「はああっ!?」

 皇族たちは一様に驚きと猜疑、嘲りと若干の怒りがこもった目でアルディスを見つめた。

「馬鹿なことを申すな下郎がっ……!」
「まぁ、そんな反応になるのは当たり前だな、レスクード」

 彼らからしてみれば、この黒髪の青年は顧問アンナの腹心でしかない。彼女と関わりの深いリアンはともかく、下の弟妹たちにとっては、顔すらきちんと覚えていないような人間なのだ。

「だが、そうだな……この話をすれば、俺が兄だとわかってくれるかな」
「は?」
「レスクード、お前が7歳の時だったか……。椿の間に飾られていた青磁の壺を割ったことがあったな。祖父アルディス1世がコレクションしていた東方大陸のものだ」
「え……」
「父帝陛下に見つかれば、折檻を受ける。そう思ったお前は、当時摂政だった俺の執務室に半ベソでやってきたんだった」
「な、な……」

 レスクードの顔がみるみる間に紅潮していく。

「それで、俺が密かに家財管理総監を呼んで、証拠をもみ消したんだったな。俺とお前の、最初の不正行為だ」
「そそ、それは……」
「兄上、まさか……」

 アロウスが、真っ赤になったひとつ上の兄の顔を覗き込む。レスクードは何も言わなかった。

「アロウス、お前は今でも女好きのようだが、昔から変わらんよな。よく、宮殿内で迷ったふりをして女官たちの部屋に……」
「わわわっ! その話は、私とアルディス兄上だけのっ……」

 レスクードと負けず劣らずの真っ赤な顔で、アロウスは手を大きくばたつかせた。その様子を眺めていた末妹クラーラは、中数秒後に訪れる自分の運命を予感し、冷や汗をかく。

「早熟といえば、クラーラは他の誰よりませていたな。お前は我が寵姫エリーナに……」
「大丈夫ですわ、アルディス兄様! 私は、兄様のことを信じます!」

 クラーラの反応は、見事なほど早かった。アルディスが何を言いかけたのか、アンナにとっては続きが気になるところではあるが……。

「そして、リアン……」

 最後にアルディスはリアンに向き直った。が、しばらく目を合わせたまま、口を開こうとしない。

「参ったな、お前とは秘密らいい秘密を共通していない」
「ははっ、確かに。子供の頃は、母もまだ宮廷暮らしに慣れておらず、どこか壁がありましたからな」
「大人になってからのお前は、どんな事も恥と思わず、公然と不祥事を重ねてきた。おかげで、何かについて口止めを求められた記憶がない」

 アルディスは苦笑する。

「宮廷では大人が眉を顰めるようなことを平然と行い、帝都では娼婦や革命思想家と交わり……どこまでも帝室の品位を貶めるお前には本当に手を焼いた」
「あなたが本当に、我が兄ならば……手を焼かせたことすまなく思っています」
「ははっ心にも無いこと言うな! お前が心底から俺を疎んでいたことは知っているぞ。何せ、エリーナに懸想していたくらいだからな」
「……ご存知でしたか」
「ご存じも何も、見てたらわかる。当然、エリーナも知っていたであろう」

 一瞬だけ、アルディスはアンナを見た。

「ならなぜ、私と彼女を引き離さなかったので?」
「それはまぁ、お前が本当に身で道を踏みはずすことなどないと思っていたからな」
「と、言いますと?」
「お前の原動力は常に怒りだった。恐らくは、長年義母上を苦しめた宮廷社会への反発……ヴィスタネージュに渦巻く空気そのものに対する怒りだ」
「だがその怒りを取り払えば、お前は清廉で聡明な……俺などよりもはるかに玉座にふさわしい男だ。少なくとも俺はそう思っていた。そんな人間が、兄の寵姫を寝とることなど考えられるか?」

 そう言った後、アルディスはニヤリと笑う。

「それに何より、エリーナが俺以外の男に転ぶとは到底思えなかったからな」

 それを聞いたリアンは思わず失笑する。

「なんだよ、そこまで言っといて最後はのろけかよ」
「それがお前に一番効く嫌がらせだろうからな」

 合わせてアルディスも笑った。

「まぁ、これで俺が何者か十分わかってであろう。他の諸君も、な……」

 アルディスは部屋を見回した。当然、頭で完璧に理解できているものはごく少数であろう。が、皇族たちの間で納得してしまっているのだから、異議のはさみようもない。いつの間にかそんな空気になってしまった。
 帝位にあった時から、アルディスはこう言う空気作りがうまかった。自信満々の語り口で、異論を唱える余地を奪ってしまうのだ。さらに怖いのは、こんな空気の中で、いつの間にか各々が抱えていた疑念や不満も萎んでいき、最後には彼に従うようになっているのだ。
 ある意味ではこれも王のカリスマ、と言えるのかもしれない。少なくとも、理詰めで物事を考え、相手の説得を試みるアンナが持ち得ない特性だった。

「で、皇帝アルディス3世が生きており、反ダ・フォーリス派を率いたとする。それで、賞賛はあるのですか兄上?」

 リアンは尋ねる。敵はリュディスの短剣に秘められた力を解放した。今、130年隠され続けた負の歴史を明かせば、ダ・フォーリスはこの国の帝座に着く大義名分を得られるだろう。
 一方、こちらは血筋を偽り130年民と諸外国を欺き続けた悪党たちだ。それでも、故アルディス3世が改革の理想に燃える名君であったならば、民を味方につけられる可能性もなくはない。が、アルディスがそんな理想的な君主であったのは即位から数年の間のみだ。今日、彼は政治と民を顧みず、クロイス公爵ら大貴族の専横を黙認し続けた暗君という評価がいっぱんてきといっていい。
 
 他ならぬアンナがそうしてきたのだ。アルディスの身に起きた悲劇を知らなかったとはいえ、彼を自らの復讐の対象とし、彼の名の下に行われた大貴族向けの政策を否定してきた。そうすることで、アンナは民の人気を手に入れたと言っていい。
 そんなアンナが、今更アルディスや他の偽りの皇族たちと結んだところで、竜討伐の英雄リュディス1世の大義を覆せるはずがない。

 ……が、アンナとアルディスにはそうはならないという確信があった。

「俺が前に出たとて、多くのものは信じまいよ。旗頭になるのはお前だ、リアン」
「私が? ご冗談を、私こそ大将なんて務まらないでしょうよ」
「いや、お前でなくてはならない」

 アルディスは広間にいる全員に言う。

「いまから俺とアンナが言うことは、絶対に他言無用だ。()()()が来るまでは」

 * * *