「にんしき……何ですかそれは?」
「"認識迷彩"、我が主人の最大の研究成果です。彼が作るホムンクルスには、それぞれひとつだけ異能の力が与えられます」
「あなたもホムンクルスだったの!?」

 アンナは思わず腰を浮かせた。狭い車内なので、危うく天井に頭をぶつけそうになる。

「初耳よ?」
「申し訳ありません。隠すつもりはなかったのですが、説明するタイミングもなく……」

 確かに。マルムゼは自分の事を話すことは殆どない。いや、仕える者に聞かれもしないのに身の上話をする護衛なんているわけないからそれは当たり前だ。
 むしろ、役に立つなら何者でも構わないと、その正体を確かめようとしなかったアンナ自身の過ちだったのかもしれない。

「まあ、いいわ。それで、その異能というのは?」
「そもそも錬金術とは、王侯貴族がかつて使っていた魔法を復活させるもの、というのはご存じですね」
「もちろんよ」

 初代皇帝リュディスと、後に各貴族家の祖となる仲間たち。
 彼らは超常の力「魔法」を用いて民を救い、大陸を支配していた悪しき竜の王を倒した。そして彼らは自分たちの国を興し、王や皇帝となった。それが"百合の帝国"をはじめ周辺諸国の建国神話だ。
 しかし魔法の力は代を重ねるごとに弱まり、200年ほど前に完全に潰えたと言われる。
 貴族たちは学者を集め、王宮の一角で、魔法を復活させるための研究をさせた。錬金工房の始まりである。

「我が主人は、血こそが魔力の媒体だと考えました。階級社会を確立させるために貴族や王族の中だけで婚姻を重ねていった結果、互いの血の魔力が相反しやがて力が弱まっていったのだと」
「その説は私も論文を読んだことがあるわ。貴族たちが大騒ぎでしたね」

 家同士の結びつきを何よりも重視していた貴族にとって、その仮説は受け入れ難いものだった。
 自分達の権力を維持するためにやってきた血縁の繋がりが、自分達の権力の根拠だった魔法を奪ったということなのだから。
 なのでこの説は黙殺され、大々的な研究がされることはなかったはずだ。

「主人は、魔法時代の遺物に付着した英雄たちの血液を採取し、研究を続けました。結果、魔法を復活させるためには、魔力を帯びた血が流れる肉体が必要という結論に達したのです」
「つまりそれが……」
「はい。ホムンクルスです」

 アンナはごくりと唾を飲み込んだ。
 そういうことか。多くの錬金術師がエリクサーとホムンクルスの完成を求めたのは、それが命の創造という奇跡の技だからだ。
 魔法そのものの復活というより、魔法に等しき奇跡を自ら起こそうとした、というのが正しい。
 しかしマルムゼの主人は、ホムンクルスとエリクサーこそが、魔法復活の鍵と考えた。この発想だけでも、その者が非凡な錬金術師であったことがわかる。

「で、ホムンクルスであるあなたは、魔法の復活に成功したというの?」
「完全な復活ではありません。ですが、この血には確かに魔力が流れており、それでひとつだけ超常の力を得ることができました」
「それがさっき言った?」
「はい。"認識迷彩"です。相対した者の意識に介入し、私がその場にいる事に、あるいはいない事に違和感を抱かせないようにいたします」
「つまり……催眠術みたいなものかしら?」
「そう思って頂いて構いません。ただし、街の見世物小屋で行われてるものなど比べ物にならないほど強力です」
「だとすれば、とんでもない力ね」

 神話に登場する山を砕くような雷や、死者を蘇らせる秘術。それらに比べれば、なんとも小規模な技だ。
 しかしそれがどれだけ恐ろしい能力か、エリーナにはよくわかる。

「あなた、近衛隊には身分を偽って入ったと言ってましたね?」
「まさしく、この術を使ってます」
「その力を、例えば敵国の諜報機関が持っていたらと考えると、冷や汗が出ます……」
「あなた様の復讐のためには絶好の力でしょう? だからこそ我が主人も、この力を私にお与えになったと考えています」

 その言葉に、アンナは引っかかる。
 つまりこの青年は、最初から私の復讐のために生み出されたと?
 であるならマルムゼの主人とやらは、いつからフィルヴィーユ派の失脚や皇帝や貴族の陰謀を予測していたのか?
  相変わらずこの黒髪の近衛兵と、その背後にいる錬金術師の真意は掴めない。本当にこのまま彼と行動を共にして良いのか? そんな疑念もたしかにまだ残っている。

 けれど、私はもう引き返せないし、引き返すつもりもない。

「ところで」

 マルムゼはもうひとつ重大なことを言っていた。それについて、確認しないわけにはいかない。

「ホムンクルスには異能があると言ったわね? なら私にも何か力があるということ?」
「……力を使うということは、あなたが直接行動を起こすということ。どうかお控えください」

 回りくどい答えだった。

「その言い方は、あるのね?」
「……私の役目はあなたの護衛とお手伝い、後ろ暗い事は全て私のお任せを」
「それは、あなたの主人の意志?」
「いえ、私の判断です」

 であろう。今の話が本当なら、この肉体を作った者は私にも何か力を与えているはずだ。

「主人の命令を遂行するために、あなた様には力を使わせるべきでない。そう考えました」
「かまいません。教えて」
「……」

 マルムゼは押し黙る。それがアンナを守るためだと言わんばかりに。

「敵は皇帝と大貴族たち。力を出し惜しみして勝てる相手だとお思いですか?」

 その一言で、ようやく観念したようだ。
 
「……わかりました。ただし、あなた様のお力は諸刃の剣。使い所はよくお考えを」

 前置きしてから、彼はアンナの血が持つ力について説明を始めた。

「フフッ……フフフフッ! 」

 一通りの説明を聞き終えると、アンナは笑いを抑えきれなくなった。

「マルムゼ、やっぱりあなたの判断は間違いよ。あなたの主人は、私に最高の力を与えてくれた!」
「お約束ください。決して乱用しないと。その力は敵に大きな隙を曝け出すことにもなりますので」
「わかりました。けれど、これで私の計画は大幅に短縮することができます!」

 グレアン伯爵毛の乗っ取りには、ともすれば数年はかかると考えていた。でもこの力があれば――。

「半年もかからないでしょう。グレアン家は私の手中に落ちたも同然です」