「ふう……」

 マルムゼ眠るのを諦めて天井を見上げていた。ああは言ったものの、仮眠などできるものではない。
 ホムンクルスの肉体にも生理機能は備わっているようで、すぐ横に若い女性が身体を横たえているという事実が、マルムゼに緊張と興奮を与えている。

 一方でアンナは、すーすーと寝息を立てていた。同じベッドを共有することは、この人にとっては本当になんでもない事らしい。

(宮廷で、過剰な愛と憎悪に囲まれながら何年も暮らしてきた方だ。並の女性とは肝の座り方が違うということか)

 そんな事を考えたが、すぐに思い直す。

(いや、単に私が男と認識されていないだけかもな……)

 先ほど、アンナはマルムゼの事を「仲間」と呼んだ。その事自体は身に余る光栄だ。確かにそう思うのだが、同時に何か落胆のような感情も味わっていた。

(私は、この方にどう思われたいと思ったのだ……?)

 自分自身のことがわからない。
 わからないといえば、もうひとつマルムゼの心の奥にひっかかることがあった。

(何も語らない……か)

 アンナに指摘されて初めて自覚した。確かに自分は、この女主人に隠し事をしすぎている。
 必要になるまで異能のことは話さなかったし、アンナにもこの力が備わっていることを隠そうとさえした。
 サン・ジェルマン伯爵についてもそうだ。本来なら彼女が目覚めたその日に名前を出さなくてはいけないほどの情報だ。それをこの間までひた隠しにしていたのはどうしてだろう?

(この方をできる限り危険から遠ざけるため、そう考えていたが、果たしてそれは本当に私の意思か?)

 例えば、この肉体を用意したサン・ジェルマン伯が、なんらかの方法でマルムゼの意思を操っている。そんな気もしてくるのだ。

(我がもう一人の主人よ。あなたは今どこに?)

 彼は「フィルヴィーユ公爵夫人を救い、もう一人の主人とせよ」と言い残し、姿を消した。あれから3年以上経つが、伯爵は姿を見せるどころか、頼りひとつ送ってこない。

「うう……」
「アンナ様?」

 隣に眠る女主人が、うめき声をもらした。さっきまでの寝息とは一転して、苦しそうな声だ。

「さん……父さん……」

 寝言か。なにか酷い夢を見ているようだ。

「……ごめんなさい」

 アンナの目からひと雫の涙がこぼれ落ちる。演技ではない彼女の涙を、マルムゼは初めて見た。

(ああ、そうだ)

 一時は皇帝の愛を欲しいままにした寵姫、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた政治家、そして今の宮廷の破壊を目論む復讐者。
 それらよりも以前に、まずこの方は一人の女性なのだ。一人の人間なのだ。
 その生き方には全くの悔いがなかったはずがない。特に家族や故郷を政争に巻き込んだしまったことに対する思いはどれほどのことだろう。

「ごめんなさい……私が……死ぬべき……でした……」
「!?」

 考えるよりも先にマルムゼの身体が動いた。震える肩を掴み、それを止めるようにアンナに寄り添った。

(たとえ、この方に信用されていなくても構わない。私だけは何があっても、この方の味方でいよう)

 この想いはサン・ジェルマン伯に刷り込まれたものでは決してない。自分で導き出した結論だ。

 マルムゼは強くそう思った。