「さあ、他のお客様もいらっしゃいました」
本殿から次々と馬車がやってくる。
「皇妃陛下この度はお招きいただきありがとうございます」
「けど驚きましたわ。急に会場変更だなんて」
「それにこの服装。一体どういうことですの?」
「初めて開かれるお茶会にしては、冒険が過ぎませんかこと?」
慣れないながらも皇妃が一生懸命に誘った、有力貴族やの夫人や令嬢が続々と集まってくる。
そのほとんど全員が、皇妃の貸した腰の絞りがないドレスを着ていた。宮廷では普段着ない装いに戸惑い、皇妃の真意を掴みかねている様子だ。
「確かに慣れない格好ですが、皇妃様と同じお召し物を着せていただけるなんて嬉しいですわ!」
「私もです!それに東苑に入るのも初めてですので、少しわくわくしていますの」
女性たちの全員が、皇妃を不審の目で見ているわけではなさそうだった。中には意表をついた趣向に目を輝かせているものもいる。
彼女たちの名前と顔は覚えておこうとアンナは思った。貴族の慣習に縛られないものとして、今後なんらかの形で味方にできるかもしれない。
「それではみなさん、どうぞこちらへ。池のほとりに席を用意してます」
アンナは夫人たちを案内する。テーブルにはすでにお茶と菓子を用意していた。
「馬鹿な、菓子をどうやって準備して……」
思わずこぼれた独り言に気づいて、グリージュス夫人ははっとして口をつぐむ。
聞かなかったことにしてやろう、とアンナは思った。これほど迂闊に秘密を漏らすとは、目論見が外れて焦っている証だ。ならばこの女にできることは、もはや何もない。
「これは……」
貴族の女性たちはテーブルに並んだ見慣れぬ菓子に戸惑っていた。彼女たちが慣れ親しんだケーキやビスケットとは色も形状も異なったものだ。
「へ、陛下? これは……?」
「私からご説明しましょう」
そう言うと皆の視線がアンナに集中した。
「皆様、本日用意したのは"大地のケーキ"と呼ばれる帝都下町の菓子でございます」
「下町の……?」
貴婦人たちがざわつく。
大地のケーキは、下町の子どもたちが大好きな駄菓子だ。もちろん子供時代のエリーナも好きだった。
精製していない全粒粉に蕎麦やキビなどの雑穀や、糖蜜漬けの果物の皮などを混ぜて焼いた簡素な甘味。
もともと春の訪れとともに、冬に残った保存食を使い切るために作ったものが起源とされていて、この季節の風物詩でもある。
「そ、そんな下賤な食べ物を私達に食べさせようというのですか!?」
グリージュス夫人が金切り声を上げる。
「ええ、これが本日の趣向です」
眉ひとつ動かさずにアンナは答えた。
「何しろ、近頃お祝い続きでしたでしょう? 皇帝の小麦を使った贅沢なケーキは皆様食べ飽いてる頃かと思いましたので」
わざとらしくグリージュス夫人を見た。お前たちが高級菓子を買い占めるために、クロイス派貴族たちは、無駄な祝い事を繰り返してきたんだろう? という無言の問いかけと共に。
「折りしも本日は、このように暖かな陽気。帝都市民のようにピクニックに洒落込むのも一興かと思いましたの」
「なるほど……」
「確かに、たまにはこういうのも刺激的かもしれませんね」
物珍しさに物怖じしている人はまだ多いが、何人かは興味を抱いているようだ。
「まぁ、懐かしい!」
そんな中、声を上げたのはエスリー子爵夫人。隣国"銀嶺の国"から嫁いできた女性だ。
「私の故国にも似たようなお菓子があります。貴族も平民も皆好きな、故郷の味です」
「どうぞお召し上がり下さい。今、熱いお茶も入れさせます」
給餌が熱々のお茶を参加者たちのカップへ注いでいく。
「う~ん、これこれ! 帝国のお菓子はどれも美味しいですが、私はやっぱりこれが好きなんです」
山国である”銀嶺の国”は帝国よりも冬が厳しい。だから春の訪れを祝うこのケーキは、あの国の人々にとっては何よりの楽しみだったのかもしれない。
エスリー夫人が口いっぱいに茶色いケーキを頬張る様子を見て、他の皆も恐る恐る下賤な菓子を口へと運んでいく。
「まぁ」
「これは……」
「意外と、悪くないですわね」
反応は上々だ。
