生まれたばかりの子供から、隠居した老夫婦まで含めても50人に満たない小さな村だった。
2日は歩かないと街にたどり着けないような辺鄙な土地だ。その街でさえ、さして大きいわけではない。
そんな村だから外界との接触は殆どない。
村の外とのつながりといえば、遠く帝都から年に2回やってくる徴税官と、気まぐれに訪れる行商人くらいだ。
だから、いつの間にか崖の上に小屋を作って住み着いた"伯爵"のことを、最初はみんな快く思っていなかったらしい。
「"伯爵"、いつも通りパンをもってきてやったぜ」
大きなバスケットを抱えた少年は、そう言ってドアを開けた。
無遠慮な入室だが、誰からも咎められない。そればかりか、少年の言葉への反応は全くなかった。
「おーい、"伯爵"いるんだろ?」
少年の二声目に対する反応もなし。しかし、この小屋が空き家というわけではない。
どこからか、奇妙な音が漏れている。いつものことだ。
「まったく、返事くらいしろよなー」
言いながら少年は、部屋の奥へと足を踏み入れた。奥の扉を開くと、地下へと続く階段があることを少年は知っている。
「"伯爵"!」
階段を降りると、一人の男が背を向けて立っていた。さらにその奥には、いくつものガラス製の容器が並べられており、その中に怪しげな色をした液体が入っているのも見えた。背中を向けている男は、その液体を見ながら紙に何かを書いているようだ。
「はーくしゃーく!!」
背中のすぐ後ろで、大声を上げると、男はようやく気づいたようだ。
「あ? おお、タフトか。どうした?」
「どうしたじゃねえよ! ほら、パン持って来てやったぞ!」
「ああ、ありがとう。いつも済まないな」
「いいって、"伯爵"はオレの命の恩人だからさ!」
そうは言ったものの、タフトと呼ばれたこの少年自身は、この男に命を救われた記憶はない。
それはタフトがまだ乳飲み子だった頃の話らしい。高熱を出し、生死の境をさまよっていた彼が、今こうして息しているのは"伯爵"が調合したという薬のおかげだと両親が話してくれた。
いつの間にか住み着いたこの怪しげな男を、村人たちは警戒していた。が、タフトの病気をきっかけに交流が生まれ、今では医者代わりに怪我や病気を見たり、農機具の修繕などを請け負っている。
「で、また錬金術の研究?」
タフトは並べられたガラス容器を見つめた。
「まぁ、そんなところだ」
「すっげえなぁ! "伯爵"って都で一番の錬金術師だったんだろ?」
「ああ、その通りだ」
"伯爵"は謙遜もせず、タフトの言葉を肯定した。
「じゃあさ、宮殿にも行ったことあるの?」
「行ったも何も、あそこは俺の仕事場だったのさ」
「マジかよ!? じゃあ皇帝にも会ったことあんの?」
「こらこら、陛下をつけろ」
"伯爵"はたしなめるように言う。実のところ、週に一度はこのやり取りをしてるのだが、タフトはまったく飽きない。
「オレもさぁ、大人になったら都に住みたいなぁ。こんな田舎の村じゃなくてさ」
「静かだし、気候は穏やかだし、いい村じゃないか?」
「でも何にもないぜ? 食い物だって毎日こんなパンや干し肉だしさ」
「日々三食、食べ物に困らない。十分贅沢さ」
「なんだよ、都には色々な食べ物があるって"伯爵"が教えてくれたじゃん」
「それはまぁ、そうだけどさ。お前が思うほどいい所じゃないぞ、都なんて」
"伯爵"は面白くなさそうに言った。
大人たちが言うには、"伯爵"はかつて本当にどこかの城の伯爵だったらしい。そして錬金術師として名を挙げ、宮廷錬金術師として宮廷に出仕していたのだという。
爵位持ちの宮廷錬金術師が、どうしてこんな僻地に住み着いたのか? その理由を、まだ幼いタフトは考えたこともない。
「で、今日はなにか手伝うことある? 朝のうちに畑のことはやっちゃったからどんな事もやるぜ?」
実験器具の掃除や、草木の採集などを、タフトは以前から手伝っている。そんな些細なことでも、大錬金術師の助手になったような気がして楽しいのだ。
「いや。今日は客人が来るんで、帰っていいぞ。母さんにパンのお礼をよろしくな」
「きゃくじん?」
この村ではほとんど馴染みのない言葉だ。意味はわかるが、少なくとも日常的に使うものではない。
「ごめんください」
頭上で声がした。
「おお、噂をすれば……というやつだ。思ったより早かったな」
言うと"伯爵"は階段を上がっていく。タフトもそれに続いた。
「お久しゅうございます、閣下!」
小屋の入り口に男が立っていた。ひと目見て、都の人間だと感じた。真っすぐ伸びた背筋と、草の根っこのような白い色の肌。父や、叔父たちとはまるで雰囲気が違う。
「おお! よくぞここまで無事だった」
「閣下こそ、あれから数年経ちますが、ご息災のご様子何よりです……」
かっか?
