7月12日
 この辺りの地勢はだいたい把握した。植物や昆虫、地質などでめぼしいものは標本にもした。中には新種と思しきものもある。私がお尋ね者の身でなければ、アカデミーに戻り論文を書きたいところだがそうもいかぬ。その崇高な仕事は未来の博物学者に任せよう。

 ありがたいのは食べられる草や実が豊富ということだ。一応、家の前に畑を作ったがうまくいくかわからないので、他の食料調達手段があるに越した事はない。野良仕事について村人に教えを乞うことも考えたが、彼らはよそ者の私を警戒している。この小屋をもらえただけでも十分ありがたいのだ。

 以下に食用に適した植物を記載する。


8月25日
 昼間、村長と昨日の夫婦が礼にやってきた。彼らの息子が高熱を出したというので、薬を処方したのだ。この近辺に生えている草を数種類煎じたものなのでレシピも書いてやったらことのほか喜ばれた。
 夫人はパンを差し入れてくれた。庭の畑がうまくいっていないのを心配してくれたらしい。ありがたいことだ。

「これは、親父とお袋のことか……」

 彼らに聞かされた話とも合致する。まだ乳飲み子だったタフトの病気を治したことが"伯爵"と村の交流の始まりだったという。

9月4日
 あの赤子を救って以来、村人たちがここを訪ねるようになった。野良仕事中の怪我や、風邪、婦人病の相談などだ。ここ辺境の村にとっては錬金術師なんて医者に毛が生えた程度の存在としか思っていないらしい。
 しかしそれでいい。帝都ではあの馬鹿馬鹿しい錬金術制限令が交付されて十数年が経つ。平民が錬金術師になること、錬金術の恩恵を受けることを制限するあの悪法で、簒奪者どもは自らを脅かす力が生まれることを恐れているのだろう。
 そのうち錬金術は滅ぶかもしれない。だがそのまえに、帝室に継承され続けてきた魔法の神秘を解明せねばならない。

 そういえば村人たちから名前を聞かれた。よそ者扱いはやめにする、という印かもしれない。
 だが本名を知られるわけにはいかない。なので"伯爵"と呼ぶように頼んだ。メッセル家はあの政変で断絶したが、私は自らの出自に誇りを持っている。真の帝室を守護するものとして、せめてこの爵位を最後の拠り所としたい。

「……」

 タフトは1冊目のノートを閉じた。日々の研究や考察にまぎれ、こうした日記が数日おきに記されている。日記の内容は村人との交流や日々感じたことが三割程度、のこり七割は「簒奪者」なる者たちへの怒りと、「真の帝室」なる存在への忠誠心だった。
 おそらく"伯爵"は自身の思いをこのノートにぶつけることで、心の均衡を保っていたのだろう。

 5冊のノートのうち、最初の2冊はこんな感じに内容が続く。途中から助手や弟子を気取っていた幼いタフトが登場し、その失敗談なども綴られていたが、そこはこっ恥ずかしくて流し読みしてしまった。
 書かれる内容が大きく変わり密度も濃くなったのは3冊目からだ。先の2冊は合わせて11年分の内容が書かれていたのに対し、ここからは1年で1冊が費やされている。そこからも状況の変化が伺える。

 突如、情報量が増えた理由は他でもない。ヴェルたちがこの村にやってきたからだ。

 4月3日
 街で正統帝室派と接触。エウランの消息が判明したという。御子たちも全員無事だそうだ。この10年、"白夜の国"に亡命していたらしい。宰相グレアンが外交筋で圧力をかけてきたため、脱出してきたそうだ。ならば何も"百合の帝国"に戻ることもないであろうに。
 エウランは今も皇太子殿下の復権と帝都への帰還を諦めていないそうだ。殿下が帝都に入れば正統帝室は復権し、簒奪者どもを一掃できる。本気でそう考えているらしい。
 彼とはきちんと話さねばなるまい。いずれにしても、この村へ呼ぶことにする。


 7月12日
 皇太子殿下ならびに姫様2人がこの村にやってきた。リュディス殿下もユーヴェリーア殿下も立派になられた。エーレルリーサ殿下はお生まれになったのは政変の後のため、お会いするのは初めてだが、皇妃様の面影を残す凛とした佇まいの少女であった。
 なるほど、エウランが彼らを帝都に戻したい気持ちもわかる。が、私は反対だ。
 今や、私が錬金術を追求する目的はただ一つ。帝室に生まれたばかりに苦難の少年時代を過ごさざるを得なかった彼らを、苦しみより解き放つ他ない。
 この先、苦しみ、血を流すのは我らだけで良いのだ。


 5月11日
 ヴェルから相談を受ける。近頃、夜眠れず発熱が続くことも多いそうだ。
 間違いなく魔法の発現だ。二次性徴を終えた頃の帝室の女性はたびたびこの症状に悩まされる。これが終わった後、その女性はリュディス1世の御代より受け継がれてきた、魔法が使えるようになる。
 帝室に受け継がれる魔法は複数あるが、願わくばそれほど重要でない力が発言してほしい。


 9月1日
 間違いない。ヴェルの得た魔法は「神秘の血」だ。自らの血を飲ませたものの肉体を強靭化させ、外傷の治癒能力や老化現象の鈍化を発生させる。歴代の当主に与えられる「非死の力」に似ているが、こちらは自分自身には効果がない。有能な忠臣にこの血を飲ませることで、我が"百合の帝国"は世界の強国たりうる力を手に入れた。
 だが、同時に醜い権力闘争を誘発させる。先の政変の遠因も「神秘の血」を求めるもの同士の争いであった。

