「どうしたんだ村長、こんな時間に?」

 夜遅く、これから寝ようという時刻に呼び出しがあった。タフトは父親と共に村長の家へ向かう。ここは村の集会所も兼ねていて、重要な決め事を男たちで話し合う場所でもあった。

「ああ来たな。これで村の男たちは全員です」

 村長は横にいる男にそう言った。見たことのない男、それも軍人だった。赤い上着と鉄製の黒い兜は、徴税官の護衛としてついてくる男たちと同じ服装だ。

「全員?」

 タフトは尊重の言葉が気になった。
 ぐるりと広間を見回すと、確かに主だった男たちは揃っている。けどエウランとルディ、そして"伯爵"の3人がいない。
 このジジイ、やっぱ耄碌してるのか。タフトは心の中で思った。この老爺が村長になってから、もう40年以上経つらしい。近頃は物忘れが激しくなったと言うことで、息子にその任を任せて隠居しようという話も持ち上がっている。

「あの……」

 全員ではない、と言うことをタフトは村長とその隣の軍人に話した。

「いや、あの3人についてはよろしいのです」

 軍人は言った。髭面のいかつい男だが、以外にもその口調や物腰は柔らかかった。

「こんな遅くに集まっていただきありがとうございます。私は……」

 まず軍人は、簡単に自己紹介をした。帝都から特別な任務で派遣されてきたのだそうだ。
 そして任務の内容について、村人たちに説明を始める。その内容に男たちはざわついた。

「ルディが……御曹司……?」
「はい。もちろんお二人の妹君も、さる高貴なお方のご令嬢です」
「なんでそんなのが、こんな田舎に……?」
「十数年前、都で大きな政変がございました。あの方々のお父君はご自身が捕縛される前に、守役のエウラン殿に命じ、お三方を脱出させたのです」

 そして、逃避行の末にこの村に辿り着いた。そういうことらしい。
 
「……ああ、訳ありの偉い人なんだろうなと言う気はしていた」

 それは多分、村人全員が思っていたことだろう。訳ありでもなければ、あんな上品な兄妹がこんな田舎にやってくるはずがない。

「ちょっと待ってください。それじゃあもしかして"伯爵"も……」

 タフトは、自分の師匠のことを軍人に尋ねた。あの人も元はよそ者だったのだ。

「"伯爵"……? もしかして、メッセル伯爵もこの村に?」

 軍人の顔色が変わる。

「今お話しした政変で都を追われた方です。アカデミーを首席で卒業するほどの天才で、錬金工房の代表を勤めておりました」

 軍人の言葉に、男たちはさらにざわついた。

「"伯爵"って本当に伯爵だったのか」
「俺はてっきりホラ話かと……」
「都で1番の錬金術師ってのも本当だったのか」

 病気を治し、新しい農機具を作り、橋や水車の設計まてしてくれた村の恩人。誰もが"伯爵"のことを尊敬していたが、それほどの大人物は思わなかったらしい。

「なるほど、彼がこの村に……エウラン殿はメッセル伯を頼ったと言うことか……」

 軍人はぶつぶつと独り言をつぶやきながら、考えを整理している様子だった。

「で、軍人さん。あんたはどうしてルディたちがここにいるって知ったんだ? あいつらをどうにかする気なのかい?」

 タフトの父がそう尋ねた。村人たちに緊張が走る。"伯爵"はもちろん、エウランや三兄妹も今では立派なこの村の一員だ。特にルディは所帯まで持っている。

「どうか誤解なさらぬよう。私はあのお方たちを害する意思はありません。私がこの村を知ったのは、エウラン殿から直接聞いたからです」
「エウランから?」
「はい。私はあの方と旧知でして、先日街で偶然再開しました」

 そういえば、彼は2~3ヶ月に一度、街へでかけている。何かしらの用事があるようなのだが、その度に女たちは料理用の油や布地の買い物を頼んだりしている。

「彼からお三方のことを知り、皇帝陛下へ報告しました。そして陛下からは、帰還の手引きをするよう命じられたのです」
「陛下から?」
「はい。あれから十数年。都の政情は回復し、リュディス5世陛下の御名の下、平穏を取り戻しております。特に御曹司……ルディ様には、お父君の名誉を回復するためにも復帰していただきたいのです」
「そんな! それじゃあティーラはどうなるんだ!?」

