『お命いただきます……』

 マルムゼもまた、封印されていた記憶が蘇っていた。

 早朝の戦陣。ここは全軍を見渡せる丘の上だ。
 切り立った崖となっており、眼下には前日の豪雨で水量と流速がました川が流れている。

 そして激しい痛み。右手首の先が消えている。剣を抜き放とうとしたその寸前、目の前の男によって斬り飛ばされたのだ。

『お前は……』

 マルムゼは目の前の男を見て愕然とする。彼の腕を飛ばしたのは皇帝マルムゼ3世……。いや違う、恐らくこいつはマルムゼ=アルディス。
 そしてこの時、自分はこう思っていた。

 影武者のお前が何故……と。

『陛下あなたにはここで退場していただきます』

 マルムゼ=アルディスの背後にいる男がそう言う。幼き頃から共に育てられ、大人になってからは密偵として尽くしてくれた、近衛兵の男。

『ウィダス……これはどういう事か!?』
『申し訳ないが私とこの者は、クロイス公と道を共にさせていただく』
『なに?』
『あなたとフィルヴィーユ派が推し進めている改革。アレはやり過ぎです。これ以上あなたの声望が高まれば、我が悲願が叶えにくくなる』
『何を言っているのだお前……悲願とはどういう……』

 言い終わる前に、マルムゼ=アルディスの剣が首元を狙ってきた。

『ごちゃごちゃ言わず、アンタは俺に帝位をよこせばいいんだ!』

 倒れ込むようにしてそれを交わす。続け様に、近衛兵たちのいる天幕の方へ走ろうとした。が、ウィダスの蹴りが腹部を貫いた。

『ゴフゥっ……!』

 胃液が逆流し、全身の筋肉が瞬時に硬直した。昨夜、作戦会議をしながら腹に入れた堅パンとチーズが逆流する。

『無駄ですよ。私の指示で、向こうの天幕には今誰もいません。この丘の上にいるのは、我々3人だけです』
『マスター、長引けば近衛兵たちも怪しみます。早くやってしまいましょう』

 マルムゼ=アルディスがウィダスに言う。

『まあ待て。この男もなぜこれから死ぬのか、理由くらいは知りたかろう』

 今まで聞いた事ないような、無二の腹心の冷たい声だった。それで直感する。これは単なる謀反ではない。ずっと昔から周到に練られていた計画だ。これまでの彼との友情も、この日の裏切りのための準備に過ぎなかったのだ。

『お前は知らなくて良いことだ、少し距離を置け』
『は、それはどういう……?』
『いいから離れていろ』

 ウィダスが強めの語調で言うと、マルムゼ=アルディスは、しぶしぶと後退した。
 
『あなたは私をウィダス子爵の一人息子と思っていたかもしれませんが……実は別の名前があるのです』
『べ……つの……な?』

 今の蹴りで内臓をやられたのか、うまく声を出すこともできない。

『我こそは真なる皇帝リュディス5世の血を引きし、正統なる後継者、リュディス7世。呪わしき簒奪者の血を引くあなたに変わり、この帝国を正しき方向へと導く者』
『な……』

 何を言ってるのだこの男は? 黄金帝の血を引く? 簒奪者の血……?

『……と、まあ、こんなことを言っても誰も信じないでしょう。それにあなたは偉大すぎる。帝位を奪回するにも、大義名分がないのです』

 ウィダスは、不服そうな顔をしているマルムゼ=アルディスの方を見た。

『だから、しばらくはあの男に皇帝をやらせます。あなたと比べるべくもない無能な男ですが、そこはクロイス公がよしなにしてくれるでしょう。この国が滅ぶことはありません』

 ここまで聞いて、この男の計画の輪郭が見えてきた。させない。そんな事、断じて許すものか。

『ですが国は大いに乱れ、民の恨みは帝室と貴族たちに向けられるでしょう。そこで私の出番となります。私が民の代表として宮廷の全てを覆し、正しい王朝を復活させるのです』
『ふざ……けるな……そんなこ……』

 まだうまく舌が回らない。が、体力は戻ってきた。こいつらの暴挙を止めるためにもなんとかしてここを離脱……。

『そんなわけで、あなたの遺体すらも残すわけにはいかないのです。お許しを』

 最後の最後まで活路を探していたが、ウィダスはそれを許さなかった。
 彼の短剣は胸を貫き、鍔元まで深く食い込んだいった。

『うおああああああ……!!』

 絶叫。

『おさらば』

 ウィダスの声。そして二度目の蹴り。身体が宙に浮き、崖の下の激流へと転がり落ちていった。