翌日。ルアベーズ反乱鎮圧のため、帝国正規軍第6軍団が進発した。この軍団は、先のクロイス事変の際も顧問派の戦力として活躍しており、アンナと政治的友好度が高い。
その隊列の中に、軍用ではない4両の馬車があった。顧問アンナが率いる視察団と表向きには伝えられているが、官僚はそのうち先頭の1両にしか座乗していない。残り3両に乗せられた人員や機材について、アンナはどこにも公表していなかった。
「予定通り、この軍団はルアベーズ西方の街サン・オージュを本陣とします。が、我々はサン・オージュ到着後すぐに離脱します」
アンナはゼーゲンとシュルイーズに言った。
「ご公務の方はよろしいのですか？」
ゼーゲンが尋ねる。
「ええ、先頭の馬車に乗るのは私が選りすぐった官僚たちです。彼らは私がいなくとも、見るべきものを見て、誰にも文句を言わせない程の報告書を書いてくれるでしょう」
「旧フィルヴィーユ派と伺っていますが……」
「ええ、シュルイーズ博士。フィルヴィーユ派壊滅後、地方に左遷されていた者たちを私が呼び寄せたのです」
「かの英明な寵姫は、錬金術研究に熱意を燃やしていたと聞きます。もしもご存命でしたら、私たちの心強い仲間となったでしょうなぁ」
「……そうですね」
シュルイーズの言葉に、アンナは心の中で苦笑した。彼にはアンナの正体までは打ち明けていない。かの寵姫が自分の目の前にいる女だと知ったら、この青年学者はどう思うのだろう？
そしてすぐに、一つの可能性に思い至る。
（私の頭と身体を隅々まで調べさせろ、くらいの事を言うわね、この人は……）
良くも悪くも自身の知的好奇心が第一の人だ。深い思慮と分別を持つバルフナー博士ならともかく、彼に自分自身を検体として差し出すのは抵抗があった。よほどの必要性が出てこない限り、自分の正体については黙っておこう。
「それで、本体から離脱した後はこちらの街道を？」
ゼーゲンが話を戻す。彼女は机に広げた地図上の線をなぞった。
「ええ。先頭以外の3両の馬車で、北に向かいます。恐らくそのエリアのどこかに、サン・ジェルマンの私説錬金工房があるはずです……！」
顧問アンナのルアベーズ視察は、敵対派の追及を避けるためのものと宮廷では思われている。もちろんそれも理由のひとつではある。
だが、転んでもただでは起きないのがアンナ・ディ・グレアンという女性だ。周囲からの無言の圧力で決まった視察を、アンナは隠れ蓑として利用するつもりだった。
「各地の農民反乱で錬金術を用いた兵器が使用されているという情報は、反乱勃発直後から報告されていました」
反乱軍を支援する旧クロイス派貴族は、もともと錬金術を独占してきた階層の者たちだ。錬金術の供与があってもおかしくはない。当初はそう思われていたが、ルアベーズ伯爵らの私兵隊が最も簡単に敗れたため、未知の兵器が使用されている可能性も出てきた。
「ルアベーズ伯爵から正規軍の要請があった後、私はこの地域の通行を重点的に調査をさせました」
「それで、錬金兵器の輸送ルートが明らかになったのですね」
先回りして結論を話すゼーゲン。それにアンナはうなずいた。
「かつてマルムゼが、サン・ジェルマン伯爵の拠点を特定するため帝国全土を調査をしたことがありました。その時は確証に至らなかったのですが、このあたりは拠点が存在する可能性が高い地域としてリストアップされていました」
「その時に得られなかった確証を、今回の輸送ルート発見でついに掴んだ、という事になりますね」
「今更ながら、私はマルムゼにあらゆる面で助けられていたのだと実感します。常に私の横にありながら、情報収集の面でこれほど大きな成果を上げてくれた……」
アンナはそう言いながら、車両の最奥に安置された大きな箱に目を向けた。
その箱は、6頭立ての大型馬車の一角を占拠するほどに大きい。単なる物入れではない。横の一辺は大人の背丈ほどもあり、全体は細長い形状となっている。棺を思わせるような大きさと形だ。
