タフトは、グリーナの身体や心を綿密に検査し、それを黒革のノートに書き記した。かつて"伯爵"が残したノートと同じ装丁のものだ。数順年間、タフトはこれと同じノートに、ホムンクルス研究のあるゆる実験結果や考察を書き記していた。
 これが最後の一冊になるかもしれなかった。しかし、そうはならなそうだ。今回のエリクサーでは、人格の抽出には成功したものの記憶を溶かすには至らなかった。
 まだまだ人間と心と肉体と魂には大きな謎がある。それを人為的に操り、あまつさえ創造することなど、もしかしたら永遠に完結しない夢想なのかもしれない。

 だが、それでも一歩だけ進展はあった。
 グリーナの古い肉体から採取したサンプルと、ホムンクルスの体組織を比較することで、これまでのタフトの研究がさらに確度を増す。

 タフトが編み上げた理論は決して間違っていなかった。足りなかったのは"憑依"の力を持つ血だ。グリーナの血液を同じ方法で生成すれば、真のエリクサーは完成するだろう。どのような魂も確実に溶かし込み、それを別の肉体に移すことができる不死を実現する秘薬だ。
 そして……既存のエリクサー試料も決して無駄にはならない。
 
「こいつに溶かし込んだあの男の魂も……」

 タフトは書棚に置かれた古い瓶を手に取った。あの簒奪者の魂が溶けたエリクサーだ。恐らくこれに、グリーナの血から抽出した魔力を帯びさせれば、真エリクサーと同等の効果が得られるはずだ。

 だが、今更そんなことをして何になる……?

 タフトはすでに決めたのだ。復讐から足を洗うと。娘エリーナのために、これからは平穏に生きると。

 なのに……それなのに……私はホムンクルスを生み出してしまった……!
 
「馬車の中で話していた簒奪者の魂とはそれか?」

 背中から声をかけられて振り返る。いつの間にかドアが開かれ、リュディス=オルスが立っていた。

「殿下……申し訳ありません。妹君を完全に蘇らせることは出来ませんでした……」
「よい。駄目でもともと、というのは事前に取り決めていたこと、お前が気に病む必要はない」
「ですが……」
「記憶など、これからの経験でいくらでも積み上げることができる。それよりも、妹の魂そのものを残すことが出来て本当に良かったと思っている」
「殿下……」
「なにせ、決して失われてはならぬ、高貴なる血と魔法だ。たかだか10年足らずの記憶よりも遥かに価値がある。そうは思わないか?」
「え?」

 一瞬、返答に窮した。記憶などよりも魂が大事とは、そういう意味なのか。彼女の人格ではなく、リュディスの魔法こそがこの兄が求めるものだった、ということか。

「サン・ジェルマン伯よ」
「はい……」
「その瓶を私にくれぬか?」
「は? この瓶、とは中身の魂のこと、でございますか?」
「もちろんさ。良いことを思いついたのだ!」

 リュディス=オルスが笑う。口角が釣り上がったその相貌に、タフトはなにか凄絶なものを覚える。

「記憶が残らないのなら都合がいい。此奴をホムンクルスとして復活させようではないか」
「な、何のためでございますか?」
「無論、この国を滅ぼすため」
「なっ!?」
「サン・ジェルマンよ。お前もそのために、100年に及ぶ生を費やしてきたのであろう?」
「それは……そうですが」

 もう私は復讐を諦めました。とは、言えなかった。

「我が高祖父を不当に貶めた簒奪者に道化を演じさせるのだ。クロイス、グリージュスといった豚どもにいいように操られ、暴政をはたらく無能な皇帝としてな」
「皇帝!? その者を皇帝にするというのですか!?」

 一体どうやって? いや、そんな事不可能であろう。

「もちろんすぐにではない。下準備が必要であろう。だが、我々がこれまで待ち続けた時間に比べれば遥かに短く済むはずだ」
 
 タフトは、自分の体が震えている事に気がついた。その瞬間、手から小瓶が滑り落ちる。

「おっと」

 リュディス=オルスがそれをすくい上げた。

「せっかくの、魂をここで失う訳にはいかない」
「お戯れをおっしゃいますな、殿下……。あのようなものを再び皇帝にするなど」
「戯れではない。かの簒奪者ならば記憶がなくとも立派な暗君となるであろう。それを正統なる血の私が討つ! 民衆はリュディスの血が再び頂に立つことを喜ぶはずだ。そして愚かな皇帝は、100年前の自身の愚行を呪いながら滅びゆくのだ。己が築いた腐った貴族社会とともにな!!」

 自身が打ち立てた構想に気が昂ぶったのか、リュディス=オルスは高らかな笑い声を上げた。それを聞きながら、タフトはぎゅっと拳を握りしめる。

「もちろんお前にも協力してもらうぞ。私とお前で、高祖父リュディスの無念を晴らそう! "百合の帝国"を、再び気高き聖なる国にするのだ!!」