「タフト殿、エリーナを……御息女をお連れした」

 軍を抜け出し、前線から戻ってきて数日後、娘エリーナが高等法院によって拘禁された。場所はバティス・スコターディ城だ。
 そして第1回の審問の日、アルディス3世の代理人として遣わされたウィダスが面会を求めていることをタフトは察知した。リュディス=オルスが、皇帝に続き娘も亡き者にしようとしていることは明白だった。

「ありがとうございます……陛下」

 すぐにタフトは、マルムゼを……アルディス3世の魂と人格を移したばかりのホムンクルスをバティス・スコターディ城へ行かせた。そして彼は、タフトの望み通りエリーナを……正確には彼女の魂を連れ帰ってきた。

「私などが愛してしまったばかりに、彼女を不幸にしてしまった。すまない……」

 マルムゼは瓶に詰められた魂の父親に謝罪する。その言葉に対し、タフトは何も返さなかった。

「それで、エリーナをもとに戻すことは可能なのか?」

 マルムゼは不安そうに尋ねる。
 実は、使用可能なホムンクルスの肉体はもう残っていない。タフトがマルムゼシリーズと名付けた黒髪のホムンクルスたちの予備ボディは全て使用してしまったのだ。今から培養しようとすれば半年以上の時間がかかる、その間にリュディス=オルスに見つかれば、全ては終わりだ。

「理論上は、可能です」

 そこで、タフトはもう別の器を使用することにした。タフトが試行錯誤していた時代の産物。プロト・ホムンクルスと名付けた、最初のホムンクルス体だ。金髪の若い女性の姿をしたこの肉体は、リュディス=オルスの妹グリーナで成功例がある。

「しかし、記憶を正しく移すにはいくつか条件がございます……」

 グリーナの成功後、研究を進めていたタフトは、生前の人物の記憶をホムンクルスに移すことにも成功していた。今彼が話しているマルムゼこそがその成功例で、彼にはアルディス3世の人格がそっくり移し替えられている。

「条件? なんだ、それは?」
「まずは時間です。かつて、1日でも早い復讐の成就を目指していた私は、焦っておりました。エリクサー内の記憶を肉体に定着させるには、最低でも2年の月日が必要なことがわかったのです」
「2年、か……」
「そしてその2年間、片時も離れず、肉体の体調を管理・維持するものの存在が必要です……」
「なるほど……」
「おそらく私には無理です。すぐにリュディス=オルスに見つかります。もちろん、この古城の工房も使えません」

 リュディス=オルスの目の届かぬ所で、眠り続ける彼女を守り、世話をし続けなければいけない。
 世間では、さっそくフィルヴィーユ夫人叩きが始まっている。貴族のデマに載せられて、娘が守ろうとしていた平民たちでさえ、彼女を悪逆非道な流血寵姫だと叫んでいる。恐らく、職人街は程なく潰されるであろう。その中心地にある錬金工房とともに。
 そんな状況で2年、どうやって娘を守ればいいのか? 頼れる者がいないタフトにはあまりにも難しい難題だ。

「簡単なことではないか」

 マルムゼが言った。

「私がいる。私が、2年間彼女を守り続ければいいだけだ」
「なんですと!? ですがしかし……」

 タフトはマルムゼをこのまま国外へ逃がすつもりだった。ホムンクルスになったとはいえ、彼を帝国国内に留めておくのはリスクが大きい。"鷲の帝国"のゼフィリアス帝なら、彼を庇護してくれるだろう。

「私が愛した女性だぞ。私が守らなくてどうする!?」

 マルムゼは言い切った。力強く。そして、優しく。
 その言葉が、タフトを決断させた。

「……わかりました。ならば陛下にやらねばならぬ事がございます」
「何だ?」
「記憶の封印です」

 たった今タフトの中に湧き上がった考えだ。
 せっかくホムンクルス体に持ち越したアルディスの記憶。それを封じてしまうのだ。

「娘とともにあろうと願うのであるならば、皇帝という地位をお諦めいただきたいのです」
「なるほど、そういうことか……」

 もし彼女が再び目を覚ました時、その隣にアルディス3世がいれば、彼女の思考と選択の幅は狭まる。間違いなくアルディスの地位回復を目指した行動を取るであろう。しかし、それで果たして娘は幸せになれるのか?

「そして私も……錬金術師サン・ジェルマン伯爵もまた、娘の前から姿を消しましょう」

 この2人がいなくなれば、100年に及ぶ恩讐の歴史から、娘は自由でいられる。自らの望む人生を手に入れられる。

「しかし……エリーナの性格や思考を知らぬわけではあるまい。私やあなたがいなくとも、自らの意思で宮廷へ戻るかもしれないぞ?」
「その時はその時、娘のことを支えて下され」

 なるほど。彼の言うことはもっともだ。そうなりそうな予感は確かにタフトにもある。
 しかし、選択肢を与えるということが大切なのだ。その中から娘が自らの意思で選び取った運命ならば、それは尊重せなばなるまい。

「支えろ、か。皇帝に向かって……。いや、だからこそその地位を捨てよというのだな?」
「恐れながら陛下、これは私めの復讐でもあります」

 タフトは言う。そう、復讐だ。と言っても、100年前の簒奪の責任を、この英明なる子孫に求めているわけではない。

「可愛い我が子を奪った貴方様に対する……ね」
「ははっ、なるほど」
 
 マルムゼは笑った。

「ならば私からもお願いがある。皇帝アルディス3世のあらゆる記憶を封じて構わない。だが、彼女を……エリーナを愛していたという記憶だけは留めてくれないか?」
「それは……」
「頼む。であるならば私はわたしの運命を受け入れよう。すべてを捨て、一人の男として生まれ変わったエリーナを愛し、尽くすことを誓う」
「……かしこまりました」

 青年の真っ直ぐな想いを受け止めたタフトは頷いた。
 
「では陛下。これが呪わしき血族にかける、最後の呪いとなります」

 呪い。自分は、簒奪者の血を引く一族を呪詛し続けてきた。復讐を誓い、この一族を滅ぼすためにあらゆる手を尽くしてきた。その呪詛の末に、呪いの一族の青年と愛娘の将来を願うことになるとは……あの日サン・ジェルマン村で慟哭していた自分が知ったらどんな顔をするだろう?

「あなたは新しき生の全てを、この女に捧げていただきます」

 エリーナを見る。新たな肉体を娘は目を覚まさぬが、既に魂はそこにあるはずだ。もはや娘でもない。ひとりの女性だ。そして皇帝も間もなく、彼女を愛するだけのひとりの男となる。

「この女の支えとなり、この女が望むものを全てお与えなさい」

 ホムンクルスや錬金術に関わる最低限の知識については、封印が解けやすくなるようにしておこう。彼女が必要となった時、いつでも使えるように。

「それが私の……マルムゼ(あなた)の主人たる錬金術師サン・ジェルマンからの命令です」

 タフトは、マルムゼの額に手を当て、自らの血に眠る魔力を呼び起こした。