男は、高い尖塔の上にいた。この城が竜退治の拠点として使われていた頃、見張り台として建てられた施設だ。
その最上階に小さな部屋がある。ここ数年は、この部屋のみが男の世界だった。
かつては男は、この古城の全てを取り仕切っていた。主君と仰いだ者が、正当な地位を取り戻すため、この地で様々な研究を行なっていた。その研究によって、この国が誤った方向へ進もうとしている。
それに気づいた時には、何もかもが遅かった。
かつて主君だった者は、不定期にこの部屋にやってきて、男の頭の中を覗く。
彼はこの時代に自由に魔法を使う、ほぼ唯一の人間だ。どれだけ離れても人の存在を察知し、人の心を読み、人の認識に嘘の事実を書き込む。彼が心得ている魔法は、彼の家系の中でも、とりわけ邪悪なものだった。
かつての主君はこの魔法を用い、男の頭の中身を全て暴こうと試みていた。
男もまた、錬金術の知識の総力をもって抵抗を試みていた。……が、少しずつ男の守りは崩されていった。
電磁気を用いた巨砲、自在に空を航行する飛行船、周囲の景色に溶け込む偽装。これら戦争を根底から覆してしまう錬金術のアイデアは全て彼に奪われた。そして……最後の叡智が奪われるのも時間の問題だった。
(もはやこれまでか……)
今、彼の知識によって作られた巨砲は、この国の各地で猛威を振るっているという。
かつての主君の野望は最終段階に入ろうとしている。それを完遂させないために残された道。男にとってはそれはひとつしかなかった。
(私の全知全能を、命と共に消し去ってしまえば……)
塔の窓から身を乗り出す。地面は、遥か彼方にあるように見えた。これだけ高いところから落下すれば、いかに長命種の血を飲んだ自分でもの頭蓋でも簡単に粉々となるだろう。
もう100年近く罪にまみれた生を送ってきた。これ以上の大罪を犯さぬためにも、こんな命は砕いてしまったほうがよいのだ。
「許せ……」
誰にかけるともない言葉をつぶやくと、男は足を窓枠にかけ、その上に立った。山地特有の冷たい風が全身を包み込む。
この永き生の締めくくりとなる景色を瞳に収めるためまっすぐ前方を見据えた。
「あれは……」
すると、太陽が西へ傾きかけた空に、ぼんやりと白い円が見えた。
それが何なのかはすぐにわかった。他でもない、男が作り出したものだ。魔力操作で、風景と溶け込む装置。それを積んだ気球がまっすぐこの尖塔に向かってやってくる。
「エリーナ……我が娘……」
なぜそう感じたかはわからない。が、その男サン・ジェルマンは確信をもってその名をつぶやいた。
その最上階に小さな部屋がある。ここ数年は、この部屋のみが男の世界だった。
かつては男は、この古城の全てを取り仕切っていた。主君と仰いだ者が、正当な地位を取り戻すため、この地で様々な研究を行なっていた。その研究によって、この国が誤った方向へ進もうとしている。
それに気づいた時には、何もかもが遅かった。
かつて主君だった者は、不定期にこの部屋にやってきて、男の頭の中を覗く。
彼はこの時代に自由に魔法を使う、ほぼ唯一の人間だ。どれだけ離れても人の存在を察知し、人の心を読み、人の認識に嘘の事実を書き込む。彼が心得ている魔法は、彼の家系の中でも、とりわけ邪悪なものだった。
かつての主君はこの魔法を用い、男の頭の中身を全て暴こうと試みていた。
男もまた、錬金術の知識の総力をもって抵抗を試みていた。……が、少しずつ男の守りは崩されていった。
電磁気を用いた巨砲、自在に空を航行する飛行船、周囲の景色に溶け込む偽装。これら戦争を根底から覆してしまう錬金術のアイデアは全て彼に奪われた。そして……最後の叡智が奪われるのも時間の問題だった。
(もはやこれまでか……)
今、彼の知識によって作られた巨砲は、この国の各地で猛威を振るっているという。
かつての主君の野望は最終段階に入ろうとしている。それを完遂させないために残された道。男にとってはそれはひとつしかなかった。
(私の全知全能を、命と共に消し去ってしまえば……)
塔の窓から身を乗り出す。地面は、遥か彼方にあるように見えた。これだけ高いところから落下すれば、いかに長命種の血を飲んだ自分でもの頭蓋でも簡単に粉々となるだろう。
もう100年近く罪にまみれた生を送ってきた。これ以上の大罪を犯さぬためにも、こんな命は砕いてしまったほうがよいのだ。
「許せ……」
誰にかけるともない言葉をつぶやくと、男は足を窓枠にかけ、その上に立った。山地特有の冷たい風が全身を包み込む。
この永き生の締めくくりとなる景色を瞳に収めるためまっすぐ前方を見据えた。
「あれは……」
すると、太陽が西へ傾きかけた空に、ぼんやりと白い円が見えた。
それが何なのかはすぐにわかった。他でもない、男が作り出したものだ。魔力操作で、風景と溶け込む装置。それを積んだ気球がまっすぐこの尖塔に向かってやってくる。
「エリーナ……我が娘……」
なぜそう感じたかはわからない。が、その男サン・ジェルマンは確信をもってその名をつぶやいた。