 帝室は、能力者の女性を守るため「非死の力」と「神秘の血」を同じものとしていた。皇帝自身に、血を与える力がないことは、ごく限られた人物しか知らない。
 故に、これからヴェルがその力を得ようとする事は誰にも知られてはならない。


 9月3日
 ヴェルから1回目の採血。その血をマウスに与えたところ、明らかに身体能力の増強が見られた。魔力に反応する方輝石の試薬も、その力の強さを示している。ヴェル自身は平穏な生活を求めているのに、天はなぜこのような力を与えたか。


 10月23日
 タフトから1回目採血。ヴェルから4回目の採血。初歩的な血液成分検査では、2人の血に違いはなし。より綿密な調査が必要だ。タフトには申し訳ないが、これからは何度もサンプルを採取することになるだろう。


 2月25日
 タフトから4回目、ヴェルから16回目の採血。あらゆる角から2人の血を比較するが、魔力の有無以外の違いは全くないように思える。ならばこの魔力は一体どこから来るのか。私の仮説では、血液こそ魔力が生み出される源であるが、それは誤りなのかもしれない。
 とかく資料が少ない。魔法時代の文献があれば研究は進むのだが……。

 
 4月11日
 ヴェルから52回目の採血。枯死した植物細胞に滴下したところ、細胞が蘇生。新芽が出ることを確認した。おぞましいことだ。この血は、生命力を活性化させるどころか、新たな生命を生み出す可能性すらある。錬金術師たちのお伽話「ホムンクルス」も夢想の世界の話ではなくなるのだ。
 だがヴェルの力をそんなことに使わせるわけにはいかない。ルディも結婚した。あの3人は平凡な村人として残りの人生を穏やかに送るべきなのだ。
 エウランはそう思っていないようだが……。


 6月5日
 街で、山奥の古城の噂を聞いた。なんでも悪しき竜の時代の遺跡で、魔法に関する書物が眠っているらしい。山師たちの与太話の類ではあるが、あながち出鱈目でもないかもしれない。錬金術師としての直感があった。いずれ折を見て、探しに行きたい。帝室の血に関する手がかりがあるかもしれない。

 村に戻る時、同行したエウランの様子がおかしかった。この男は未だ、皇太子を帝都に帰還させる夢を捨てていないようだ。誰か人と会っていたらしいが、それが何者か気になる。

「誰だ!」

 気配がして、タフトはノートから視線を上げた。
 この焼け落ちた村に、自分以外の人間がいるはずがない。見ると、隣の焼け跡、ヴェルたちが住んでいた家の前に跪く影があった。

「エウランきさまぁ!!」

 間違いない、あの裏切り者が村に戻ってきたのだ。

「ひいい!!」

 タフトはエウランの襟首を掴み地面に転がすと、その上にまたがった。

「言い残すことはあるか?」

 その首を両腕で掴む。"伯爵"のノートの記述を読んだばかりだ。こいつが何を考え、誰と会っていたのか、"伯爵"が怪しんでいた行動が、今のタフトには手に取るようにわかった。"伯爵"が街に降りたその日、こいつはあのクロイスと昨日の殺戮の相談事をしていたのだ。

「申し訳ございません。申し訳……申し訳ございません!!」

 ひどくしゃがれた声でエウランは喚くように言った。

「私の責任であることは承知している。知らなかったんだ……クロイスが簒奪者に与していたなど……」
「"伯爵"はヴェルたちがこの村で平穏に暮らすことを望んでいた。なのにお前は!!」
「しかたなかったんだ!皇族のいるべきはこんな所じゃない!あのお方らは帝都に戻らなくてはならなかった!!」

 エウランは叫ぶ。それを聞いてタフとははっとした。

 俺にこの男を断罪する資格はあるのか?

 タフト自身だってそう思っていたじゃないか。ヴェルがいるべきはこんな田舎じゃない。彼女にはもっと相応しい場所があるって。
 だはらこそ、タフトは都会に憧れた。だからこそ……タフトもクロイスの甘言に乗せられてしまった……。

 他の村人たちだって同じだ。エウランの愚行を責める資格があるものがいるとすれば……それは"伯爵"だけだろう。

「殺せ……」

 タフトに首を掴まれたままのエウランがつぶやくように言った。

「私も、死ぬために軍を抜け、この村に戻ってきたのだ。もはや私に生きる価値などない。タフト、その手に力を入れて私をくびり殺せ!」

 そう言われたタフトは、エウランの首から手を離した。

「おい……」
「それでも……アンタはヴェルたちの父親がわりだったんだ。殺せないよ」

 言ってからタフトは首を横に振る。

「いや、アンタは死ぬな。生きて、帝都にもどれ」
「なんだと」
「そして俺に協力しろ。奴らを地獄に落とす!!」

 ふと、恐ろしいアイデアが浮かんでしまったのだ。
 俺が"伯爵"の後を継ぐのだ。伯爵はヴェルの血の力を知ろうとしていた。そして幸か不幸か、その力をタフトは得てしまった。サンプルならこの俺の中にいくらでも流れている。これを使い、俺は錬金術を極めるのだ。

「帝都で奴らの靴を舐めろ、どんな屈辱に塗れようとも、生き続けろ。そして俺が戻るのを待て」
「一体、どういう……」
「ヴェルの血の力で奴らに復讐をする。それが俺にとっての弔いだ……!」