「このぉ!」
ゼーゲンが投げた槍は、正確にグリーナの腕を貫き、岩壁に縫い付けた。
それから少しの間、腕はびくびくと蠢いていたが、やがてぐったりと動かなくなった。
「父さん!」
アンナは血だまりに沈む父の元に駆け寄る。
大丈夫! 非死者である父が、これで死ぬはずがない!
……そう自らに言い聞かせながら。
「父さ……」
が、タフトの顔を覗き込んで絶句する。
わかってしまった。これは、死にゆく者の顔だ、と……。
「ずっと……不思議だった……」
「傷に障ります、喋らないでください!」
「なぜ、リュディス5世やルディがこの力を手放したのか……」
「父さん!」
「私には……長らくそれが……出来なかった」
「お願いです! 喋らないで!」
後ろから肩を叩かれた。振り返ると、アルディスが無言のまま首を横に振る。
「あ……」
この傷ではもはや助からない。ならば、好きなようにさせてやろう。アルディスは眼で語る。
アンナも頭では理解していることだった。
「私がついにそれを決意できたのは……全てが手遅れになった時だ。私の愚かさのせいで……未曾有の大乱が始まってしまう……それが避け得ぬとわかった時……私は……死に逃げようとした……」
タフトを救出した時、彼が塔から身を投げようとしていたことを思い出す。
そうか……。父はあの時すでに非死の力を放棄していたのだ。グリーナだって、それを知ってたから父の抹殺という手段を取ろうとしたのだろう。
なんでそんな単純なことを見落としていたのか。再開できた喜びと、長年の謎の解決にばかり思考が傾き、まるで気がまわっていなかった。
120歳を超える老体に一気にのしかかる負担はどれほどのものだったか? 一晩中の昔語りなどさせるべきではなかったのではないか? こんな無茶な逃避行に巻き込むべきではなかったのではないか?
「そんな顔をするな、エリーナ」
タフトはアンナを、自身の娘の名で呼んだ。
「私の死に、お前が責任を感じる必要はない……むしろ、その逆さ」
「逆……?」
「そうさ。この期に及んで私は、お前にとんでもない呪いをかけるのだからね……。つくづく、最低な父親だよ」
言いながら、タフトは手を伸ばしてきた。その震える指先を、アンナは手に取る。
「うっ!!」
瞬間、不可視の怒涛が、アンナの頭に流れ込んできた。
"感覚共有"だ。
タフトがこの百年に経験してきたあらゆる出来事と、彼が極めた錬金術に関する知識が、アンナ自身のものとして取り込まれていく。
「うう……」
とてつもない情報量にアンナの頭脳は飽和し、意識が飛びかける。かつて味わったことのないような激痛が頭を締め付け、猛烈な吐き気と耳鳴りがアンナを襲った。
「父さん……」
けど、この行為が何を意味しているか悟ったアンナは懸命に堪えた。
「はあっ……はあっ……」
しばらくすると情報の激流は緩やかになり、必要なものを全てアンナの知識となると、頭痛や吐き気もおさまった。
「これは……」
「あの世で"伯爵"に怒られるであろうな、自分の尻拭いを娘にさせるのだから」
タフトはそう言って微笑む。
「だが……託せるのはお前しかいない。どうか、この国を……いや大陸全土を戦乱の恐怖から解き放って欲しい」
「……確かにこれは、私でないとできませんね」
タフトの百年に及ぶ知識だけでは、それは成し得ない。
政略に長じ、あらゆる情勢を利用しながら自身の目的を達成してきた、不屈の策謀家アンナ・ディ・グレアンでなければ……。
「あの時、お前と再開できた奇跡に……感謝してもし足り……ない……」
「父さん?」
タフトの声が急速にしわがれていく。傷口から流れる血の量も増えた。知識の継承を終えたことで、タフトを最後まで支え続けていた何かが消えたのだろう。
「ああ……ヴェル……君のおかげ……か……」