「……中の状態は？」
アンナはシュルイーズに尋ねる。
「極めて安定しています。長期間工房を離れるのが心配でしたが、生命維持のための機械を用いなくても問題ないことが確認できました。当初我々は仮死状態と呼んでいましたが、動物の冬眠のほうが近いのではないかと思います」
「そうですか」
アンナは立ち上がり、馬車の揺れに気をつけながら『棺』に近づく。
「……待ってて」
『棺』には中の状態を確認するための小窓がいくつか取り付けられている。アンナはその中の一つをのぞきこむ。最愛の人の顔がそこにあった。
クロイス事変で負傷し、長い眠りについたホムンクルス。最も信頼のおける腹心であり、今の肉体を得る前から恋人だった男性。
「もうすぐだから」
アンナにとっては今回の旅の最大の目的はサン・ジェルマン伯爵と会うことだった。反乱地域の視察や、錬金兵器輸送ルートの制圧はさのみならばもっと多くの人員を使っている。
ゼーゲンとシュルイーズ。そしてこの2人が選抜した腕利きの兵士と錬金術師。わずが3両の馬車で収まってしまうほどの少数精鋭で向かうのは、かの大錬金術師との対峙を誰にも悟られないようにするためであった。
そしてこれは、自分の出自を明かす旅でもある。
封印されていた記憶が解放されるたびに強固になっていた確信。自分の父タフトの正体。サン・ジェルマンの名を隠し、一介の職人になりすましていた理由。そして彼はなぜ、娘である自分とその恋人アルディスをホムンクルスにしたのか？ 彼の野望はどこにあり、アンナはどんな役割を求められていたのか？
あらゆる謎に決着をつける時がついにきたのだ。
しかし今のアンナにとって、何よりも大切なのはこの箱に横たわる恋人だ。彼を治せるのは、造物主たるサン・ジェルマンしかいない。それが今回の旅の最大にして最優先の目的である。
（マルムゼ……いえアルディス！ 約束するわ。私は必ずあなたを取り戻してみせる……！）
アンナは意識のない彼の顔に、誓いを立てた。
その隊列の中に、軍用ではない4両の馬車があった。顧問アンナが率いる視察団と表向きには伝えられているが、官僚はそのうち先頭の1両にしか座乗していない。残り3両に乗せられた人員や機材について、アンナはどこにも公表していなかった。
「予定通り、この軍団はルアベーズ西方の街サン・オージュを本陣とします。が、我々はサン・オージュ到着後すぐに離脱します」
アンナはゼーゲンとシュルイーズに言った。
「ご公務の方はよろしいのですか？」
ゼーゲンが尋ねる。
「ええ、先頭の馬車に乗るのは私が選りすぐった官僚たちです。彼らは私がいなくとも、見るべきものを見て、誰にも文句を言わせない程の報告書を書いてくれるでしょう」
「旧フィルヴィーユ派と伺っていますが……」
「ええ、シュルイーズ博士。フィルヴィーユ派壊滅後、地方に左遷されていた者たちを私が呼び寄せたのです」
「かの英明な寵姫は、錬金術研究に熱意を燃やしていたと聞きます。もしもご存命でしたら、私たちの心強い仲間となったでしょうなぁ」
「……そうですね」
シュルイーズの言葉に、アンナは心の中で苦笑した。彼にはアンナの正体までは打ち明けていない。かの寵姫が自分の目の前にいる女だと知ったら、この青年学者はどう思うのだろう？
そしてすぐに、一つの可能性に思い至る。
（私の頭と身体を隅々まで調べさせろ、くらいの事を言うわね、この人は……）
良くも悪くも自身の知的好奇心が第一の人だ。深い思慮と分別を持つバルフナー博士ならともかく、彼に自分自身を検体として差し出すのは抵抗があった。よほどの必要性が出てこない限り、自分の正体については黙っておこう。
「それで、本体から離脱した後はこちらの街道を？」
ゼーゲンが話を戻す。彼女は机に広げた地図上の線をなぞった。
