「どういうことだ!!」

 ゼーゲンの怒声は部屋を揺るがすかのようだった。副官はその迫力に怖気づくことなく答える。

「ヴィスタネージュの元帥府より伝書鳩が参りました。恐らく帝国全土の軍施設に一斉に放たれたものと思われます」
「元帥府……つまりボールロワ元帥から、ということですか?」

 現在、帝国の軍権を司るのは白薔薇の間の政変以来の盟友であるボールロワ元帥だ。
 彼がアンナ討伐の命令を出した? 一体何故?

「これを……」

 副官はアンナの質問に答えず、ただ紙片を手渡す。
 横長で、丸めた跡がついてる紙。伝書鳩にくくりつけられた文書そのものだろう。視線を落とすと、すぐにその名が目に飛び込んできた。

「ベールーズ伯爵ダ・フォーリス元帥……」

 討伐令は確かにその名で出されていた。
 
「あの男が元帥ですと!?」
「やられた……!」

 アンナはがくっと椅子の上に崩れるように座った。

「すべては彼の……ダ・フォーリス大尉の手の平の上だったのね……」

 あの男のことを元帥とは呼ばなかった。そういえば「ベールーズ伯」という爵位で呼んだこともない。かつて自分のことを執拗に「グレアン侯爵夫人」呼ばわりしたペティアのことを思い出す。そうか、あの老婆もこういう心持ちだったのか……。

「手の平の上、とは?」

 シュルイーズが尋ねる。

「私がヴィスタネージュや帝都から離れるように仕組んでいたのよ。自分が実権を握るために」
「待ってください! 確かにタイミングが良すぎますが、今回の計画は顧問閣下が自ら決めたことでしょう? 仕組むなんて出来ますか!?」
「ウィダスとダ・フォーリス、そして黒幕たるリュディス=オルスが同一人物なら可能よ」

 シュルイーズとゼーゲンは釈然としていない様子だ。だがタフトは、娘と同じ考えに至ったようだ。

「私という存在と、仮死状態のマルムゼ殿だな?」
「その通りです、父さん」

 アンナは父に頷くと、2人にも説明する。

「マルムゼはウィダスとの戦いで傷つき、仮死状態となった。そして、それを治せるサン・ジェルマン伯爵の居場所を知るのは、リュディス=オルスのみ。加えてダ・フォーリスは真珠の間グループを使い、度重なる反乱の責任を私に求める空気を作った……」
「そういう事か」

 ゼーゲンは納得したようだ。

「ひとつの行動に必ず複数の意味を持たせる。それが顧問殿というお方です。ならば、あの古城の工房からほど近いルアベーズで反乱が起きれば、必ずあなたはそこへ向かう……!」
「ええ。そして事実、私はそのような考え、行動しました」

 もちろん一から十まで全てがあの男の企てというわけでもないだろう。偶然の要素もいくつかあるだろうし、そもそもアルディスの生まれ変わりであるマルムゼと直接剣を交えるとは、さすがに想定出来るはずがない。

 しかし、一流の謀略家とは全ての仕掛けを自分で作るような人物ではないことを、アンナは知っている。あらゆる事象を全て人造的に生み出すなど不可能だし、やろうとすれば必ず綻びが生じる。
 状況を正確に見極め、少ない手数で最大限の利益を得んとする者こそ、一流と言える。
 その意味では、今回のあの男の手際は間違いなく一流だ。芸術的とすら言える。

「ありがとうございます。状況は理解しました」

 アンナは紙片を副官に返した。

「で、あなたはどうしてこの情報を私に?」

 この紙片はダ・フォーリス元帥……つまり女帝よりリュディスの短剣を託され、軍権を握った者からの正式な命令書だ。本来ならこの副官は即座にアンナを逮捕し、元帥府に送還しなければならない。

「私は軍人の家系で育ちました。父も、兄も軍人です」

 副官は自身の身の上を語り始める。

「父と兄は第3軍団に所属しています。長らく"獅子の王国"との前線で小競り合いを続けてきた方面軍です」
「……そうでしたか」
「特に兄の部隊は物資が届かず全滅の危機に瀕したことがありました。クロイス派による物資横領が原因です。あなた様は、その不正を告発してくれた。それどころか"獅子の王国"と講和を結び、第3軍団を不毛な戦地から救い出してくれた!」

 副官はまっすぐ、アンナの両眼を見つめる。

「我々軍人は、命に従い戦うのが仕事です。本来そこに私情は挟みません。ですが……心から従いたいと思う主と、そうでない主がいるのは確かです……!」
「では、あなたは、私についてきてくれると?」
「いいえ」

 副官は首を横に振った。

「私のような立場の人間がそこまで私情を優先すれば、第6軍団全てに迷惑がかかります。あなた様のご恩に報いることができるのは、せいぜいあと1時間とお考えください」

 1時間。彼がこの街に駐留している部隊を率い、出動すまでにかかる時間であろう。それでもかなり手心が加えられた猶予だ。
 
「わかりました。私もあなたにこれ以上を求めるべきではないと考えます。ありがとう」
「ご武運を……」

 そう言って副官は退室した。
「急ぎ、ここを発ちましょう」
「ならば、あの気球を使いたいところですが……」
「それは難しいでしょうね」

 確かにあの気球を使えば離脱は容易だ。が、定員はせいぜい4人。アンナ、シュルイーズ、ゼーゲン、タフトが乗ればもう限界だ。棺桶の中に安置されているマルムゼの肉体も移動させなければならないし、ゼーゲンの部下やシュルイーズの助手、それに戦場視察のために連れてきた官僚たちもいる。

「顧問殿だけでも気球でお逃げになりませんか? 第一に守らねばならないのは、あなた様の御身です」

 ゼーゲンがそう提案するが、アンナは却下した。

「皆さんと私は一蓮托生。私だけが抜け駆けするわけには参りません。それに、流石にアレは気球の載せられないでしょう?」

 マルムゼの棺桶を指差す。誓ったのだ、彼ともう離れないと。

「ええ、顧問殿ならそうおっしゃると思いました。ですがそう考えない者もいます」
「どういうことですか?」
「馬車と気球が同時に動いたら、敵もどちらを追うべきか迷うのではないでしょうか?」
「なるほど、あれを囮に使うのですね」

 ゼーゲンの目が不敵に輝く。

「博士、気球を動かしてもらえるか。私は他の者たちを起こし、馬車の準備をする」
「了解です!」

 言うが早いが、シュルイーズは部屋を飛び出して行った。