 若くして夫を病で失い、子を成す前に未亡人となったティーラの事を、村の皆は気の毒に思っていた。だからこそ、ルディと再婚した時は誰もが2人を祝福したのだ。

「ルディとティーラは上手くやっている。アイツはもうこの村の一員だ!」

 そんな声が出てきて、それに頷く者もいた。

「……けど、この村はあいつらの本当の居場所じゃない」

 タフトはつぶやくように言った。ずっと抱いている思いだ。
 もちろんあの3人はそんなことを思っていないだろう。ヴェルもルディも、リーサだって積極的に村に馴染もうとしてた。村人たちにもそれは伝わっており、彼女たちを受け入れていた。でもヴェルたちまとっている空気は、ふとした時に「俺たちと違う」という思いをタフトに抱かせる。それをきっと本人たちは自覚していないし、嫌味と思ったこともない。でも、いつまでもこの村にいるべきじゃないという思わせる何かが、あの3人にはあるのだ。

「タフト……お前もそう思うか?」
「え?」

 タフトは顔を上げる。大人たちの中に、タフトの言葉に同意するものがいた。それが少し意外だった。

「前にエウランさんが言ったことがあるんだ。感謝はしているけど、理由あって永住するわけにはいかないって……。あの人、ルディたちの結婚も最初は反対してたろ。多分、こういう時が来るとわかってたんじゃないか?」

 ううむ……と唸るような声が何人もの大人たちから同時に漏れた。
 確かに、本来いるべき場所に帰れることができるのなら、俺たちは笑って見送るべきだ。けど、その一方でルディとティーラの仲を引き裂きたくないという思いもある。多分、みんな同じだ。

「そのティーラさんという方はルディ様とこの村、どちらをお選びになるでしょうか?」

 軍人が言う。

「どういうことです?」
「もしご本人が望まれるのであれば、ティーラさんもともに帝都に行く事はできるかと思います」

 思ってもいない言葉だった。そこにいた村人のほぼ全員が意外そうな顔をする。

「その……こう言ってはなんですが、ティーラをルディ……様の伴侶とお認めいただけるので?」
「もちろんです」
「いや、その……身分とかあるのでは?」

 ティーラは山深い田舎の未亡人だ。都の貴族社会に認められるなんて誰も思っていない。だから問題なんじゃないのか?

「今、帝都では、古い因習から脱却し、新たな国家を作ろうという機運が高まっています! その旗振り役は他でもない皇帝陛下ご自身。身分違いの恋と結婚は、新時代の象徴としてむしろ歓迎されると思います」
「なんと……」

 皆、感嘆の声を漏らす。大人たちは安堵の声を。
 そして若い衆はそこに喜びの色が交じる。身分違いの恋が認められるなら、自分とヴェルだってもしかしたら……彼女に恋している者は皆そんなことを考えたのだ。

「それに、向こうでの生活が落ち着いたら里帰りだってできるでしょう。逆に皆さんが帝都に行ったっていい。ですから、あの方々の帰郷を後押ししてはくれないでしょうか?」

 軍人は頭を下げる。そこまで言ってくれるのであれば、もはや反対する理由はなかった。男たちは彼の申し出に同意した。

「ただし懸念があります」
「懸念?」
「メッセル伯爵です」
「"伯爵"が?」

 軍人が言うには、"伯爵"は政変の際にてひどい裏切りを受けたために、都の人間に強い猜疑心を抱いているという。だから、自分がのこのこと説得に向かっても追い返されるばかりか、あの3人を連れて何処かへ逃走してしまう可能性すらあるということだった。

「まぁ、あの"伯爵"ならありえるわな」
「大の都嫌いなのは、俺たち村の者もよく知っているよ」

 彼と一緒にいる時間が最も多いタフトから見ても、その可能性は大いにあると思った。三兄妹とエウランをこの村に読んだのは"伯爵"だ。彼が、3人が都に戻ることを素直に認めるとは思えない。

「なので、皆さんには私と一緒に伯爵の説得に協力していただけないでしょうか?」
「もちろんだ。俺たちにできることは何だってするぜ」

 異論を挟むものはいない。その様子を見て、村長が話し合いを終わらせようとする。

「皆の意見は固まったようだ。よろしく頼みます。ええと……なんと申されたかな?」
「なんだよ村長、さっき名乗ってもらったのにもう忘れたのか?」

 どっとみなが笑う。

「申し訳ない。歳のせいで、物忘れが酷くて……」
「いえ、いいですよ。名乗ることくらい何度だっていたします」

 軍人は気さくに笑う。そして改めて自身の名を村長に告げる。

「リガール・ディ・クロイス大尉と申します。爵位こそありませんが、一応騎士の称号を持っております」