それから3時間あまり、一行は山道を進み続けていた。幸い、追手の気配はまだない。とはいえ、もう山の向こうまで迫っているかも……という恐怖は常につきまとっている。
 
 途中、道が険しくなり馬車での移動が難しくなってきた。そこで、ゼーゲンはマルムゼの棺を乗せた1台を残し、あとの2台は破棄することにした。
 兵士たちが崖道から落とした馬車は、途中の岩や木にぶつかってバラバラになりながら、谷底に吸い込まれていった。もし追手がここまで来たならば、あの残骸を見て素通りはできない。崖を降りて中に誰か乗っていないか、特にアンナの遺体がないかを確認をしなければならない。そこでまた、多少の時間稼ぎができるというわけだ。

 そしてうまい具合に、ゼーゲンの部下が隠れるのに最適な洞穴を発見した。
 近くには滝があり、水に困らないばかりかある程度の物音は消してくれる。更に滝の上に登ると見晴らしが良く、通ってきた山道や、馬車を捨てた崖を見張ることができるのだ。
 脱落者を出すことなく、潜伏場所を見つけたことで、一行はつかの間、緊張をほぐすことが出来た。

「我々はまだ、運に見放されてはいないようですね」
「ええ。この先の逃亡のためにも力を蓄えねば。皆さん今のうちにしっかり休んでください!」

 兵士たちは交代で見張りを立て、残った者たちは休息を取ることにした。
 特に昨日、戦場を駆け巡り、夜通しタフトの告白を聞いていたシュルイーズは崩れるように寝入ってしまった。ホムンクルスのゼーゲンさえも、すぐに動ける姿勢を維持しつつも寝息を立てていた。

「……」

 が、アンナはどういうわけか眠れなかった。
 いったん眠りに入ったものの、すぐに目覚めてしまい、ぼんやりと洞穴の入口から差し込む光を見つめていた。
 
 状態を起こし、周囲を見回す。
 同行者たちは、いくつかのグループに分かれている。入口近くですぐに戦えるように備えている兵士たち。自分たちの発明品を用い、火や煙を出さずに携行食を調理するシュルイーズの助手たち。そして逃避行の成功後に、アンナを復権させるための方策を議論する官僚たち。みんな身体を休めつつも、自らのすべきことをしようとしていた。
 
 そのいずれの輪にも加わらず、棺の前で作業を続けるタフトを見つけ、アンナは立ち上がる。

「父さん」
「エリーナか。休まなくていいのか?」

 タフトは、棺についた魔力調整用のダイヤルをから手を離し、娘の方を向いた。

「父さんこそ大丈夫なの? 夜通し話して、疲れているでしょう」
「歳を取ると、どうも睡眠が浅くなってしまってな」

 実年齢はゆうに100を超えているであろう父は、本当とも冗談ともつかないことを言う。
 
「……マルムゼの調子はどう?」
「問題なし……と、言いたいところだが覚醒にはもう少し時間が必要だな」
「目覚めるのよ……ね?」

 もう二度と彼の声を聞けないのではないか、二度と彼と触れ合えないのではないか、そんな不安をアンナはずっと抱え続けていた。
 サン・ジェルマン伯爵たる父と再開した今も、それを払拭することが出来ないでいる。

「ああ。これは肉体が受けた衝撃が魂にまで及ぶのを防ぐために用意したホムンクルスの機能のひとつだ。このまま彼が死ぬ、ということはない」

 ホムンクルスの造物主本人が言うのだから間違いないだろう。けど、それでもアンナの不安は少しも消えない。

「お願い……彼を助けて」

 アンナは父に懇願する。どこか子供じみた、甘えた声になってしまった。
 ダ・フォーリスが動いたということは、主君であり親友でもあったマリアン=ルーヌがアンナを切り捨てたことを意味する。さらに最愛の人まで失っては、アンナにはもはや拠り所となるものがなくなってしまうのだ。

「もちろんだ。私に任せなさい」

 タフトもまた、子供をあやすような口調で、涙を浮かべる愛娘に応える。

「このお方は、私との約束をしっかり果たしてくれた。その御恩には報いるさ」
「父さんとの約束?」
「ああ、アンナ。お前を守り抜くという望みだ。この方は……アルディス陛下は最期までそれに応えようとしてくれた。自らの命を失った後まで……!」
「え……どういうこと?」

 一瞬、頭の中が空白となった。マルムゼを生み出したのはこの父だ。父は当然、彼の正体が本物のアルディス3世だということを知っている。が、そこに至った経緯を、アンナはまだ父から聞けていない。

「そうだな、昨夜はその話までしたかったのだが……お前にはちゃんと話さいといけないな」