ブレアスがうまくやってくれたためか、敵が第6軍団の攻勢に気を取られているためか、そこから先は誰に捕捉されることなく進むことができた。
 途中、遠くから聞こえる炸裂音が胸を締め付ける。
 先ほど崖の上から見ていた時と、その音の聞こえ方がまるで違う。無数に連続する起伏で視界が限られているため、友軍たちが置かれている状況はまったくわからない。
 いや、自分たちのことすら把握できない。もしかしたら次の瞬間にはアンナたちに目掛けて砲弾が飛んで来ることだってありうる。あの気球が自分達を捕捉していないなどという確証はないのだ。

(これが、戦場の兵士たちの感覚……)

 アンナも前線に視察に出たことはあるが、戦場に立ったことはない。想像以上の不安と恐怖が、心臓を鷲掴みにする。そうか、兵士たちはこんな思いを描きながら戦っていたのか……。

「顧問殿、深呼吸してください」

 ゼーゲンが手綱を操り、アンナの隣に来た。

「戦場の空気に飲まれると、それだけで思考と動きが鈍ります。そして、そうなった者から死んでいく。まずは呼吸を整えてください」
「ゼーゲン殿……ありがとう」

 言われた通り胸を膨らませて、あらん限りの空気を体内に取り込んだ。不思議と、それだけで心の中に光が差し込むような心地がする。

「見てください、もうあれだけ近づいています」

 ゼーゲンは気球を指差す。それはもはやホムンクルスの視力でなくても十分に確認できるほど近づいていた。

「さて、シュルイーズ博士。ここからどうする? 気球には近づけたかもしれないが、アレに乗り込んだり撃ち落としたりするのは無理だぞ」
「ええ。ですから、またあなたをこき使うことになります」

 シュルイーズは応える。その言い方に、ゼーゲンは眉根を歪めた。

「……何をさせるつもりだ?」
「バルフナー博士と訓練していたでしょう? 異能の反転です」
「なるほど……アレか」
「異能の反転?」

 アンナには聞きなれない言葉だった。