ノユール家を訪れた翌日、タフトは帝都のベルーサ宮を訪れた。
 簒奪者リュディス(その正体に関する記録は、クロイスたちが徹底的に抹消したため、ついぞその本名は分からず終いとなった)がヴィスタネージュに宮廷を移して以来、荒れるがままになっていたこの宮殿に先日、皇族の1人エランサ公爵が入っていた。
 エランサ公は、先帝のいとこに当たる人物で、帝都市長と防衛総監を兼任している。ヴィスタネージュの邸宅よりもこちらに住んだほうが仕事がしやすいということなのだろう。

 しかしタフトは、旧皇宮の新たな住人に用事はない。彼が会うのは、この宮殿の真の主人だ。

「これはサン・ジェルマン伯、お待ちしておりました」

 宮殿の中庭に建てられた掘っ立て小屋を訪れると、怪しげな風体の男たちが出迎えた。

「ここは相変わらずだな。いいのか、新しい市長殿は君たちの活動を快くは思っていないのだろう?」
「この霊園は我が"義人協会"の家です。エランサ公には悪いですが、立ち退くつもりはありませんよ」

 義人協会は、最近活動が活発になっている反貴族組織だが、表向きは貧困者を支える慈善団体ということになっている。その名目で、エランサ公の同情をえて、本拠を構え続けることを認めさせたのだ。
 長年放置されていたベルーサ宮の中庭は、いつのまにか帝都市民が自由に出入りできる公園と化していた。特に、荒れ放題となっている端っこの区画には無許可で小屋がいくつも建てられており、売春や反政府運動、窃盗団など組織犯罪の温床と化していたのである。

 エウランや"伯爵"が、旧皇宮の無残な現状を知れば、怒り狂うかもしれない。けどタフトは、どこか痛快な思いを抱いていた。簒奪者共が見捨てた皇宮の跡地で、新たな反逆の芽が育っているのだから。

「で、例のものは?」
「ああ、コレだ」

 タフトは、懐から油紙に包んだ書簡を取り出した。昨日、ノユール子爵から密かに受け取ったものだ。

「宮廷のさる筋から得た、確実な情報だ。詳細は確認してほしいが、この国が再び"獅子の王国"への侵攻を目論んでいる事は確かだ」
「すばらしい!」

 一定期間平和が続くと戦争でも受けようと考え始めるのは、貴族共の悪い癖だった。特に、軍人上がりのクロイス家やグリージュス家はその傾向が強い。
 義人協会は、国外にも太いパイプを持っている。この侵攻計画が"獅子の王国"へ伝われば、しかるべき防御措置が取られるはずだ。奴ら肥えることはなくなる。
 もっともそれは、両国間で断続的に続いている小競り合いの再燃を意味し、前線では平民出身の兵士たちの命がすり潰されていくのだが……。

「で、今回も報酬は本当によろしいのですか?」
「ああ、私の望みは君たちのような組織がたくさん出てくることだ。君たちの反帝室・反貴族の精神が国中に広がるのなら、それでいい」

 近年、水面下で広がりつつある反政府運動は、かつてタフトやエウランが主導していたものと無関係のものだ。それは純粋に貴族の専横に対する反感から生まれた。だが、その目指すところはタフトの標的と一致している。彼らの活動が広がるのは、タフトにとっても都合がいい。

 これもまた、若者たちを復習に利用していることになるのか?

 タフトは自問する。彼らは、ノユール子爵と違い、タフトの目的を知らない。しかし、結果的には同じことだ。例え彼らが自分たち頭で考え、自分たちの信念に基づいて行っている運動だったとしても……。

 * * *

「おかえりなさいませ、伯爵」

 帝都での暗躍を終え、タフトは古城の研究所へ戻ってきた。
 かつて取った2人の弟子のうち、1人は実験中の事故で帰らぬ人となっていたが、もう1人は自身も弟子を取るほどの錬金術師となっていた。タフトにとっての孫弟子は、すでに10人近くまで増えており、今では彼らがタフトの研究に協力してくれている。

 ここでもまた、タフトは若い世代を利用していることとなる。

「私の留守中の状況は?」
「申し訳ありません。16号被検体のテストも……失敗に終わりました」
「……そうか。彼女の亡骸は?」
「いつも通り、中庭の墓地に」
「わかった」

 タフトは、中庭に向かう。天を貫くような尖塔の根本には、いくつもの墓石が並べられている。タフトがこの城に入ったときには、朽ち果てた花壇があった場所だ。

「どうか、安らかに……」

 新しく増えていた墓石の前で黙祷を捧げる。酷い偽善だとは自分でも思う。

 ここに並ぶ墓石はいずれもホムンクルスに宿るはずだった魂のものだ。
 十数年前、タフトは自身の血液から細胞の培養に成功した。そして5年前には、それを人の姿に成長させるまでに至っている。
 しかし、そこに魂を吹き込むことが出来ていない。これが成功すれば、錬金術は一応の完成を見る。

 タフトが自身の血液を操り、再現に成功した疑似魔術・異能。皇族の血が流れない一般人が、この超常の力を扱う事は不可能だ。しかし、タフトの血から生み出したホムンクルスを器とし、エリクサーに溶かし込んだ魂を移せば、理論上はそれが可能になる。新たな肉体を得た魂は魔法が使えるはずだ。
 これが成功すれば、途絶えてしまった始祖リュディスの血が復活する。そして、簒奪者の汚れた血を駆逐し、再びこの国を正しい血の末裔が統治できるようになる。

 が、肝心の魂の移し替えにいまだ成功していない。このままでは異能の器たるホムンクルスは、精巧な肉人形に過ぎない。

「何が……何が足りないのだ……?」

 余命幾ばくもない者たちを説き伏せ、彼らの魂をエリクサーに溶かし込んでいった。実験台とするためだ。その数すでに16名。いずれの魂も、本来の肉体を失い、新たな肉体をえることも出来ず、悲惨な最期を迎えることになってしまった。

「エリクサーもホムンクルスも、私の血から出でたもの。適合しないはずがない。なのに何故……」

 この次期のサン・ジェルマン伯爵は、反政府運動で精力的に暗躍していた一方、錬金術の研究については停滞を見せていた。