「父さん!」

 アンナは反射的に、タフトをかばうように一歩前へ踏み出た。襲撃者の第2撃が来る。父、それにマルムゼの棺を守る為にも前へ出るしかない。

「ああああああああ!」

 渾身の叫びを上げながら、剣を振りかぶる女にぶつかる。
 女? そう、女だ。長いブロンドの髪、ルビーのような真紅の瞳。その顔をアンナはよく知っている。毎朝毎夜、鏡を覗くとそこにいる姿だ。

「ポルトレイエ伯爵夫人……ですね?」

 相手は体当たりで崩しかけた姿勢を立て直し、すでに剣を構え直していた。

「本当に頭の回転がお早いのね。すぐにその名で呼んでくるなんて」

 女は驚きながらも、その驚き自体を楽しむような声で言った。

「父の話を聞き、あなたの正体がわかっていましたので……」

 宮廷女官長ポルトレイエ伯爵夫人グリーナ。ダ・フォーリスとともに、女帝の寵愛を独占し宮廷の中心人物となっている女性。今、目の前に立つのは、当然アンナの知る夫人の姿ではない。
 が、"認識変換"の異能が存在する以上、自分の記憶や目に見えるものが真実だという保証はどこにもない。そればかりか、彼女はこの異能を使ってずっとアンナのすぐそばにいたのだ。彼女に服装には見覚えがある。戦場視察のために連れてきた官僚のひとり、ビュリー男爵が着ていたものだ。

「あなたの持つ異能は"憑依"でしたね……?」
「異能? 魔法と呼んでほしいわ。私の血が備えてい高貴なる力。あなた方の模造品と一緒にしないでほしいわ」

 グリーナは忌々しげに言う。

「この肉体に持ち越すことができた力はそれだけ。けどその成功があったからこそ、あなた方も我々の真似っこができるのよ。感謝なさい」

 リュディス=オルスの妹グリーナは、最初のホムンクルスの成功例だ。"憑依"の魔法を利用し、魂の移植が成功させたことがきっかけとなり、父はホムンクルス生成の技術を確立させた。

「その"憑依"の力を使い、ビュリー男爵の肉体を奪った……いいえ、違うわね。恐らく、空っぽのホムンクルス体を用意しておき、帝都を発つ前に私たちの認識を書き換えていたのでしょう?」
「ご明察」
「本物の男爵は?」
「さぁ? 今頃帝都のゴミ捨て場にでも打ち捨てられているんじゃないかしら?」

 こともなげにそう語るグリーナに嫌悪感を覚える。彼は財務に長けた有能な人物だった。こんな形で失ってしまうとは……。

「この数日いろいろな事があったけど、どうしてここまで私たちを泳がせていたのかしら?」

 単に自分の妨害をするだけならいくらでも機会はあったはずだ。父と自分の接触を望まぬのであれば、気球でサン・オージュに帰還した直後に彼を奪還なり暗殺なりすべきだった。いや、アンナが帝都を発った時点で、側にいたのなら古城へ向かう事自体をいくらでも妨害できたはずだ。
 なのに、アンナへの討伐令が出され、こうして逃亡している最中に事を起こすとは、一体どう言うつもりなのか?

「様子を見ていたのよ」
「様子?」
「兄はそこの男から賢者の石の情報を欲しがっていた。けど記憶を封印などという小賢しい真似をしてくれたおかげで尋問もままならない……だから、あなたと接触することで何らかの情報を漏らすんじゃないかと、期待した」

 そこまで話すと、グリーナは小さくため息をつく。

「けど情報よりも先に現物が出てきてしまった。それをあなたの手に渡すわけにはいかない。だから、目的を抹殺に切り替えたわけ」

 アンナはグリーナと対峙しながらも周囲に意識を巡らす。当の抹殺対象である父はまだ息がある。非死の力を持つ彼への斬撃は致命傷にはならなかった。
 だが、非死と不死は違う。タフトは死という生命の結末から完全に無縁となったわけではない。だからこそこの女も抹殺という手段を取ったのだ。
 あの傷が悪化しないよう、早めに処置しなければ。
 洞窟内にいる他の者たちは……?ビュリー男爵とともにいた官僚たちはいずれも横たわり微動だにしていない。恐らくは誰も生きてはおるまい。
 シュルイーズや助手の錬金術師たちは? この位置からだと分かりにくいが、この騒ぎに反応がないと言うことは、官僚たちと同じ運命を辿ってしまったか?
 そして、入り口近くにいるはずのゼーゲンや兵士たちはどうしている? 彼女たちが、この女に一方的にやられてしまうとは考えづらいが……。

