ジェルマンの使徒に対するのは、お前でなければ任せられない」
声の主は立ち上がり、芝生へ下りてきた。アンナとマルムゼもひざまずく。
「余は"鷲の帝国"皇帝、ゼフィリアスである」
ゼフィリアス2世。大国"鷲の帝国"に君臨する皇帝。
銀髪で柔和な顔立ちのこの青年は、卓越した政治家として知られており、さまざまな法律を作り、改め、国力を高めてきた。かつてエリーナも、彼の政策をモデルとした改革案を作成したことがある。
王の有り様としては、戦を好み武人的な行動で臣民の畏敬を得ていたアルディス3世とは真逆といえる。
「お前たちがサン・ジェルマンからの使いか?」
「このような形で拝謁することをお許しください皇帝陛下。私が今日こを訪ねたのは自らの意思。サン・ジェルマン伯爵の使いではございません」
「なんだと!?」
ゼーゲンが気色ばんで振り返る。
「馬鹿を申すな! ホムンクルスを連れておきながら伯爵と関係がないとは言わせんぞ!」
「サン・ジェルマン伯のことは確かに知っております。しかし私たちは今現在、かの大錬金術師との繋がりはございません」
むしろ、こっちが彼について知りたいくらいだ。マルムゼは何も教えてくれない。というより彼自身、アンナが考えているほど情報を持っていないのかもしれない。
そしてこの様子だと、皇帝やこのホムンクルスの女も同じなのかもしれない。
「そうか……伯爵が姿を消す前にいたのはこの国だ。この国を訪れれば、彼からの接触があると思ったのだがな……」
皇帝はそう言って、軽くため息をついた。
「では、お前たちは何ゆえ余の寝所に近づいた? サン・ジェルマンからの使者でないのなら、返答次第では見逃すわけにもいかないが……」
「それは……口で言うよりも、陛下に私の心を直接見せた方が早いかと」
「どう言うことだ?」
「失礼ながら、お手を取ってもよろしいでしょうか?」
「ならん!」
ゼーゲンが即座に拒否する。
「侵入者が陛下のお体に触れるなどもってのほか」
「いや、良い。何か考えがあるようだな」
「陛下!」
「大丈夫だ。お前がこのご婦人に槍を突きつけ、余に害を与えようとするなら即座に貫けば良い」
「それは……承知しました」
やや不服そうだが、ゼーゲンは皇帝の指示を受け入れた。傍に置かれた槍をつかみ、その穂先をアンナのこめかみに向ける。
「アンナ様……!」
「大丈夫よ、マルムゼ」
心配そうに自分を見つめてくるマルムゼに微笑み返した後、アンナは皇帝の顔を仰ぎ見た。
「では陛下」
「ああ」
皇帝はアンナの近くに歩み寄ると手を差し出した。近づいたことによって、ガス灯に照らされる彼の顔がはっきりと見える。
なるほど確かにご兄妹だ。皇帝の目元を見て、アンナはそんな事を思った。
「失礼します」
ゼフィリアス帝の手に触れると、アンナは異能を解放する。脳裏に思い描いた記憶を、彼に共有させた。
「これはっ!」
アンナが思い描き、皇帝に共有したのは、彼女の実質的な主君ともいうべき人物だ。
彼の実の妹にして、"百合の帝国"皇妃、マリアン=ルーヌ。
「このような力があるということは、貴女もホムンクルスというわけか」
「はい」
「今の私に見せたのはは……我が妹、マリアンだな?」
「その通りです。皇妃様の宮廷でのお姿とお声を私の記憶から呼び出し、陛下にお見せしました」
アンナは皇帝の手を離すと、うやうやしく頭を下げた。
「……まさか、それを見せるためにわざわざここにやってきたというのか?」
「はい」
「わからぬ。余と妹の面会は公式の日程に組み込まれている。寝所への侵入までしてなぜ妹の姿を見せたがる」
「公式に日程が組まれているからこそ、です。どうか陛下、今お見せした皇妃様のお姿をお忘れにならぬよう」
公式の日程で面会するのは、皇妃の影武者だ。そのことを事前にほのめかすために、アンナは今夜、危険を冒した。
これで影武者を見たこの皇帝は、アルディスやクロイスに不信感を抱くだろう。そうすれば"鷲の帝国"をアンナの味方につける事ができるかもしれない。
「そしてヴィスタネージュではどうか、ラルガ侯爵とお会いください」
「ラルガ? 以前、我が国に駐在武官として赴任していたラルガ侯爵か?」
「その席で、全てをお話しします。私が何者か、陛下に何を求めているかなどをすべて……」
「む……」
ゼフィリアスは短く唸り声をあげたまま動かない。
「陛下?」
ゼーゲンが主君の命令を待っていた。もし彼がアンナの提言を聞きれなければ、このホムンクルスの女は即座に槍を捻り、アンナの首を飛ばしてしまうだろう。
この身体を手に入れて以来、最大の勝負所だった。
「……あいわかった」
ゼフィリアス2世が右手で合図する。それを見たゼーゲンは槍の構えを解いた。
「正直、合点がいかないことも多いが、サン・ジェルマンを知る者が危険を冒してやってきたのだ。無下にもできまい」
「ありがとうございます!」
「それに余も、久しぶりにラルガに……あの老人に会いたいと思っていた。詳しい話はそこで聞くとしよう。貴女の名を聞いておいてもよいか?」
「はい……百合の帝国"貴族、グレアン伯爵にございます」
一瞬迷ったが、アンナは正直に自分の名を明かすことにした。ここではぐらかした所で、いずれバレる事だ。それなら先に名乗ってしまった方が相手の不信を買わずに済む。
「グレアン伯爵? そうか、あなたが噂の"百合の帝国"唯一の女性当主か。妹が世話になっているそうだな」
アンナの噂は国外にまで知れ渡っているようだ。しかも皇妃との関係も。あるいは、皇妃自身が手紙などで兄に伝えていたのかもしれない。
「まさか妹のそんな近くに、ホムンクルスがいるとはな。……これが歴史が加速するということなのか?」
「は?」
「いや、こちらの事だ。それではグレアン伯よ。もう目的は果たしたであろう。 我ら以外の者に見つかれば面倒だ。今宵は下がるが良い」
こうして"鷲の国"の皇帝との最初の邂逅は終わった。しかし、これはまだ準備段階に過ぎない。
「戻りましょう、マルムゼ。帝都へ」
「はい」
マルムゼは短く答えた。