虚になった父の眼には、アンナたちには見えない誰かが映っているようだった。
「君が……娘に……会わせて……ありがとう……」
傷口から流れる血は止まらない。百年間、父を蝕み続けたそれが、役目を終えて父の肉体から離れていく。そんなふうに、アンナには見えた。
「おかげで……死が……逃げではなくな……た。ルディのよう……に……き……ぼう……」
声はどんどん小さくなっていく。アンナはからの口元に耳を近づけた。
「なきがらは……ここにすて……かまわない……。くろかわ……ノート……ン・ジェルマ……む……ら……へ……」
それが最後の言葉となった。
「……ご遺言。確かに承りました」
父は……稀代の大錬金術師サン・ジエルマン伯爵は……百年の復讐鬼は……帝室の血に呪われた少年は、ようやくその生涯を終えた。
それからしばらく、誰も口を開かなかった。
アルディスやゼーゲン、シュルイーズはアンナが口を開くのを、いつまででも待つつもりだった。
洞窟の内外に横たわる骸から発散される血の匂いを嗅ぎつけ、森の中からハエがやってくる。
そのうちの一匹が、最奥にいるタフトの亡骸の元までやってきた頃、ようやくアンネは立ち上がった。
「……参りましょう」
決意を込めた声で言う。
「亡き父に代わり、私が終わらせます! リュディス=オルスを倒し、必ずや大乱を食い止めます!!」
ゼーゲンもシュルイーズも、皇帝の人格が蘇ったアルディスまでもが、アンナに敬礼の姿勢をとる。
悲壮の後継者は、洞窟の外へと歩み始めた。
「まずは、リアン大公の元へ……!」
アルディスの腹違いの弟にして、アンナの最大の味方。彼に合流しなければならなかった。
この時点で、アンナはタフトが死ぬまでにら誰にも打ち明けていない2つの秘密があった。
彼が、自らに封印を課し、リュディス=オルスにも悟られることのなかった秘密。
その2つこそが、全てに決着をつけるための鍵だと、アンナは確信していた。
ゼーゲンが投げた槍は、正確にグリーナの腕を貫き、岩壁に縫い付けた。
それから少しの間、腕はびくびくと蠢いていたが、やがてぐったりと動かなくなった。
「父さん!」
アンナは血だまりに沈む父の元に駆け寄る。
大丈夫! 非死者である父が、これで死ぬはずがない!
……そう自らに言い聞かせながら。
「父さ……」
が、タフトの顔を覗き込んで絶句する。
わかってしまった。これは、死にゆく者の顔だ、と……。
「ずっと……不思議だった……」
「傷に障ります、喋らないでください!」
「なぜ、リュディス5世やルディがこの力を手放したのか……」
「父さん!」
「私には……長らくそれが……出来なかった」
「お願いです! 喋らないで!」
後ろから肩を叩かれた。振り返ると、アルディスが無言のまま首を横に振る。
「あ……」
この傷ではもはや助からない。ならば、好きなようにさせてやろう。アルディスは眼で語る。
アンナも頭では理解していることだった。
「私がついにそれを決意できたのは……全てが手遅れになった時だ。私の愚かさのせいで……未曾有の大乱が始まってしまう……それが避け得ぬとわかった時……私は……死に逃げようとした……」
タフトを救出した時、彼が塔から身を投げようとしていたことを思い出す。
そうか……。父はあの時すでに非死の力を放棄していたのだ。グリーナだって、それを知ってたから父の抹殺という手段を取ろうとしたのだろう。
なんでそんな単純なことを見落としていたのか。再開できた喜びと、長年の謎の解決にばかり思考が傾き、まるで気がまわっていなかった。
120歳を超える老体に一気にのしかかる負担はどれほどのものだったか? 一晩中の昔語りなどさせるべきではなかったのではないか? こんな無茶な逃避行に巻き込むべきではなかったのではないか?
