帝都近郊・ヴィスタネージュ宮殿。

 皇帝リュディス5世の鶴のひと声によって造影された新宮殿も着工から40年の月日が過ぎていた。驚くべきことにこの馬鹿げた大きさの宮殿は今なお建設の途上にあるという。
 数百の部屋を持つ本殿と、その周辺の官庁街はすでに"百合の帝国"の中枢として機能していたが、4つの区画で構成される大庭園の完成はまだまだ先だ。計画によれば本殿に最も近い西苑だけでも、他国の宮殿を遥かに凌ぐ大きさとなる。
 貴族たちの遊興の空間となる南苑には、2つの劇場や球技場が建設されたが、さらに競馬場や美術館なども建てられる予定らしい。
 いまだ手つかずのままの森となっている北苑と東苑はそれぞれ西・南苑を合わせたよりも広い敷地を持つ。北苑の森はこのまま狩り場として保存され、東苑は帝室専用の空間として、後の世の皇帝や大公たちが、思い思いの居館を建てていくこととなるであろう。

 その途方もない浪費には、国民の血税が注ぎ込まれている。45年前にリュディス5世を幽閉し、この帝国を掠め取った偽帝の暴挙の最たるものだ。
 だがしかし、そんな暴君の生涯にも終わりが近づこうとしていた。表向きは今年76歳になる皇帝リュディス5世が病に倒れた。その情報聞きつけたタフトはその夜、建設中の庭園を抜けて皇帝の寝所へ忍び込んだ。

「だ……だれだ……?」

 老人はひどく弱々しい声で尋ねてくる。タフトは黙って老人に近づいた。

「医者では……ない……な……。どうやって……はいった?」

 普通に話すこともままならぬほど体力が残っていないのだろう。
 その言葉を聞き終えるまでひどく長い時間が費やされた。が、タフトはここに来るまで30年かかったのだ。たかが数十秒、どうということはない。

「あなたが長年追い求めたものを使って、とでも申しましょうか?」
「なん……じゃと……?」
「"認識制御"、"感覚共有"、"領域明察"……その他いくつかの魔法を使い、衛兵をかいくぐってこの部屋までまいりました」
「それは……皇族のみがつかえる……」
「はい。人心を操る支配者の魔法。私はそれらの再生に成功したのです、陛下」

 老人は目を丸くする。タフトの言ったことを理解はできているようだ。身体は老いさらばえ、今まさに朽ちようとしているが、精神は依然として貪欲な簒奪者のままらしい。

「……まことか?」
「はい、陛下。あなた様が始祖リュディスの血族からついぞ奪えなかったものを、私は手にしております」
「ひし……」

 老人はうめくような声で言う。

「ひしのまほう……もか?」
「ええ、もちろん」

 タフトは老人に笑みを見せた。この男が、配下の錬金術師に命じて、皇族が持つ非死の魔法について調べさせていることはだいぶ前から知っていた。老境に入り、死を想う年齢となったことで、かつて自分が宮廷から追い出した一族たちの力が羨ましくなったのだ。もっとも、リュディスの血の謎に、タフトほどに迫れた者は1人もいなかったようだが……。

「それを……っ! それをよこせぇ……!」

 老人は布団の中から這い出て、すがるようにタフトの腕を掴む。汚物がへばりついたような不快感を覚えたが、タフトはそれを堪える。そして自らが編み出した再現魔法――異能を発動させた。

「はっ……?」

 老人の動きが止る。タフトはこの死にゆく男に対して、自身の記憶を見せている。
 30年前、あの村で起きた惨劇の記憶だ。燃え盛る炎で顔や腕を炙られる感覚、剣の鋒を突きつけられた時の恐怖、自分の身体の上で息絶えようとするヴェル。みるみるうちに失われていく彼女の体温。そして、冷たい雨。血黒い泥水の感触……。

「う、うあ……」

 中央でぬくぬくと、クロイスやグリージュスが届ける果実を貪り食っていたこの男にとっては、初めて味わう感覚であろう。
 本来の計画では、この記憶を見せる必要は全くない。しかし、タフトはどうしてもその事実があったことを、この男に教えておきたかった。それでどうなるものではないとわかっていながら……。

「わ、わしを……どうする……殺す気か?」

 怯えきった目。貧相な老人の惨めな姿。これが、帝位を盗み、栄華をほしいままにし、あの兄妹たちを殺した男の末路か。
 タフトは懐から小さな瓶を取り出す。

「殺しはしません」
「ひっ!」
「あなたのお望み通り、目の前の死から助けてあげようというのですよ!」
「だ、だれか!」

 偽帝は助けを呼ぶが無駄だ。侍女たちも衛兵たちもここには来ない。今、この部屋の近くにいるすべての人間の認識を書き換えたのだ。夜が明けるまで、誰もこの部屋に入らないように。

「うああ……あががが!?」

 タフトはうめく老人の口に、瓶の中身を流し込んだ。老人は2、3度痙攣したかと思うと、どさりとベッドの上に崩れ落ちた。
 すぐにタフトは漏斗を老人の口にかぶせる。程なくして、漏斗の先からドロリとした液体が出てきた。それを空になった瓶に再び注ぎ入れる。

 万事うまくいった。動物で行った実験と同じだ。

 * * *