午後 3:55 東苑・親愛帝アルディス1世の別宅(パビリオン)の火災はようやく鎮火した。
 シュルイーズ博士が持ち込んだ、新式放水銃は超高圧で水塊をぶつけて炎を消すものだが、1発撃つごとに水を補充する必要がある。すべての火を消し止めるために、ゼーゲンは裏手の小川と邸内を10回ほど往復する必要があった。

 彼女が日を消し止める間、アンナは横たわるマルムぜの前でうずくまっていた。燃え盛る邸内からアンナとシュルイーズを連れ出したあと、ゼーゲンがまず最初にやったのはマルムゼの救出だ。
 彼は1階の大理石の床の上で突っ伏していた。熱によってヒビが入り崩壊していた彫刻群のすぐ横だったそうだ。
 アンナとマルムゼからやや距離をおいて場所には2つの骸が横たえられている。ウィダスとグリージュズ公爵。マルムゼとともに落下したウィダスは彫刻群の瓦礫の上に全身を強く打ち付けて、その時点で事切れていたという。そしてグリージュス公クラーラはそのウィダスによって殺されていた。

「すべての火を消し終わりました。建物自体は修復すれば元に戻せるでしょうが、美術品は全滅です」

 放水銃を抱えたゼーゲンが戻ってきた。

「ゼーゲン殿……マルムゼはまだ生きているのよね?」
「はい。私の"領域明察"の異能は、私を中心とした一定範囲内の人間や異能の存在を察知することができます。この能力がまだ、マルムゼ殿のホムンクルスの気配を察知しています」
「なら……どうして彼は目覚めないの!? 呼吸も、心臓も止まっている……どうしてそれで生きていると言えるの!?」
「それは……」
 
 ゼーゲンは言葉に詰まる。その顔を見てアンナは自己県をに陥る。

(私はとことん駄目だ。自分の不甲斐なさを棚に上げて、人に当たり散らすなんて……)

 こんな姿をもしマルムゼが……いや、アルディスが見たらさぞ幻滅するだろう。

「それはもしかしたら、身体が強化されたホムンクルスならではの現象かもしれません」

 シュルイーズが金色に輝く金属塊をいくつも抱えながらやってきた。

「シュルイーズ博士……?」
「いやあ、案の定でした。この金属塊には自然界に存在するより遥かに強い魔力が込められていました。これが人間の五感に作用し、外部からこの別邸に近づけないようになっていました。ゼーゲン殿の異能がなければ、我々もここに来られたかどうか……」
「博士、今おっしゃったのはどういう事ですか?」
「え? ああ、この金属塊の仕組みで……」
「そうでなく! ホムンクルスの現象というのは!?」

 シュルイーズがズレた回答をするのを遮るように、アンナは問い直した。

「ああ、そっちですか。あくまで私の仮説ですが、回復能力の強化が、マルムゼ殿を仮死状態にしているのかと」
「どういう事です?」
「ゼーゲン殿、以前あなたが任務で負傷されたとき、その治癒の様子をバルフナー博士が観察したことがありましたね?」

 シュルイーズはアンナの問いに答えずに、ゼーゲンに向き直って尋ねた。

「ありましたね。腕に深い裂傷を負いました」
「あの時のバルフナー博士のレポートを読んだのですが、回復が始まる寸前、あなたの右腕は血流が止まり生命活動の形跡が全く見られなかったそうですね」
「ええ。博士はまるで死体の腕のようだと言っておいででした」
「もしかしたら、ホムンクルスの細胞は回復する前に一度死ぬのかもしれません」
「じゃあ……マルムゼもこのあと回復が始まってもとに戻ると……?」

 希望を感じる解釈に、自然とアンナの口元が緩む。が、シュルイーズは無情に首を横に振った。

「今申し上げた通り、これはあくまで私の仮説です。それにマルムぜ殿は、全身を痛めつけられていた。もしこの後、本当にが始まるにせよ、肉体すべてが仮死状態になっている状態では、魂にどのような影響があるかもわかりません。肉体と魂は不可分。もし肉体の回復が始まっても、その前に魂がもたなければマルムゼ殿は生ける屍となってしまうでしょう……」
「そんな……」

 アンナの顔が再び絶望に染まる。

「ですが、希望がひとつだけあります」
「え……?」
「エリクサーです」
「エリ……!」

 それは、エリーナが死の間際に飲まされた、サン・ジェルマン伯爵が作り出した液体だ。体内に入ったそれはエリーナの魂を肉体から絡め取り、分離させることに成功した。そして、彼女の魂はアンナのホムンクルスの肉体へと移植されたのである。

「エリクサーでマルムぜ殿の魂を一時的に抜き出すことができれば、肉体の死が及ぼす影響を防ぐことができます」

 なるほど。ホムンクルスが作られる過程を考えれば、確かにその可能性はある、けど……。

「肝心のエリクサーの製法を知っているのはサン・ジェルマン伯だけです。我々に作り出すことは……」
「だから探し出すのです、エリクサーのレシピか、あるいはサン・ジェルマン伯爵本人を!!」
「博士……」

 どこまでも自己本位で、常に飄々としていた若き錬金術師の瞳が、熱気をはらんだ輝きを伴って、アンナを見つめていた。これほど真っ直ぐで強い眼差しを、この男から向けられるのは初めてだった。

「不肖シュルイーズ。バルフナー博士とともに……いえ、錬金工房の総力をあげて、マルムゼ殿をお救いします! 顧問殿はどうか、ご自分のなさるべき戦いにご専念くださいませ」
「私の……戦い……」