固く閉ざされた城門がほんの僅か開かれた。
ラルガはその隙間をくぐって外に出る。
「これは陛下……」
報告通り、そこには女帝が、僅かな供を引き連れて立っていた。フードを目深にかぶり、服装も最高君主とは思えぬほど簡素なものだが、間違いなくマリアン=ルーヌその人である。
「このような場所に、一体何用でございましょう?」
ラルガは彼女に跪いて尋ねる。
「お願いです。急ぎ、ヴィスタネージュへ戻って下さい。この愚かな混乱を収めるためにも」
「愚か、ですと?」
「私はあなた方が事件の黒幕などとは思っておりません。ハリウスはきっと何かを誤解されているのです!」
ハリウスとはダ・フォーリスのファーストネームだ。あの仮面の男は、女帝からその名で呼ばれるほど親密な関係にある。
「我らとて、もちろん釈明の機会があれば、誠意を持って応えたいと考えております。ですが、元帥閣下のお考えは恐らく違いましょう」
「私が何とかいたします! 行方知れずとなっているアンナも探し、皆が揃ったところで、落ち着いて話をしたいと、そう考えています」
「陛下……」
ラルガはちらりと、マリアン=ルーヌの顔を仰ぎ見た。この盲目の女帝はかつてないほどに青ざめた顔で、ラルガに懇願していた。
このようなお顔を見るのはいつぶりであろうか、とふと思う。
皇妃時代のマリアン=ルーヌは、どこか頼りなく、公式の場では常にグレアン侯アンナを頼り切りになっていた。あの頃は、よくこんな顔をしていたように思う。
が、2年前の政変で自らが帝位についたのを境に、弱気な表情を一切見せなくなった。
未熟ながらも人から学び、考え、自分ありの帝王学を確立させていく彼女に、ラルガも頼もしさを覚えていた。
この君主なら帝国は安泰だ、グレアン侯やボールロワ元帥とともに、このお方を補佐していこう。
そう思ったからこそ、老体に鞭を打って大臣職に望んできたと言っていい。
「女帝の名において、あなた方の安全は保証します。どうか、戻ってきて下さい!」
そんな女帝が、久方ぶりに弱気を見せている。それがラルガには衝撃だった。
「恐れながら、陛下にお尋ねしたき儀がございます」
「なんでしょう?」
「先日の襲撃が我らやグレアン侯の手によるものではない。陛下はそうお考えだと、受け取ってよろしいのですね?」
「もちろんです!」
そう即答する女帝の声には、悲痛さがにじみ出ていた。
「確かにここのところ、アンナとは上手くいってませんでした。でも、だからといって彼女が私を撃つなんてありえない。それも、自らがいない時に部下に任せてそんな事をしようなんて……」
後半に関しては、ラルガも同意だ。
アンナ・ディ・グレアンは類まれな策謀家だ。政局を一変させてしまうような思いがけないような鬼手を平然と打つことの出来る人物だ。しかし、その鬼手を彼女は必ず自分で行う。自分の不在時に賊を雇って行うような事は絶対にしない。どちらかといえば、それはかつての政敵クロイス公が好みそうな手段である。
クロイス公爵? もしや……。
「そこまでだ、陛下。いや、愛しのマリアン」
ラルガが何かの答えを得ようとしたその時、女帝の背後で声がした。彼女とラルガはほぼ同時にその方向を見る。
「戯れはそのくらいにして、宮廷へ戻るのだ」
仮面の男が立っていた。ダ・フォーリス。恐らくは今回の政変の首謀者。
「待って、ハリウス! 一度皆で冷静になって……」
「私はいつでも冷静だよ、マリアン」
その言葉にラルガが激昂する。
「無礼者が! 陛下と親しき仲とはいえ、その口の聞き方は何事だ!?」
他にも怒るべきところは多くあったが、何よりも看過できないのは女帝に対するその態度だった。恋人とはいえ許されるはずがない非礼。帝国貴族としてごくごく自然な怒りだった。
