「あ、グレアン伯が参られましたわ」
「ご苦労様です。ペティア夫人のお小言は大変でしたでしょう?」

 東苑に着くと、すでに茶会は始まっていた。大地のケーキをお供に、おしゃべりに花が咲いていたようだ。

「アンナ、ありがとうございます。私のために」
「いえ皇妃様。ペティア夫人にはきちんとお話ししましたので、どうかお気になさらず」

 ルコットに絡まれたことは言わないでおこう、とアンナは思った。

「それで皆さん、何のお話を?」
「そうそう! ここに建てる新たなお屋敷について、盛り上がっていましたの!」
「ああ、そのお話でしたか」

 皇帝になりすましたマルムゼは、彼女に新たな館の建設を許可した。アンナはその時の様子を目の当たりにしている。
 あの日以来、マルムゼとの関係はどうもぎこちなくなってしまい、顔を合わせる機会も減ってしまった。彼の行動の真意も、未だ聞き出せていない。
 どのような手を使ったのか、あのときの彼の言葉は皇帝の正式な言葉となっており、この人造湖のほとりに皇妃のための館が作られることが正式に決定した。

「ささやかですがパーティールームも作ろうと思っていまして、室内の壁紙や調度品はアンナに任せようと思っています」

 皇妃は、嬉しそうに説明する。

「まぁ、伯爵が?」
「グレアン伯爵なら、きっと素晴らしい部屋を作ってくれましょう」
「今から楽しみですわ」
「大任ですが、皆様がお過ごしやすい場所、それに何より皇妃様のお気に入りの場所を作れるように頑張ります」

 アンナが一礼すると、拍手が巻き起こった。
 
 マルムゼの真意は不明だが、皇妃の館の建設はアンナにとって悪い話ではない。
 アンナは彼女たちの結束を強め、いずれ宮廷女官長ペティア夫人や、現寵姫ルコットたちに対抗できる勢力に育てようと考えている。この屋敷は、そのための拠点となるはずだ。

「それにしても皇妃様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「改まってどうしたのですエスリー夫人? あなたは私の大切な友人。この茶会にはいつもいらしてるではありませんか?」
「ええ。ですが最近、主人が私のことをかまってくれなくて、いい気晴らしになったなと思いまして」
「あら、子爵がですか?」

 アンナはエスリー夫人に問い返した。意外な愚痴だったからだ。

「あれほど、仲の良いご様子でしたのに、何かあったのですか?」

 エスリー夫人は、あのとき率先して大地のケーキを頬張った女性だ。彼女がいたからこそ、他の参加者たちもこの素朴な茶菓子を口にすることができた。
 彼女の母国は、"百合の帝国"と国境を接する小国"銀嶺の国"だ。エスリー子爵が大使として"銀嶺の国"に赴任した時に結婚したのだという。

「そういえば、最近お二人でいる姿を見ていませんわね」
「以前は夜会などでも、夫婦仲良くご参加していらしたのに……」
「まさか、喧嘩をなさったとか?」
「いえいえ、そういうわけじゃあありませんよ」

 エスリー夫人は、誤解を振り払うように両手をぱたつかせた。

「私と夫とは変わらずラブラブでしてよ!」
「まぁ!」
「私達の愛は何人にも妨げることなどできませんわ!」

 おどけた仕草と言葉遣いは、女性たちの笑い声を誘った。エスリー夫人はとても明るくサービス精神が旺盛な人だ。いつもこうして周りを笑わせ、和ませようとしてくれる。こういう人がいるだけで、雰囲気は明るくなるから、アンナにとっても得がたい人材といえる。

「ただあの方は近頃、忙しくて。皇帝陛下の御宿泊先の選定などがありますから……」
「陛下の?」
「あっ」

 夫人は口を目を大きく開いた。エスリー夫人はサービス精神旺盛で常に人を楽しませようとしてくれる、そしてついつい要らぬことまで口に出してしまう。要するにおしゃべりなのだ。

「ちっ、違いますのよ。陛下と言っても、この国ではなく"鷲の帝国"……」

 説明しようとして墓穴をほっていくエスリー夫人。

「"鷲の帝国"の皇帝陛下がなぜ出てくるのです?」
「ええーと、その、他言無用でお願いしますよ?」

 こうなってしまうと、この手の人間の口は止まらない。アンナも彼女のことは好きだが、彼女の前で重大な話をするのはやめようと、強く心に誓った。

「いま密かに進んでいる話なのですが、"鷲の帝国"ゼフィリアス2世陛下がこの"百合の帝国"に来ることになっていますの。私の故郷"銀嶺の国"は両国の中間にありますでしょう? それで元大使の夫が色々と調整をしているのです」

 そうだったのか。この手の話は、たいてい宮廷内の噂として広まった行くものだが、アンナも初めて聞く内容だった。
 それこそエスリー夫人のようなおしゃべりが当事者の近くにいてもなお、広まっていないとするとこの国の首脳部、つまり皇帝や宰相クロイス公はよほど慎重に事を進めているらしい。
 恐らくその理由は……今アンナの横にいる女性の存在があるからだろう。

「あちらの皇帝陛下が?」
「まぁ、それでしたら……」

 皆の視線が、その女性に集まる。皇妃マリアン=ルーヌは、"鷲の帝国"皇帝ゼフィリアス2世は実の妹だ。もし皇帝が来訪するのであれば、十数年ぶりの兄妹の再開ということになる。

「そうですね。私もその話は伺っております」

 そう応えるマリアン=ルーヌ皇妃の声は明るい。
 ……ように聞こえたが、アンナは一瞬のためらいが彼女の声音をほんの少し曇らせたのを聞き逃さなかった。

 * * *