ズーリア砦は、帝都から馬で半日ほどのところに位置する小城である。
 現在も使われている軍事施設ではない。400年ほど前に、帝都近郊に出没した賊を取り締まるために立てられたもので、200年前には既に廃城となっている。
 小高い丘の上でそれなりに見晴らしが良いため、貴族がピクニックで訪れるような、半ば観光地化した場所だった。

 そこに今、元法務大臣ラルガ侯爵と、その郎党60名ほどが立てこもっていた。

「顧問閣下の消息は未だつかめません。皇帝殿下も帝都を脱出された今、我らが頼みに出来る者はこの付近には……」
「我々がここにいることがわかるのも時間の問題です。いや既に、討伐隊が動いている可能性もありえます」

 ラルガ侯爵は、斥候から戻ってきた部下の報告を、いつもの険しい表情で聞いていた。
 
「投降。それしかないか……」

 侯爵が言うと、隣で息子がテーブルを強く叩いた。

「私は反対です! 奴らに捕まれば、父上は間違いなく処刑されます」

 分家を継がせてエイダー男爵となった次男は、有能な軍人だ。侯爵は、ラルガ家の差配は文人肌の長男に任せており、この次男と行動をともにすることが多かった。
 そしてそのために、この窮地に彼も巻き込んでしまった。

「そもそも、女帝陛下暗殺の嫌疑が我々にかかること自体がおかしい! あれは間違いなく、ダ・フォーリスの自作自演です!」

 いきり立つエイダーはそう続ける。

「だが、それを証明できる術を我らはもっていない……」

 顧問アンナが、反乱討伐軍に随行して帝都を発った2日後、女帝マリアン・ルーヌは帝都の視察に訪れた。
 女帝は即位後、頻繁に帝都を訪れる機会を設けており、これ自体は特別なことではなかった。むしろ、そうであったからこそ警護兵たちの心理にも隙が生じていたのかもしれない。

 帝都の市門をくぐり、市民たちの歓待を受けようとしたまさにその時、女帝の馬車が狙撃された。幸いにも銃弾が車体を貫通する事はなく、女帝の御身は無事であった。
 すぐさま不埒な反逆者を捕らえるべく、銃声のなった方角に兵士が殺到した。その指揮を取っていたのがエイダー男爵だった。

 歴戦の猛者であるエイダーをして、狙撃犯を捕らえることはできず、帝都には厳戒態勢が敷かれた。
 そんな中、ヴィスタネージュではダ・フォーリス率いる真珠の間グループによるクーデターが引き起こされた。
 彼らは、法務省の某官僚から押収したと主張する、女帝暗殺の計画書なるものを喧伝し、顧問派の閣僚や軍人を一斉に攻撃した。

『法の守護者たる法務省の中から暗殺計画書が見つかるとは一体どういうことか?』
『これはラルガ侯爵の責任問題である』
『エイダー男爵は実行犯を捕まえることに失敗したというが、裏でつながっているのではないか?』
『暗殺の黒幕は顧問派に違いない』

 このような暴論がほとんど一瞬で、ヴィスタネージュ中に広まり、顧問派おろしが始まる。
 それと同時に、ダ・フォーリスはボールロワ元帥から返還されたリュディスの短剣を受け取り、正式に"百合の帝国"の元帥となった。

 これらのダ・フォーリスの行動に疑念を持つラルガたち顧問派は、南苑にある球技場に集まり抗議行動を起こそうとした。だが、その時信じがたい天変地異が発生する。

「あの落雷は……一体何だったのでしょうか……?」

 エイダー男爵が苦々しげに言う。
 球技場に雷が落ち、一瞬で焼失したのだ。場内に詰めていた200名近い人々は一瞬で不可解な光に焼き払われた。残されたのは、場内で敵襲に備えていた兵士たちとそれを指揮していたラルが親子のみであった。

 すぐさまラルガたちはヴィスタネージュを捨て領地に戻ろうとしたが、帝都周辺に張り巡らされた警戒網をかいくぐることができず、この古い砦に身を寄せることになったのである。そして、親子の逃亡を根拠に顧問派は女帝の命を狙う危険勢力と断定された……。

 「侯爵閣下!!」

 城門で見張りをしていた家臣が血相を変えて走り込んできた。

「敵が来たか!?」

 彼の顔を見たエイダーが剣を手に立ち上がる。他の家臣たちもそれに続いた。皆、決死の形相である。

「い、いえ……それが……」

 が、見張りの報告はあまりに意外なものであった。

「陛下です……! 女帝陛下がお忍びで、この砦に行幸あそばされました!!」

 * * *