またも聞き慣れない言葉だ。どうやら"伯爵"のことを読んだみたいだが……。それ以外の言葉遣いも、村の大人たちとまったく違う。
「で、若君たちは? 一緒なのであろう?」
「はい。ですが、まずは2人だけで話を……と、そちらの子は?」
男は、"伯爵"の背後にいるタフトを見てきた。
「ああ、この村の子だ。そのこの家には色々と世話になっていてな」
「そうですか……」
「タフト。私はこの人と話があるんだ。今日はもう帰りなさい」
「……わかった」
タフトはこくりと頷き、小屋の外へと小走りに走っていった。
そのまま坂を下って家へと向かう……と見せかけて茂みに飛び込んだ。低木が生い茂る中を這い、坂をのぼっていく。この獣道は"伯爵"の小屋の裏に通じているのだ。
帰りなさいと言われて、黙って言う通りにするほど子供の好奇心とはおとなしいものではない。
めったに現れない都の人間とかつて都で錬金な術師をしていた"伯爵"がどんな話をするのか、タフトはなんとしても聞きたかった。
服に引っ付いた小枝や葉っぱを払い落とすこともせずに、タフトは小屋の裏手へと走り寄った。そしてある程度近づくと、足音を立てないように速度を落とす。壁伝いにそろりそろりと這い寄ると、"伯爵"とあの男の声が、漏れ聞こえてきた。
「新宰相のグレアン公爵は……模様です」
「……皇族は徹底的に……されてしまい……」
「陛下はバティス……城に……」
「しかし……特にクロイス……」
「……血を絶やして……ならぬ」
かすかに聞こえる二人の会話の意味を、タフトはほとんど理解することが出来なかった。しかしそれでも、特別なやり取りを間近で聞いているという高揚感はタフト少年の心を高揚させた。
そしてその高揚は、すぐ後ろに人影があることをまったく気づかせなかった。
「あらあら、盗み聞きなんてはしたないわよ?」
「!!?」
心臓が口から飛び出るほどの衝撃を覚える。が、"伯爵"に蜜香て怒られないよう、大声を出すことだけはかろうじて我慢した。
「だ、だれ……?」
恐る恐る振り返る。そしてタフトは、天使を見た。
「キミ、この村の子かしら?」
「……」
タフトよりと年上の少女だった。先程の男よりも一層白く透き通るような肌と、陽の光に照らされてキラキラと煌く金色の神。その美しさに目を奪われてしまい、タフトはただ呆然としていた。
「あれ、聞こえてますか? キミ、この村の子よね?」
「え、あっ!……う、うん!」
どぎまぎしながら細切れの返事を返す。その様子に少女はくすりと笑った。
「私はユーヴェリーア……と、この名前は捨てろと言われたのよね……ユーヴそれともヴェル……かしら?」
少女はなにやら考え込んでいた。
「うん! ヴェルがいいわ。どうか私の事はヴェルと呼んでちょうだい!」
金髪の少女はにこりと微笑んだ。その微笑みにタフトは恋をした。それこそがすべての始まりだった。
少女の可憐な微笑みに惹かれたがために……百年にも及ぶ呪いの生を、タフト歩むこととなる。
2日は歩かないと街にたどり着けないような辺鄙な土地だ。その街でさえ、さして大きいわけではない。
そんな村だから外界との接触は殆どない。
村の外とのつながりといえば、遠く帝都から年に2回やってくる徴税官と、気まぐれに訪れる行商人くらいだ。
だから、いつの間にか崖の上に小屋を作って住み着いた"伯爵"のことを、最初はみんな快く思っていなかったらしい。
「"伯爵"、いつも通りパンをもってきてやったぜ」
大きなバスケットを抱えた少年は、そう言ってドアを開けた。
無遠慮な入室だが、誰からも咎められない。そればかりか、少年の言葉への反応は全くなかった。
「おーい、"伯爵"いるんだろ?」
少年の二声目に対する反応もなし。しかし、この小屋が空き家というわけではない。
どこからか、奇妙な音が漏れている。いつものことだ。