 いずれにしても今の状況の中に、アンナにとって有利な要素は何ひとつない。絶体絶命の状況だ。

「と、話しすぎたわね。あまりのんびりもしてられないの。お父上の命は諦めてくださらない?」

 グリーナが剣を構えながら一歩前に出る。切先はまっすぐアンナの胸元に向けられている。

「実のところ、あなたを殺すつもりはないの。兄はあなたの聡明さを買っている。私としても同じプロトホムンクルスの肉体を持つあなたをこんなところで失いたくはないわ。同じ殺し合うにしても、私たちにはもっと相応しい場所があると思うんだけど……」
「ビュリー男爵は……」
「は?」

 対峙している相手の言葉を無視して、アンナは自らの言葉を発する。

「とても有能な官僚だった。アカデミーを好成績で卒業し、内務省では地方財政の健全化に従事していたわ。私が顧問補佐として招聘した後も、常に民の暮らしを第一に考えていた」

 だからこそ、今回のルアベーズ視察にも随行させたのだ。タフト救出に向かうアンナに変わり、戦場となったルアベーズの実情を見極めてくれるだろう。旧領主の暴政と戦乱で疲弊した土地に、何が必要なのか見極めてくれるだろう。そう確信していた。

「決して……そう決して、馬鹿げた復讐に目を奪われている正統な血筋(あなたたち)よりもこの国に必要だった人物よ!」
「死ね!!」

 煮えたぎるアンナの激情をそのまま乗せた言葉に対し、グリーナも別の激情をもって応えた。鋭い刃がまっすぐアンナに向かう。アンナはそれを真っ向から飛び込んでいく。
 左耳に熱を感じる。一歩踏み込んだことで、グリーナの斬撃は、半瞬だけ拍子がずれた。が、完全にかわすことは出来ず刃が耳を切り裂いたのだ。

「くっ!」

 だが、それでも怯まずアンナは前に出る。先ほどと同じ動き。というより、今の状況ではグリーナの懐に潜るしか活路はない。

「馬鹿のひとつ覚えみたいに!」

 さっきは一歩後ろへ引いたグリーナだったが今度は、すぐに2撃目を繰り出してきた。が、大振りの連撃は隙が大きく、アンナは難なくかわす事がきでた。そしてそのまま両手を伸ばし、グリーナの剣の柄を抑える。

「くっ……」

 剣を奪われまいと、グリーナも両腕に力を込める。抜き身の刃を挟んで、同じ顔を持つ2人のホムンクルスが押し合いの力比べをする。思った通り、彼女はゼーゲンやマルムゼのような武人ではない。ホムンクルスの強靭な肉体を持つとはいえ、戦闘能力についてはアンナと大した違いはない。
 ならば勝敗を分けるのは別の要素となる。

「下賤の者が悪足掻きを……」

 グリーナは憎々しげな眼差しをアンナにぶつけてくる。睨み合い。そして腕力の押し合い。そのふたつに気が引かれ、グリーナは自らの手がアンナと接していることと、それが何を意味しているかに気づいていない。

「足掻くわよ、いくらでも」

 アンナは異能を発動させる。"認識共有"。同時にアンナは、エリーナとしての生が終わるときの記憶を思い返す。

「ひいぃっ!?」

 体内を焼き尽くす毒の味と苦痛が、グリーナの心を蝕む。アンナから注意が逸れたその一瞬で、彼女はついにグリーナの剣を奪い取る。

「御免!」

 渾身の力で剣を振り下ろす。
 が、その一撃がグリーナの身体にぶつかるよりも先に、真横から強い衝撃が襲来し、アンナの身体は吹き飛ばされた。

「きゃあっ!」

 地面位突っ伏す。何が起こった? 顔を上げると、自分と同じ顔をした人間が2人に増えていた。グリーナはアンナの投影したイメージにおののき、突っ伏しているが。全く同じ姿の女がアンナに痛烈な体当たりを喰らわせたようだ。
 いや、違う。この女もグリーナだ。ゼーゲンが率いる兵士のと同じ軍装。もうひとり紛れ込んでいたのか。それならば、ゼーゲンたちが洞窟の中に来ない理由も説明がつく。

「ふ、ふふ……所詮は付け焼き刃の力。魔法を使った駆け引きを私に挑むなんて浅はかなものね」

 もうひとつの肉体に再憑依したグリーナが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「我ら正統な皇族を愚弄した罪は重い。ここで死になさい、アンナ・ディ・グレアン」

 終わった。この体勢では防ぎようがない。アンナは反射的に目を閉じた。