ウィダスはサーベルを振るい、刃に付着した血を飛ばし払った。
 さらにクラーラのスカートの裾を手に取り、飛ばしきれなかった血と脂を拭いとる。婦人の遺体のスカートで剣を拭うなど、極めて下衆な行為だが、自分の体や衣服に証拠を残すわけにもいかないので仕方ない。

「……」
 
 続いて彼は、室内を照らす壁のオイルランプを見た。親愛帝アルディス1世の時代にはまだガス灯のような便利なものはない。ここは無人の邸宅だが、いつ皇族の誰かが美術鑑賞のために訪れるかもわからないので、毎朝使用人が1日分の香油を注いでまわるのだ。
 この手の、一見無駄としか思えない贅沢が、ヴィスタネージュでは高貴なるもの振る舞いとして称賛される傾向がある。
 ウィダスにとっては馬鹿馬鹿しい限りだが、今この場では好都合だ。

「念には念をいれ、だな」

 ウィダスは、ランプに手を伸ばす。クラーラを遺体をこの別邸ごと燃やしてしまうつもりだった。ウィダス子爵はともかく、ダ・フォーリス大尉がここにいたなどという物証が見つかってはまずい。偽の皇帝が偽の権力を使って集めた忌々しい収蔵品もろとも、全て灰にしてしまおう。

「偽の栄華に芯まで浸っていた君には、最高の弔い方だな、クラーラ」

 そう言いながらランプの端を掴んで取り外そうとした瞬間、ウィダスは殺気が自身に襲いかかってくるのを感じた。

「なっ!?」

 とっさにサーベルを翻し、一撃を防ぐ。刃と刃がぶつかり火花が爆ぜた。ウィダスはその衝撃の反動を使って後方へ跳躍する。相手も同じように跳び退る。

「これはどう言うことだ、ウィダス子爵!」

 強烈な一撃を喰らわせてきたのは、ウィダスがよく知る人物だった。かつて近衛隊長だった頃の部下であり、今は最も警戒している人物の腹心となった男……。

「マルムゼ、意外な場所で会ったな。お前がここにいるということは……」

 ウィダスはマルムゼの後方に視線をずらし、入り口に立つ女性を見つけた。

「やはりあなたも一緒か、顧問閣下……!」
「お久しぶりです、ウィダス子爵。ご領地へ戻り爵位を継いだとは聞いていましたが……色々と聞かなくてはならぬ事がありそうですね!」
「見られてしまったは仕方ありません。あなたの才は惜しいが、そこに転がってる女と同じ運命を受け入れていただけますか」
「何を言うか、痴れ者が!」

 マルムゼの白刃が煌めいたかと思うと、風圧を伴った斬撃が喉元に飛んできた。とっさにウィダスは身を翻す。

「おっと危ない。危うく俺の方が女と同じ運命を辿るところだった」

 軽口を叩きながら、ウィダスも反撃の太刀を繰り出す。が、こちらも相手の身体にかすることなく空振りに終わる。
 そこからは両者の剣と剣の応酬が始まった。
 マルムゼが突き、ウィダスがかわす。ウィダスが薙ぎ、マルムゼが受け止める。刃と刃、身体と身体が何度もぶつかり、あるいは交差する。攻勢と後退が秒単位で目まぐるしく入れ替わる。さらに応酬は、繰り返すごとに速さと鋭さを増していく。

「腕が立つ男とは思っていたが、ここまでとはな!」
「あなたこそ……!」

 刃のぶつかり合いは瞬く間に20合を数えた。優美な曲線を描いていた業物のサーベルに、何ヶ所か刃こぼれが生じている。
 これまでの人生で、凄腕の使い手と切り結んだことは幾度もあったが……これほどの相手とやり合うのは久しぶりだ。

「いや、待て……?」

 不意に、何かがウィダスの記憶を刺激した。
 この斬撃、この身のこなし。初めての気がしない。これと似た……というより全く同じ剣と対峙した事がある。

 あれは……。

「隙あり!」

 眼前の敵以外に思考が及んだその瞬間、マルムゼの身体が突っ込んできた。急ぎ上体を捻って刃を交わそうとするが間に合わない。マルムゼの剣の切先が、ウィダスの右手の甲を貫いた。

「ぐうっ!?」

 * * *