「ええ。先頭以外の3両の馬車で、北に向かいます。恐らくそのエリアのどこかに、サン・ジェルマンの私説錬金工房があるはずです……！」
顧問アンナのルアベーズ視察は、敵対派の追及を避けるためのものと宮廷では思われている。もちろんそれも理由のひとつではある。
だが、転んでもただでは起きないのがアンナ・ディ・グレアンという女性だ。周囲からの無言の圧力で決まった視察を、アンナは隠れ蓑として利用するつもりだった。
「各地の農民反乱で錬金術を用いた兵器が使用されているという情報は、反乱勃発直後から報告されていました」
反乱軍を支援する旧クロイス派貴族は、もともと錬金術を独占してきた階層の者たちだ。錬金術の供与があってもおかしくはない。当初はそう思われていたが、ルアベーズ伯爵らの私兵隊が最も簡単に敗れたため、未知の兵器が使用されている可能性も出てきた。
「ルアベーズ伯爵から正規軍の要請があった後、私はこの地域の通行を重点的に調査をさせました」
「それで、錬金兵器の輸送ルートが明らかになったのですね」
先回りして結論を話すゼーゲン。それにアンナはうなずいた。
「かつてマルムゼが、サン・ジェルマン伯爵の拠点を特定するため帝国全土を調査をしたことがありました。その時は確証に至らなかったのですが、このあたりは拠点が存在する可能性が高い地域としてリストアップされていました」
「その時に得られなかった確証を、今回の輸送ルート発見でついに掴んだ、という事になりますね」
「今更ながら、私はマルムゼにあらゆる面で助けられていたのだと実感します。常に私の横にありながら、情報収集の面でこれほど大きな成果を上げてくれた……」
アンナはそう言いながら、車両の最奥に安置された大きな箱に目を向けた。
その箱は、6頭立ての大型馬車の一角を占拠するほどに大きい。単なる物入れではない。横の一辺は大人の背丈ほどもあり、全体は細長い形状となっている。棺を思わせるような大きさと形だ。
「……中の状態は？」
アンナはシュルイーズに尋ねる。
「極めて安定しています。長期間工房を離れるのが心配でしたが、生命維持のための機械を用いなくても問題ないことが確認できました。当初我々は仮死状態と呼んでいましたが、動物の冬眠のほうが近いのではないかと思います」
「そうですか」
アンナは立ち上がり、馬車の揺れに気をつけながら『棺』に近づく。
「……待ってて」
『棺』には中の状態を確認するための小窓がいくつか取り付けられている。アンナはその中の一つをのぞきこむ。最愛の人の顔がそこにあった。
クロイス事変で負傷し、長い眠りについたホムンクルス。最も信頼のおける腹心であり、今の肉体を得る前から恋人だった男性。
「もうすぐだから」
アンナにとっては今回の旅の最大の目的はサン・ジェルマン伯爵と会うことだった。反乱地域の視察や、錬金兵器輸送ルートの制圧はさのみならばもっと多くの人員を使っている。
ゼーゲンとシュルイーズ。そしてこの2人が選抜した腕利きの兵士と錬金術師。わずが3両の馬車で収まってしまうほどの少数精鋭で向かうのは、かの大錬金術師との対峙を誰にも悟られないようにするためであった。
そしてこれは、自分の出自を明かす旅でもある。
封印されていた記憶が解放されるたびに強固になっていた確信。自分の父タフトの正体。サン・ジェルマンの名を隠し、一介の職人になりすましていた理由。そして彼はなぜ、娘である自分とその恋人アルディスをホムンクルスにしたのか？ 彼の野望はどこにあり、アンナはどんな役割を求められていたのか？
あらゆる謎に決着をつける時がついにきたのだ。
しかし今のアンナにとって、何よりも大切なのはこの箱に横たわる恋人だ。彼を治せるのは、造物主たるサン・ジェルマンしかいない。それが今回の旅の最大にして最優先の目的である。
（マルムゼ……いえアルディス！ 約束するわ。私は必ずあなたを取り戻してみせる……！）
アンナは意識のない彼の顔に、誓いを立てた。
