「結果、お前は私や陛下が考えていた悪い予感の通りに動いてしまった。復讐を誓い、宮廷へ戻り……今や討伐令が出される事に……」

 100年以上に及ぶ物語が、アンナの出発点と繋がり円環をなす。そこまで語り終えた後、タフトは言った。

「出来ることなら、お前が目覚めた直後に陛下と同じようにあらゆる記憶を封印してやりたかった。そうすれば、帝室の正統性をめぐる陰謀などに巻き込まれず、お前と陛下で新たな人生を謳歌できたはずだ……」

 だが、そうはならなかった。状況から察するに、タフトはリュディス=オルスに囚われ、あの古城の尖塔に幽閉されていたのだろう。
 そして娘は自身の復讐のため宮廷に戻った。一時は自分の死の原因がアルディスにあると思い込み、彼を憎悪すらしていた。
 その様子を、父はあの狭い塔から眺め続けることしかできなかった……。

「そもそも、ホムンクルスにしたこと自体が間違いだった。お前を何としてでも生きながらえさせたい、そう考えてしまったのだ……その先にある過酷な運命など考えもせずに……」

 そう悔やむタフトの声音は、沈痛そのものだった。

「私の師であった"伯爵"は、下の世代を復讐に巻き込まぬと誓いながらも、ヴェルを……ユーヴェリーア皇女を実験台として利用した。私も同じ轍を踏んだのだ……」

 タフトは娘に向き直る。そして深々と頭を下げた。

「私が抱いた愚かな復讐心のせいで、お前の人生を台無しにしてしまった! 本当に……本当に申し訳なかった」
「父さん……」

 ああ、そうか。アンナは納得する。
 父は昔から、時おりこういう表情を浮かべていた。
 長らく封印されていた帝都の地下道の記憶もそうだ。エリーナは死の間際、賢者の石へと続くあの通路を彼に案内されている。その時の表情も重く暗いものだった。
 そして何より、古城の塔で再会した時の姿。ここまでアンナは触れずにいたが、明らかにタフトはあの尖塔から身を投げようとしていた。
 百十数年におよぶ凄絶な人生の末、待ち受けていたのは娘の破滅だった。それを知り、思い悩んだ末のあの行動だったのだろう。
 タフトの決断があと10分早かったら、あるいはアンナが新型砲の攻略に10分手こずっていたら、2人が再開することは永遠になかったかもしれない。

(でも違う。父さんは気づいていない……)

 娘に与えてくれたものの貴重さに。

「顔を上げて、父さん」

 アンナは優しく言う。

「悪いけど、父さんの後悔は全くの見当はずれよ」
「何?」
「考えてもみて。父さんがヴェルさんたちの復讐を企てなければ、父さんが職人街を訪れることはなかった。つまり、私は生まれなかったのよ?」
「あ……」

 そうなのだ。父が職人街で母と出会わなければ、そもそもエリーナという女性も、その人格を有するアンナ・ディ・グレアンなる存在も生まれてこなかった。

「それに、父さんはヴェルさんのことを恨んでるの?」
「まさか! そんなことは決してない!」
「父さんが私にしてくれたことって、彼女が父さんにしたことと同じでしょう? 死を目前にした私たちに生きるチャンスを与えてくれた。確かに人ならざるものになったかもしれないけど……非死なんていう宿命が付いてきた父さんよりもよっぽどマシじゃない?」

 ユーヴェリーア皇女が百年前、父にそんな宿命を押し付けた事をどう考えていたのか、今となってはわからない。
 けれど、大切な人を無意味な死から守りたいという、切実な思いがあったのは確かだ。そしてその思いを、間違いなく7年前の父も自分に対して抱いていた。

「だいたい、復讐に他人を巻き込むことの是非を語る資格なんて、私にはないわ。私的な怨恨のために、あらゆるものを利用して、クロイス派を潰したんだもの」

 わざと露悪的な言い方をする。
 リアン大公、先代クロイス家当主、ラルガ親子、グリージュス公、ゼフィリアス帝、職人街の人々、そして何よりマリアン=ルーヌ女帝……。
 あらゆる人間を復讐のために利用してきた。
 もしかしたら今の窮地は、そのツケなのかもしれない。けど、それでもアンナは後悔など一切していない。全て、自分で考え、切り開いてきた道だ。後悔などしようはずもない。
 そしてそれが出来たのは、父が自分をホムンクルスとして生かしてくれたからだ。

「それとこれは確信してるんだけど……仮に父さんが和の目覚めに立ち会っていて、私の記憶を封印したとしても……平穏な人生なんて絶対に歩まなかったわ! 断言する」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、父に言った。そして、長い長い物語を聞き終えた後の、率直な思いを父に伝えた。

「改めて御礼申し上げます、父さん。私に2度も生を与えてくれて、本当にありがとう」

 非死と復讐の100年は、タフトにとっては耐え難いものだっただろう。それを知った上で感謝せずにはいられなかった。エリーナという生、そしてアンナという生を与えてくれた事に。
 
「……は、はは」

 苦笑の類ではあったが、ようやくタフトの口元に笑みがこぼれた。

「全く、お前にはかなわんな。誰に似たことやら」
「それはもちろん、あらゆる陰謀の根源となった稀代の錬金術師サン・ジェルマン伯爵にでしょう?」
「こいつ……!」

 タフトはさらに笑う。苦味も愉快さもより深みが増す。
 そうだ。父には……百年生きた大錬金術師にはこういう表情の方が似合う。

「おお……」

 ひとしきり笑ったあと、タフトはマルムゼの棺に何か変化を見出した様子だった。

「どうしたの?」
「これを見なさい」

 タフトは、棺に付けられている計器を指差す。確か、棺内の魔力の強さを示すものだとシュルイーズが言っていたが、詳しい見方までは聞いていない。

「ずっと一定だったものが、かすかに変動している」

 確かに言われてみれば、丸い文字盤についている細長い針が前後に振れている。そのリズミカルな動きは、心臓の鼓動みたいだとアンナは思った。

 「これはいわば脈動だ」

 まさに今、アンナが連想したものと同様のことをタフトは言う。

「脈……彼が息を吹き返したということですか!?」
「ああ。まだごくごく小さな動きだが、次第にもっとわかりやすく針が動くはずだ。こいつを投入して正解だった!」
「こいつ、とは……」
「これさ」

 タフトは懐から小さな袋を取り出す。薄手の布で作られたもので、中が透けてほのかな光が漏れ出ている。その光の色に、アンナは見覚えがあった。

「まさか……賢者の石?」

 帝都の地下、バティス・スコターディ城の下で生成されている魔力の結晶体と同じ色の光。なぜここにそんなものが?

「ふふ……そういう事。ようやく尻尾を出したわね」
「!?」

 いつのまにか、アンナのとタフトの背後に何者かが立っている。ひどく冷たい声。振り返ろうとした時、タフトが小さく叫びを上げる。

「ぐあっ!?」

 刃がきらめき、タフト胸から爆ぜるように血が吹き出した。