新年の祝賀会は深夜まで及び、グレアン邸へ戻る時刻には、すでに東の空が白み始めていた。馬車から降りると、マルムゼが出迎える。

「宮廷デビュー、お疲れ様でした」
「あら、あなたの方が早かったのね」
「はい。未明の衛兵交代に紛れて戻ってまいりましたので」

 昨夜、ウィダスに説明した通りマルムゼには仕事を与えていた。アンナは彼を私室に通す。

「お休みになられなくてよろしいのですか?」
「久しぶりの宮廷で、気が昂ってます。少し話をした方が寝付きが良さそうなの」

 コルセットで固められたドレスを脱ぎ、くつろぎやすい部屋着に着替えると、お気に入りのソファへ体をうずめる。

「ウィダスがあなたのことを話していたわ。まるで、あなたに対する影響力がまだあるかのように」
「迷惑ですな。今、私が忠誠を誓うのはアンナ様、あなた様です」
「ありがとう。この8ヶ月、あなたは私に尽くしてくれている。感謝しています」

 アンナが言うと、マルムゼの口角がほんのわずかに持ち上がった。些細な変化だが、それだけでもマルムゼの喜びを察することができた。

「けど、あなたはエリーナ暗殺の現場を知っている人間。ウィダスはあなたを警戒しているのではなくて?」

 フィルヴィーユ公爵夫人暗殺は、皇帝にとって自身の身を危うくするスキャンダルになりかねない。
 ウィダスは、なぜマルムゼを犯行現場に連れて行ったのか?

「ご心配には及びません。ウィダスには、あの日私を連れていたという認識はないでしょうから」

 まるでアンナの心の中を読んだように、マルムゼは疑問の回答を用意してくれた。

「それは、例の認識迷彩の異能?」
「いかにも。あの日、彼は信頼のおける部下たちをともなっていましたが、彼の認識ではその中に私はおりません」
「つくづく、便利な力ね」
「使える場所は限られますがね」

 彼の術は一人一人に個別にかける必要がある。
 だから不特定多数の人間がいるような場所では、用いる事が難しい。しかし出会う人間が限られる状況では、真価を発揮する。

「で、その力を駆使した今回の任務はどうだったかしら?」
「成果は上々です。こちらをご覧ください」

 マルムゼは携えていた筒状の入れ物の中から一枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。
 ヴィスタネージュ大宮殿の見取り図。事前にマルムゼに与えていたものだ。

「教えていただいた隠し通路のうち、主だったものは今でも使用可能です。宮殿外への脱出路に、衛兵たちの隠し詰所、皇帝の間と寵姫の部屋を結ぶ直通路、ほとんどが今も変わりありません」

 ヴィスタネージュ大宮殿には無数の隠し通路がある。寵姫時代にアンナはそれを調べ尽くし、頭の中に入れていた。
 それが今でも使えるかを確認するというのが、今回マルムゼに与えていた任務だった。
 ほとんどの皇族と貴族が大広間に集まる祝賀会の最中なら、その他のエリアは人の目が少なくなる。マルムゼが動くには絶好のチャンスだったわけだ。

「ただ、錬金工房へ通じるという地下道のみはその痕跡すら残されていませんでした」
「やっぱり、そこは駄目か……」

 錬金工房は帝都の職人街にあったものの他に、王宮の東苑にも所在している。
 ここは皇族のプライベートな空間のため、その他の貴族たちが訪れるためには秘密の地下道を通る必要があった。
 錬金術を支配階級が独占するための措置だったが、その地下道も埋められたとなると、やはり帝国は錬金工房そのものを手放したということなのだろうか?

「わかりました。とりあえず錬金工房の件は置いておきましょう」

 その他の通路を握れただけでも、成果は大きい。
 隠し通路は皇族や寵姫の部屋、大臣たちの控室などに必ずひとつは用意されている。うまく使えば、宮廷のあらゆる情報を得ることが可能となる。それらが復讐に役立つことは疑いない。

「マルムゼ。今日私は、皇帝から参内の許可を得ました。これからは宮殿に行くことが多くなるでしょう。その時は必ず声にあなたを連れて行きます」
「そして、隙を見て隠し通路に忍びこめ、と?」
「あなたの力を使えば、衛兵を欺いて通路に忍び込むことは容易でしょう。問題はタイミングだけど……」

 マルムゼの能力は、大人数がいる場所と同じくらい、誰もいない空間でも使用が難しい。
 人がいるべきではない場所にいる。この認識を欺くには、相手にさらに深い術をかけなくてはいけない。そればかりか全くの不可能な場合もある。
 例えば、隠し通路を使って皇帝の私室に忍び込んだとしても、そこに皇帝本人がいればおしまいだ。皇帝にとっては、何人あろうと侵入者でしかないため、認識を書き変えることができない。

「皇族の一日のスケジュールさえ把握できれば鉢合わせの危険性は減ります。私の寵姫時代の記憶をもとに……」
「そのことなのですが、アンナ様」

 マルムゼがアンナの言葉を遮った。

「スケジュールの把握については私が知っていることもお役に立つかと」
「……どう言うこと?」
「ご存知の通り、私はホムンクルスです。どの錬金術師も魂の創造には成功していない以上、誰かの魂を受け継いでいるはずなのですが、その者の記憶を私は持っていません」
「そうだったの?」

 確かに、マルムゼは過去のことを全く話さない。アンナがエリーナ時代の記憶を持っているよう、この青年も以前の肉体の記憶を所有していると思っていたが、違うのか?
 