「まったく、返事くらいしろよなー」
言いながら少年は、部屋の奥へと足を踏み入れた。奥の扉を開くと、地下へと続く階段があることを少年は知っている。
「"伯爵"!」
階段を降りると、一人の男が背を向けて立っていた。さらにその奥には、いくつものガラス製の容器が並べられており、その中に怪しげな色をした液体が入っているのも見えた。背中を向けている男は、その液体を見ながら紙に何かを書いているようだ。
「はーくしゃーく!!」
背中のすぐ後ろで、大声を上げると、男はようやく気づいたようだ。
「あ? おお、タフトか。どうした?」
「どうしたじゃねえよ! ほら、パン持って来てやったぞ!」
「ああ、ありがとう。いつも済まないな」
「いいって、"伯爵"はオレの命の恩人だからさ!」
そうは言ったものの、タフトと呼ばれたこの少年自身は、この男に命を救われた記憶はない。
それはタフトがまだ乳飲み子だった頃の話らしい。高熱を出し、生死の境をさまよっていた彼が、今こうして息しているのは"伯爵"が調合したという薬のおかげだと両親が話してくれた。
いつの間にか住み着いたこの怪しげな男を、村人たちは警戒していた。が、タフトの病気をきっかけに交流が生まれ、今では医者代わりに怪我や病気を見たり、農機具の修繕などを請け負っている。
「で、また錬金術の研究?」
タフトは並べられたガラス容器を見つめた。
「まぁ、そんなところだ」
「すっげえなぁ! "伯爵"って都で一番の錬金術師だったんだろ?」
「ああ、その通りだ」
"伯爵"は謙遜もせず、タフトの言葉を肯定した。
「じゃあさ、宮殿にも行ったことあるの?」
「行ったも何も、あそこは俺の仕事場だったのさ」
「マジかよ!? じゃあ皇帝にも会ったことあんの?」
「こらこら、陛下をつけろ」
"伯爵"はたしなめるように言う。実のところ、週に一度はこのやり取りをしてるのだが、タフトはまったく飽きない。
「オレもさぁ、大人になったら都に住みたいなぁ。こんな田舎の村じゃなくてさ」
「静かだし、気候は穏やかだし、いい村じゃないか?」
「でも何にもないぜ? 食い物だって毎日こんなパンや干し肉だしさ」
「日々三食、食べ物に困らない。十分贅沢さ」
「なんだよ、都には色々な食べ物があるって"伯爵"が教えてくれたじゃん」
「それはまぁ、そうだけどさ。お前が思うほどいい所じゃないぞ、都なんて」
"伯爵"は面白くなさそうに言った。
大人たちが言うには、"伯爵"はかつて本当にどこかの城の伯爵だったらしい。そして錬金術師として名を挙げ、宮廷錬金術師として宮廷に出仕していたのだという。
爵位持ちの宮廷錬金術師が、どうしてこんな僻地に住み着いたのか? その理由を、まだ幼いタフトは考えたこともない。
「で、今日はなにか手伝うことある? 朝のうちに畑のことはやっちゃったからどんな事もやるぜ?」
実験器具の掃除や、草木の採集などを、タフトは以前から手伝っている。そんな些細なことでも、大錬金術師の助手になったような気がして楽しいのだ。
「いや。今日は客人が来るんで、帰っていいぞ。母さんにパンのお礼をよろしくな」
「きゃくじん?」
この村ではほとんど馴染みのない言葉だ。意味はわかるが、少なくとも日常的に使うものではない。
「ごめんください」
頭上で声がした。
「おお、噂をすれば……というやつだ。思ったより早かったな」
言うと"伯爵"は階段を上がっていく。タフトもそれに続いた。
「お久しゅうございます、閣下!」
小屋の入り口に男が立っていた。ひと目見て、都の人間だと感じた。真っすぐ伸びた背筋と、草の根っこのような白い色の肌。父や、叔父たちとはまるで雰囲気が違う。
「おお! よくぞここまで無事だった」
「閣下こそ、あれから数年経ちますが、ご息災のご様子何よりです……」
かっか?