「全粒粉と雑穀を使っているので、大地のケーキはお腹に溜まりやすいです。ですから本日は皆さんにコルセットを外して頂きました。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
「なんと、服を着替えたのはそういうことだったのですね」
「皇妃陛下のお心遣い、誠に感謝いたしさます」
いいぞ、どんどんと風向きはこちらに変わってきている。
ただ一人、コルセットをはめた参加者だけが面白くなさそうな顔をしているが……。
「それに、この場所もとても素敵です。今日のようなゆったりとした会にはぴったりで」
参加者の女性の一人がそんな事を言ったときに、すかさずアンナは隣に座る皇妃の背中を軽く叩いた。
「そ、そうなんです! 私も最近知ったのですけども、この場所が気に入ったので皆様にも一緒に楽しんでほしいと思いまして……!」
皇妃は嬉しそうにそう話す。
「この花畑は、風がとても心地よいのです。それに聞こえてくる音や、花々の香りも……」
「皆さん、どうぞ目を閉じてみて下さい」
アンナは参加者たちに言う。
「目を……?」
「そう。皇妃陛下と同じように」
その一言で、誰もが真意を理解したようだ。貴婦人たちは目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
風が吹いた。木々がそれに揺られ、葉っぱが擦れてカサカサという音がする。更にどこかでは小鳥がさえずり、人造池の水面では水鳥が羽ばたきの音を立てる。
地面をかすめる一陣の風が、花々を花粉を巻き上げその香りがふんわりとその場にたゆたう。
人工的な美しさで固められた王宮の応接室とは真逆の美が、この場所には満ちている。彼女たちはそれを全身で感じ取っていた。
「なんと言いましょうか……とても落ち着きます」
「ええ。普段の気疲れから解き放たれるよう……」
「皇妃様は普段、こんなにも豊かな時間を過ごされていたのですね」
そんな言葉が出てきたのが、成功の証だった。グリージュス夫人の、そしてクロイス派の目論見は完全に失敗した。
盲目の皇妃による風変わりなお茶会は、大成功だった。
本殿から次々と馬車がやってくる。
「皇妃陛下この度はお招きいただきありがとうございます」
「けど驚きましたわ。急に会場変更だなんて」
「それにこの服装。一体どういうことですの?」
「初めて開かれるお茶会にしては、冒険が過ぎませんかこと?」
慣れないながらも皇妃が一生懸命に誘った、有力貴族やの夫人や令嬢が続々と集まってくる。
そのほとんど全員が、皇妃の貸した腰の絞りがないドレスを着ていた。宮廷では普段着ない装いに戸惑い、皇妃の真意を掴みかねている様子だ。
「確かに慣れない格好ですが、皇妃様と同じお召し物を着せていただけるなんて嬉しいですわ!」
「私もです!それに東苑に入るのも初めてですので、少しわくわくしていますの」
女性たちの全員が、皇妃を不審の目で見ているわけではなさそうだった。中には意表をついた趣向に目を輝かせているものもいる。
彼女たちの名前と顔は覚えておこうとアンナは思った。貴族の慣習に縛られないものとして、今後なんらかの形で味方にできるかもしれない。
「それではみなさん、どうぞこちらへ。池のほとりに席を用意してます」
アンナは夫人たちを案内する。テーブルにはすでにお茶と菓子を用意していた。
「馬鹿な、菓子をどうやって準備して……」
思わずこぼれた独り言に気づいて、グリージュス夫人ははっとして口をつぐむ。
聞かなかったことにしてやろう、とアンナは思った。これほど迂闊に秘密を漏らすとは、目論見が外れて焦っている証だ。ならばこの女にできることは、もはや何もない。
「これは……」
貴族の女性たちはテーブルに並んだ見慣れぬ菓子に戸惑っていた。彼女たちが慣れ親しんだケーキやビスケットとは色も形状も異なったものだ。
「へ、陛下? これは……?」
「私からご説明しましょう」
そう言うと皆の視線がアンナに集中した。
「皆様、本日用意したのは"大地のケーキ"と呼ばれる帝都下町の菓子でございます」
「下町の……?」
貴婦人たちがざわつく。
大地のケーキは、下町の子どもたちが大好きな駄菓子だ。もちろん子供時代のエリーナも好きだった。