「で、それと隠し通路になんの関係が?」
「私にはわかるのです。皇族が一日にどのようなスケジュールで行動するか。起床や着替え、食事、執務、遊興……それらが行われる時刻と場所、さらに同席するものの顔をはっきりと自覚しています」
「と言うことはあなたは元皇族、あるいは彼らに近いところにいた、ということ?」
「わかりません。我が主人が、ホムンクルスに肉体になんらかの形で刻み込んだ記憶とも考えられます」

 マルムゼが、アンナの復讐を手伝うために命を吹き込まれた存在だとすれば、その仮説も成り立つ。

「いずれにせよ、私は王宮内の隠し通路がいつ使われ、その先の部屋がいつ無人になるのがいつなのか、つぶさに把握しております。これをアンナ様の記憶と照らし合わせれば……」
「何時にどの部屋が無人となり、どの通路に入ればいいか割り出せる」
「ええ」

 二人が持っている記憶は、二年以上昔のものだ。けど、宮廷とは本来保守的な場所だ。数百年続けられた皇族たちの日課がここで急激に変わることは考えづらい。
 二人が協力して割り出した宮廷のスケジュールは、かなり正確なものとなるだろう。
 
 * * *

 目論見は見事成功した。アンナとマルムゼの記憶を頼りに見つけ出した空白の時間。そこに、二人にとって最高の獲物が潜んでいたのだ。

「まさかこんなに早く、結果を出せるとはね」

 それは、新年祝賀会の翌週のことだった。貴族社会の慣例にならい、週に一度の皇帝謁見のためアンナはヴィスタネージュ宮殿に参内した。
 アンナの護衛としてついてきたマルムゼは異能を使って衛兵の目をかわし、隠し通路へ入った。そして寵姫ルコットの私室でそれを聞き出したのだ。

「皇妃様を廃妃に追い込めとは。いくらなんでも穏やかじゃないわ」

 皇妃様。つまり、皇帝アルディス3世の妻マリアン=ルーヌのことだ。同盟国である"鷲の帝国"の王女で、アルディス帝とは典型的な政略結婚だった。
 国と国の結びつきを担保するための、いわば人質だ。夫婦間の愛情なども芽生えてはいないだろう。
 それは彼の愛が、エリーナやルコットのような寵姫たちに向けられていることからも明らかだ。

「ルコットはあくまで戯れとして言っているようでしたが、聞いた方はそうは思わなかったでしょうね」
「あの女の考えそうなことよ。もし都合が悪くなった場合は、軽い冗談だった、で済ませればいい」

 間に受けた取り巻きが悪いのであって、自分や父上は関係ない。それがルコットのやり方だ。
 エリーナもかつてくだらない嫌がらせを受けた時、証拠を掴んでルコットを追求したことがある。その時も同じ手を使われ、首謀者である彼女の責任を問いただすことはできなかった。

「今年の目標として、皇妃にとりかえしのつかない恥をかかせる。そして精神的に痛ぶって、皇妃の責務を担うことができなくなるまで追い込む。そんな事を話していました」
「くっだらない……」

 アンナはため息を付いた。確かに皇妃と寵姫は、同じ男性を取り合うライバル関係と言えるかもしれない。
 しかし、立場も役割もまるで違うし、どちらも皇帝にとって必要な存在だ。
 当時のエリーナはそう思っていたし、だからこそ皇妃への必要以上の干渉は避けていた。
 まして嫌がらせをして廃妃に追い込むなど……どうも私の後釜の女は、相当幼い感性の持ち主らしい。

「で、それを間に受けた愚かな取り巻きというのは?」
「グリージュス公爵夫人。夫は帝都のインフラ整備の事業主で、クロイス公との結びつきも強い方です」
「ああ、あの女か。エリーナの審問会のときも夫婦揃って傍聴席にいたわね」

 あの日もルコットの隣の席に座っていた。
 黒髪でつり目気味の女。宮中でエリーナの顔を見るたびに、ひそひそとなにやら扇で口元を隠しながら、悪口を言っていた。
 平民上がりの娼婦だの、下賎な血だの、おおよそそんな事だったと思う。

「帝都インフラの事業主……ということは、職人街の再開発や劇場建設にも関わっている?」
「調べてみますが、ほぼ間違いなく関わっているでしょう」
「よし、決めました」

 アンナはパチンと手を叩いた。

「帝国の柱となる皇妃陛下に対する不逞な企みは、帝国貴族として看過できません」

 わざと芝居がかったセリフを吐く。もちろん、そんな事は微塵も考えていない。

「ここは皇妃様をお助けし、帝国に正義を取り戻しましょう」

 帝国に正義を取り戻す。あの審問の日に、貴族たちもこの言葉を吐いてエリーナを糾弾していた事を思い出した。

「はっ! ……して、それは具体的にはどういう事で?」

 マルムゼが意地悪く聞き返す。この青年も、アンナの腹黒さを理解してきたではないか。

「次はグリージュス夫妻を潰す。もちろんそういう事ですよ、マルムゼ」