またも聞き慣れない言葉だ。どうやら"伯爵"のことを読んだみたいだが……。それ以外の言葉遣いも、村の大人たちとまったく違う。
「で、若君たちは? 一緒なのであろう?」
「はい。ですが、まずは2人だけで話を……と、そちらの子は?」
男は、"伯爵"の背後にいるタフトを見てきた。
「ああ、この村の子だ。そのこの家には色々と世話になっていてな」
「そうですか……」
「タフト。私はこの人と話があるんだ。今日はもう帰りなさい」
「……わかった」
タフトはこくりと頷き、小屋の外へと小走りに走っていった。
そのまま坂を下って家へと向かう……と見せかけて茂みに飛び込んだ。低木が生い茂る中を這い、坂をのぼっていく。この獣道は"伯爵"の小屋の裏に通じているのだ。
帰りなさいと言われて、黙って言う通りにするほど子供の好奇心とはおとなしいものではない。
めったに現れない都の人間とかつて都で錬金な術師をしていた"伯爵"がどんな話をするのか、タフトはなんとしても聞きたかった。
服に引っ付いた小枝や葉っぱを払い落とすこともせずに、タフトは小屋の裏手へと走り寄った。そしてある程度近づくと、足音を立てないように速度を落とす。壁伝いにそろりそろりと這い寄ると、"伯爵"とあの男の声が、漏れ聞こえてきた。
「新宰相のグレアン公爵は……模様です」
「……皇族は徹底的に……されてしまい……」
「陛下はバティス……城に……」
「しかし……特にクロイス……」
「……血を絶やして……ならぬ」
かすかに聞こえる二人の会話の意味を、タフトはほとんど理解することが出来なかった。しかしそれでも、特別なやり取りを間近で聞いているという高揚感はタフト少年の心を高揚させた。
そしてその高揚は、すぐ後ろに人影があることをまったく気づかせなかった。
「あらあら、盗み聞きなんてはしたないわよ?」
「!!?」
心臓が口から飛び出るほどの衝撃を覚える。が、"伯爵"に蜜香て怒られないよう、大声を出すことだけはかろうじて我慢した。
「だ、だれ……?」
恐る恐る振り返る。そしてタフトは、天使を見た。
「キミ、この村の子かしら?」
「……」
タフトよりと年上の少女だった。先程の男よりも一層白く透き通るような肌と、陽の光に照らされてキラキラと煌く金色の神。その美しさに目を奪われてしまい、タフトはただ呆然としていた。
「あれ、聞こえてますか? キミ、この村の子よね?」
「え、あっ!……う、うん!」
どぎまぎしながら細切れの返事を返す。その様子に少女はくすりと笑った。
「私はユーヴェリーア……と、この名前は捨てろと言われたのよね……ユーヴそれともヴェル……かしら?」
少女はなにやら考え込んでいた。
「うん! ヴェルがいいわ。どうか私の事はヴェルと呼んでちょうだい!」
金髪の少女はにこりと微笑んだ。その微笑みにタフトは恋をした。それこそがすべての始まりだった。
少女の可憐な微笑みに惹かれたがために……百年にも及ぶ呪いの生を、タフト歩むこととなる。