「無礼はそなたぞ! グレアン侯!!」
ダ・フォーリスがラルガ以上の怒声を返す。
「この者は我が愛人に過ぎん。真なる皇帝たる私のな!」
「何だと?」
乱心したか? そう思った。とてもまともな精神状態の者が発する言葉とは思えない。
「ど、どういうことですか……ハリウス?」
女帝が狼狽する。先程よりも一層うわずった、か弱い声だった。
「マリアン、もはや君にも隠す必要はないゆえ教えてやろう」
仮面から露出する口元が奇怪に歪んだ。
「100年前より変わらず、この国の帝座は我が一族のもの。そなたにも、あの簒奪者の子らにも渡した覚えはない!」
そう言いながらダ・フォーリスは仮面を外す。醜い戦傷があるとされていたその素顔にラルガは衝撃を隠すことができなかった。
「お前は! ウィダス……!?」
「え? ……え?」
盲目のマリアン=ルーヌは事態を飲み込めずにいる。
「フッ……その名も偽りのもの。真なる名はリュディス=オルス! 不当に貶められ、この仮面を付けて獄に繋がれた、正統なる皇帝の後継者だ!」
男は、外した仮面を掲げて高らかに言い放つ。
「といっても、信じぬであろう。だから、これよりその証をお見せする」
言うと、ダ・フォーリスでもウィダスでもないと主張する男は懐から一振りの短剣を取り出す。
「それは……リュディスの短剣?」
「これは軍権の象徴などではない。我が一族のみが扱える偉大なる魔法の刃なり!」
男はその切っ先に指先をあてる。赤い雫が、短剣の刀身を濡らす。
「我が血を持って、その力を示せ!」
リュディスの短剣がまばゆい光を発する。
「これは……!?」
同じだと、ラルガは思った。闘技場を襲い、200名の同志を一瞬で焼きはらった雷。それと同じ輝きが、短剣から発せられる。
「偽りの忠臣よ、さらばだ」
言うと男は短剣を振りかざす。同時に、ラルガと、その背後にあるズーリア砦はまばゆい光芒に飲み込まれていった。
ラルガはその隙間をくぐって外に出る。
「これは陛下……」
報告通り、そこには女帝が、僅かな供を引き連れて立っていた。フードを目深にかぶり、服装も最高君主とは思えぬほど簡素なものだが、間違いなくマリアン=ルーヌその人である。
「このような場所に、一体何用でございましょう?」
ラルガは彼女に跪いて尋ねる。
「お願いです。急ぎ、ヴィスタネージュへ戻って下さい。この愚かな混乱を収めるためにも」
「愚か、ですと?」
「私はあなた方が事件の黒幕などとは思っておりません。ハリウスはきっと何かを誤解されているのです!」
ハリウスとはダ・フォーリスのファーストネームだ。あの仮面の男は、女帝からその名で呼ばれるほど親密な関係にある。
「我らとて、もちろん釈明の機会があれば、誠意を持って応えたいと考えております。ですが、元帥閣下のお考えは恐らく違いましょう」
「私が何とかいたします! 行方知れずとなっているアンナも探し、皆が揃ったところで、落ち着いて話をしたいと、そう考えています」
「陛下……」
ラルガはちらりと、マリアン=ルーヌの顔を仰ぎ見た。この盲目の女帝はかつてないほどに青ざめた顔で、ラルガに懇願していた。
このようなお顔を見るのはいつぶりであろうか、とふと思う。
皇妃時代のマリアン=ルーヌは、どこか頼りなく、公式の場では常にグレアン侯アンナを頼り切りになっていた。あの頃は、よくこんな顔をしていたように思う。
が、2年前の政変で自らが帝位についたのを境に、弱気な表情を一切見せなくなった。
未熟ながらも人から学び、考え、自分ありの帝王学を確立させていく彼女に、ラルガも頼もしさを覚えていた。
この君主なら帝国は安泰だ、グレアン侯やボールロワ元帥とともに、このお方を補佐していこう。
そう思ったからこそ、老体に鞭を打って大臣職に望んできたと言っていい。
