「それは、おめでとうございます」
「気が早いわよマルムゼ。もちろん断りました」

 帰宅後、アンナの執務室。調査より戻ったマルムゼに、今日の出来事を語っている最中だった。

「残念ながら、今の皇妃に宮廷人事に口出し出来るような影響力はないもの」

 結婚後まもなく目を患い、長らく表に出てこなかった女性だ。
 今回だってグリージュス夫人がそそのかさなければ、お茶会の主催などやらなかっただろう。そんな人が、宮廷女官長を変えたいなどと言っても、誰も耳を貸しはしない。
 ただ推薦されたアンナ自身の立場が悪くなるだけだ。純真な皇妃様はそこに気がついていないようだが……。

「しかし、あなた様が女官長となれば、目標の達成は早まりますな」
「それはそうね。確かにあのポストには興味がある」

 女官長は、皇族の世話をする全ての者の頂点に立つ存在だ。ある意味ではヴィスタネージュの影の実力者であり、皇帝や皇妃の命運を左右することだって不可能ではない。
 けども、無理にペティア夫人に成り代わろうとしてはならない。
 彼女は中立を装っているが、下手に排除しよう動けば、クロイス派と結びつくだろう。もしそうなれば、新参者で立場の弱いアンナの方が追い落とされてしまう。

「今回のお茶会で、これはと思う女性が何人かいました。うまく味方につければ、皇妃派を立ち上げることができるかもしれない」
「なるほど。直接権力を奪うのではなく、クロイス派に対抗できる派閥を作ろうと?」
「まだ先の話ですけどもね。女官長の座に興味はあるけど、焦ってはいけないわ。そこについては、私にも少し考えがあるの」
「ほう?」

 マルムゼの目が一瞬、怪しく輝いたように見えた。その目を見ると、自分の鼓動が少しだけ強くなるのを感じる。
 どうやら私は、この男との悪巧みをするのを、事のほか楽しんでいるようだ。

「さて、この件に関しては後回しでも構わない。それより、あなたの報告を聞きましょう」
「かしこまりました」

 マルムゼは姿勢を正し。クロイス家が買い占めた皇帝の小麦(ファリーヌ・アンペルール)の行き先について報告を始めた。

「……なるほど。それにしても、まさかあそことはね」
「私も盲点でした。しかしこの帝都の近辺で大量の物資を隠すとなると、確かにあそこは絶好の場所です」
「わかりました。じゃあ、ここからは私達の番ね。グリージュス夫妻に自分たちのした事を後悔して頂きましょう」

 皇妃に恥をかかせるなんて馬鹿げたことのために、帝都市民の生活を脅かしたのだ。相応の報いは受けてしかるべきだ。

「マルムゼ、帝都軍事総監と話がしたい。手配していただけますか?」
「すでに準備を始めています。近日中に面会の場を設けましょう」
「ふふふっ! マルムゼ、あなた最高ね。私の望むことを私が望む以上の速さでやってくれる」
「あっ、ありがとうございます!」

 マルムゼの目が嬉しそうな光を帯びる、まるで愛玩犬が主人に褒められてはしゃぐ様子みたいだな,と思う。
 先ほどの怪しい輝きとは真逆。けど彼のこんな表情もまた、別種の高揚をアンナに与えるのだった。

 * * *