「そんな顔をするな、エリーナ」
タフトはアンナを、自身の娘の名で呼んだ。
「私の死に、お前が責任を感じる必要はない……むしろ、その逆さ」
「逆……?」
「そうさ。この期に及んで私は、お前にとんでもない呪いをかけるのだからね……。つくづく、最低な父親だよ」
言いながら、タフトは手を伸ばしてきた。その震える指先を、アンナは手に取る。
「うっ!!」
瞬間、不可視の怒涛が、アンナの頭に流れ込んできた。
"感覚共有"だ。
タフトがこの百年に経験してきたあらゆる出来事と、彼が極めた錬金術に関する知識が、アンナ自身のものとして取り込まれていく。
「うう……」
とてつもない情報量にアンナの頭脳は飽和し、意識が飛びかける。かつて味わったことのないような激痛が頭を締め付け、猛烈な吐き気と耳鳴りがアンナを襲った。
「父さん……」
けど、この行為が何を意味しているか悟ったアンナは懸命に堪えた。
「はあっ……はあっ……」
しばらくすると情報の激流は緩やかになり、必要なものを全てアンナの知識となると、頭痛や吐き気もおさまった。
「これは……」
「あの世で"伯爵"に怒られるであろうな、自分の尻拭いを娘にさせるのだから」
タフトはそう言って微笑む。
「だが……託せるのはお前しかいない。どうか、この国を……いや大陸全土を戦乱の恐怖から解き放って欲しい」
「……確かにこれは、私でないとできませんね」
タフトの百年に及ぶ知識だけでは、それは成し得ない。
政略に長じ、あらゆる情勢を利用しながら自身の目的を達成してきた、不屈の策謀家アンナ・ディ・グレアンでなければ……。
「あの時、お前と再開できた奇跡に……感謝してもし足り……ない……」
「父さん?」
タフトの声が急速にしわがれていく。傷口から流れる血の量も増えた。知識の継承を終えたことで、タフトを最後まで支え続けていた何かが消えたのだろう。
「ああ……ヴェル……君のおかげ……か……」
虚になった父の眼には、アンナたちには見えない誰かが映っているようだった。
「君が……娘に……会わせて……ありがとう……」
傷口から流れる血は止まらない。百年間、父を蝕み続けたそれが、役目を終えて父の肉体から離れていく。そんなふうに、アンナには見えた。
「おかげで……死が……逃げではなくな……た。ルディのよう……に……き……ぼう……」
声はどんどん小さくなっていく。アンナはからの口元に耳を近づけた。
「なきがらは……ここにすて……かまわない……。くろかわ……ノート……ン・ジェルマ……む……ら……へ……」
それが最後の言葉となった。
「……ご遺言。確かに承りました」
父は……稀代の大錬金術師サン・ジエルマン伯爵は……百年の復讐鬼は……帝室の血に呪われた少年は、ようやくその生涯を終えた。
それからしばらく、誰も口を開かなかった。
アルディスやゼーゲン、シュルイーズはアンナが口を開くのを、いつまででも待つつもりだった。
洞窟の内外に横たわる骸から発散される血の匂いを嗅ぎつけ、森の中からハエがやってくる。
そのうちの一匹が、最奥にいるタフトの亡骸の元までやってきた頃、ようやくアンネは立ち上がった。
「……参りましょう」
決意を込めた声で言う。
「亡き父に代わり、私が終わらせます! リュディス=オルスを倒し、必ずや大乱を食い止めます!!」
ゼーゲンもシュルイーズも、皇帝の人格が蘇ったアルディスまでもが、アンナに敬礼の姿勢をとる。
悲壮の後継者は、洞窟の外へと歩み始めた。
「まずは、リアン大公の元へ……!」
アルディスの腹違いの弟にして、アンナの最大の味方。彼に合流しなければならなかった。
この時点で、アンナはタフトが死ぬまでにら誰にも打ち明けていない2つの秘密があった。
彼が、自らに封印を課し、リュディス=オルスにも悟られることのなかった秘密。
その2つこそが、全てに決着をつけるための鍵だと、アンナは確信していた。