精製していない全粒粉に蕎麦やキビなどの雑穀や、糖蜜漬けの果物の皮などを混ぜて焼いた簡素な甘味。
もともと春の訪れとともに、冬に残った保存食を使い切るために作ったものが起源とされていて、この季節の風物詩でもある。
「そ、そんな下賤な食べ物を私達に食べさせようというのですか!?」
グリージュス夫人が金切り声を上げる。
「ええ、これが本日の趣向です」
眉ひとつ動かさずにアンナは答えた。
「何しろ、近頃お祝い続きでしたでしょう? 皇帝の小麦を使った贅沢なケーキは皆様食べ飽いてる頃かと思いましたので」
わざとらしくグリージュス夫人を見た。お前たちが高級菓子を買い占めるために、クロイス派貴族たちは、無駄な祝い事を繰り返してきたんだろう? という無言の問いかけと共に。
「折りしも本日は、このように暖かな陽気。帝都市民のようにピクニックに洒落込むのも一興かと思いましたの」
「なるほど……」
「確かに、たまにはこういうのも刺激的かもしれませんね」
物珍しさに物怖じしている人はまだ多いが、何人かは興味を抱いているようだ。
「まぁ、懐かしい!」
そんな中、声を上げたのはエスリー子爵夫人。隣国"銀嶺の国"から嫁いできた女性だ。
「私の故国にも似たようなお菓子があります。貴族も平民も皆好きな、故郷の味です」
「どうぞお召し上がり下さい。今、熱いお茶も入れさせます」
給餌が熱々のお茶を参加者たちのカップへ注いでいく。
「う~ん、これこれ! 帝国のお菓子はどれも美味しいですが、私はやっぱりこれが好きなんです」
山国である”銀嶺の国”は帝国よりも冬が厳しい。だから春の訪れを祝うこのケーキは、あの国の人々にとっては何よりの楽しみだったのかもしれない。
エスリー夫人が口いっぱいに茶色いケーキを頬張る様子を見て、他の皆も恐る恐る下賤な菓子を口へと運んでいく。
「まぁ」
「これは……」
「意外と、悪くないですわね」
反応は上々だ。
「全粒粉と雑穀を使っているので、大地のケーキはお腹に溜まりやすいです。ですから本日は皆さんにコルセットを外して頂きました。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
「なんと、服を着替えたのはそういうことだったのですね」
「皇妃陛下のお心遣い、誠に感謝いたしさます」
いいぞ、どんどんと風向きはこちらに変わってきている。
ただ一人、コルセットをはめた参加者だけが面白くなさそうな顔をしているが……。
「それに、この場所もとても素敵です。今日のようなゆったりとした会にはぴったりで」
参加者の女性の一人がそんな事を言ったときに、すかさずアンナは隣に座る皇妃の背中を軽く叩いた。
「そ、そうなんです! 私も最近知ったのですけども、この場所が気に入ったので皆様にも一緒に楽しんでほしいと思いまして……!」
皇妃は嬉しそうにそう話す。
「この花畑は、風がとても心地よいのです。それに聞こえてくる音や、花々の香りも……」
「皆さん、どうぞ目を閉じてみて下さい」
アンナは参加者たちに言う。
「目を……?」
「そう。皇妃陛下と同じように」
その一言で、誰もが真意を理解したようだ。貴婦人たちは目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
風が吹いた。木々がそれに揺られ、葉っぱが擦れてカサカサという音がする。更にどこかでは小鳥がさえずり、人造池の水面では水鳥が羽ばたきの音を立てる。
地面をかすめる一陣の風が、花々を花粉を巻き上げその香りがふんわりとその場にたゆたう。
人工的な美しさで固められた王宮の応接室とは真逆の美が、この場所には満ちている。彼女たちはそれを全身で感じ取っていた。
「なんと言いましょうか……とても落ち着きます」
「ええ。普段の気疲れから解き放たれるよう……」
「皇妃様は普段、こんなにも豊かな時間を過ごされていたのですね」
そんな言葉が出てきたのが、成功の証だった。グリージュス夫人の、そしてクロイス派の目論見は完全に失敗した。
盲目の皇妃による風変わりなお茶会は、大成功だった。