「どういう風の吹き回しかね?」

 その日の前日、グレアン侯アンナはリアン大公の邸宅であるベルーサ宮を訪れていた。用向きは、以前より彼から要望があった帝都における劇場建設についてである。

「つい先日まで、わたしがこの話を進めるのを嫌がっている様であったが……今になって、共同で建設を進めたいと言うのか?」
「事情が変わったのです。此度の政変で、バティス・スコターディ城は正式に帝室の管轄となりました。法務省やその背後にいるクロイス派を気にする事なく、劇場建設を進めることができるようになったのです」
「クロイス派か……」

 皇弟リアンは、カップを手にすると、中に満たされた黒褐色の液体を揺らした。湯気とともに湧き立つ珈琲の香気を楽しむように、リアンは目を瞑ると、それきり何も言わずに口を閉ざしてしまった。

「……」

 ちがう、そんな話をそに来たわけではない。
 真の目的と全く違う話を切り出してしまった自分に、アンナは苛立ちを覚える。しかし、単刀直入にあの話をすれば、皇弟の疑心を買うだけでもある。最新の注意をはらいながら話を進める必要があった。

 
「……クロイス公は、劇場建設に反対していたのかな?」
「いえ、決してそういうわけでは。しかし、バティス・スコターディ城についてはその管轄をめぐって彼らと違憲の食い違いがあったため、もしそのお話をすれば、揉め事は必然だったかと思います」
「おや、私の見解とは少し違うな。むしろ揉め事を起こそうとしていたのは、君の方だったように見えたが?」
「……!?」
「痛い腹を探られたくないから、君はあの城にわたしが介入することを拒絶した。その上、まるで子供がかんしゃくを起こすように馬鹿げた火祭りを行い、強引に全て解決しようとした……違うか?」

 いつになく、皇弟は辛辣だった。いや、もともとこういう気性の人物だ、たまたまこれまで矛先がアンナに向けられていなかっただけであり、敵に回せばこの人ほど厄介な相手はいないのだ。

 リアンの言う通りである。 そもそも今回の政変をアンナに決断させたのは、この劇場建設の話が発端であった。
 先先代のグリージュス公爵に持ちかけられたまま、頓挫してしまったという劇場建設問題の解決を、大公がアンナに求めてきたのだ。
 
 それ自体は非常に取るに足らない話である。しかしリアン大公は知ってか知らずか、アンナの悩みの種を的確に突いてきた。バティス・スコターディ城だ。アンナが法務省と管轄をめぐって争っていた監獄城の名を持ち出すことで、リアンはこの問題を政争の要に引きずり出そうとしたのだ。

 その真意がどこにあるのかは、今もアンナにはわからない。
 しかし、アンナとクロイス派の争いにリアン大公が介入するとなれば、話は劇場建設のみに留まるはずがない。故に、多少無理をしてでも状況を変える決断を、アンナは迫られることとなったのである。

「なぁ、アンナ。この部屋には私しかいない。腹を割って話そう。君が望んでいることはなんだ? 私と一緒に劇場建設がしたい? そうじゃないだろう?」
「……」

 アンナとてその話をしに、ここベルーサ宮を訪れたのだ。相応の覚悟はしてきている。が、主導権を握られたまま、口を開くのには抵抗感があった。

「むしろ、劇場建設をさせないためにここにきたのではないか? 共同で建設を進める体を装って、何らかの都合をつけて工事を遅らせる。君の真意はそうであろう?」

 アンナはぎゅっとスカートの裾を握り込んだ。光沢のある淡い水色の生地に不自然なシワがよる。

「あの城に何があるのだ? 君は一体、何を隠している?」

 全てを打ち明ければ、リアンは味方になってくれるだろうか? 少なくとも表立って敵に回ることはないだろう。その秘密はきっと、この孤独な皇弟が潜在的に抱いていた恐れも取り去ることになる。
 しかし、その恐れが消えた後、この人が何を目指す様になるか、それが全く予想できない。最悪、この国を滅ぼす元凶にだってなりかねない。
 けど、それでも今はこの人を味方につける必要がある。政変がかならずしもアンナにとって良い結末とならなかった今、味方が必要なのだ。全ての秘密を共有し、ともに戦ってくれる味方が。

(アルディス、私に勇気を……!)

 アンナは心の中で、今は仮死状態となり錬金工房で眠る恋人の名をとなえる。そして、皇弟リアンの眼を見据えた。

「全て、お話しします。ただし……相応の覚悟をなさってください」

 * * *