「女帝の名において、あなた方の安全は保証します。どうか、戻ってきて下さい!」
そんな女帝が、久方ぶりに弱気を見せている。それがラルガには衝撃だった。
「恐れながら、陛下にお尋ねしたき儀がございます」
「なんでしょう?」
「先日の襲撃が我らやグレアン侯の手によるものではない。陛下はそうお考えだと、受け取ってよろしいのですね?」
「もちろんです!」
そう即答する女帝の声には、悲痛さがにじみ出ていた。
「確かにここのところ、アンナとは上手くいってませんでした。でも、だからといって彼女が私を撃つなんてありえない。それも、自らがいない時に部下に任せてそんな事をしようなんて……」
後半に関しては、ラルガも同意だ。
アンナ・ディ・グレアンは類まれな策謀家だ。政局を一変させてしまうような思いがけないような鬼手を平然と打つことの出来る人物だ。しかし、その鬼手を彼女は必ず自分で行う。自分の不在時に賊を雇って行うような事は絶対にしない。どちらかといえば、それはかつての政敵クロイス公が好みそうな手段である。
クロイス公爵? もしや……。
「そこまでだ、陛下。いや、愛しのマリアン」
ラルガが何かの答えを得ようとしたその時、女帝の背後で声がした。彼女とラルガはほぼ同時にその方向を見る。
「戯れはそのくらいにして、宮廷へ戻るのだ」
仮面の男が立っていた。ダ・フォーリス。恐らくは今回の政変の首謀者。
「待って、ハリウス! 一度皆で冷静になって……」
「私はいつでも冷静だよ、マリアン」
その言葉にラルガが激昂する。
「無礼者が! 陛下と親しき仲とはいえ、その口の聞き方は何事だ!?」
他にも怒るべきところは多くあったが、何よりも看過できないのは女帝に対するその態度だった。恋人とはいえ許されるはずがない非礼。帝国貴族としてごくごく自然な怒りだった。
「無礼はそなたぞ! グレアン侯!!」
ダ・フォーリスがラルガ以上の怒声を返す。
「この者は我が愛人に過ぎん。真なる皇帝たる私のな!」
「何だと?」
乱心したか? そう思った。とてもまともな精神状態の者が発する言葉とは思えない。
「ど、どういうことですか……ハリウス?」
女帝が狼狽する。先程よりも一層うわずった、か弱い声だった。
「マリアン、もはや君にも隠す必要はないゆえ教えてやろう」
仮面から露出する口元が奇怪に歪んだ。
「100年前より変わらず、この国の帝座は我が一族のもの。そなたにも、あの簒奪者の子らにも渡した覚えはない!」
そう言いながらダ・フォーリスは仮面を外す。醜い戦傷があるとされていたその素顔にラルガは衝撃を隠すことができなかった。
「お前は! ウィダス……!?」
「え? ……え?」
盲目のマリアン=ルーヌは事態を飲み込めずにいる。
「フッ……その名も偽りのもの。真なる名はリュディス=オルス! 不当に貶められ、この仮面を付けて獄に繋がれた、正統なる皇帝の後継者だ!」
男は、外した仮面を掲げて高らかに言い放つ。
「といっても、信じぬであろう。だから、これよりその証をお見せする」
言うと、ダ・フォーリスでもウィダスでもないと主張する男は懐から一振りの短剣を取り出す。
「それは……リュディスの短剣?」
「これは軍権の象徴などではない。我が一族のみが扱える偉大なる魔法の刃なり!」
男はその切っ先に指先をあてる。赤い雫が、短剣の刀身を濡らす。
「我が血を持って、その力を示せ!」
リュディスの短剣がまばゆい光を発する。
「これは……!?」
同じだと、ラルガは思った。闘技場を襲い、200名の同志を一瞬で焼きはらった雷。それと同じ輝きが、短剣から発せられる。
「偽りの忠臣よ、さらばだ」
言うと男は短剣を振りかざす。同時に、ラルガと、その背後にあるズーリア砦はまばゆい光芒に飲み込まれていった。