「マルムゼ! 惑わされないで!」

 アンナは叫んだ。

「ウィダスの戯れ言よ! 隙を見せてはダメ!」
「承知!!」

 マルムゼは跳躍する。寸前まで彼の身体があった場所に何かがぶつかる。ウィダスが別のランプを掴み、投げつけてきたのだ。香油が飛散し、麝香の臭気とともに炎が走った。

「そうよ、ウィダスの戯れ事……私たちを惑わすための……」

 アンナは同じ言葉を繰り返した。自分に言い聞かせるために。

 アルディスが生きていた……それもずっと自分の側にいた? ……馬鹿な。
 確かにマルムゼはホムンクルスだ。アンナがそうであるように、彼にも今の肉体を手に入れる前の人生があったはずなのだ。
 彼自身はその記憶がないと言っていた。アンナも彼の過去が気にならないわけではなかったが、それ以上に考えるべき事が多く、解き明かすつもりはなかった。
 それが、こんな形で明かされるなんて……。

(ううん、違うでしょ! 明かされたわけじゃない。これは、あの男のまやかし……)

 そう思おうとする一方で、アンナの頭脳は「答え合わせ」を始めていた。

 あの男はまず、マルムゼの正体に気づき、そこからアンナの正体に行きついた。アンナの過去の名がエリーナだというのは事実だ。ならばマルムゼの正体も……?

 なぜ彼は皇族の一日のスケジュールを知悉していた?
 なぜ彼は卓越した剣の腕を持っていた?
 なぜ彼は私に尽くしてくれた?

 それらは別の理由を並べることも難しくない。皇族に近しい者なら、彼らのスケジュールは知っている。確かにアルディスは剣術を得意としていたが、彼以上の剣の使い手はいくらでもいる。アンナに尽くしてくれたのは、サン・ジェルマン伯爵からの命令に他ならない。
 そうだ、否定する術はいくらでもある。

(じゃあ私はなぜ……?)

 私に対しての「なぜ」に、私は自信を持って答える事ができるのか?

 なぜ、私はマルムゼを愛した?

「えっ……!」

 不意に、アンナの四方を覆っていた壁が消滅したような錯覚を覚えた。
 自分を押さえつけていた何がが霧散する。この感じをアンナは前にも味わった事がある。帝都の地下で。

「ホムンクルスの……記憶のロック……」

 それまで全く思い出すことのなかった記憶が蘇る。ウィダスの言葉により、封印が解除されたという事か。

 * * *