「まだ煙は消えていませんね」
「南苑で一体何があったのでしょう、恐ろしい……」
 
 午後0:14 皇妃の村里の一室には、女帝マリアン=ルーヌの他に9名の男女がいた。いつもは真珠の間に集う女帝の友人たちだ。
 昨日、顧問アンナは女帝に村里への避難を要請した。
 彼女は今日、クロイス派の壊滅させるつもりでいる。軍を動かし、ヴィスタネージュの郊外に展開させているところからも、彼女の本気が伺える。
 女帝を前日のうちにこの村里に移したのも、クロイス派が暴発して、彼女に危害を加えることを警戒してのことだ。

『ならば我らも村里に行き、陛下をお守りしようではないか!』

 昨夜、真珠の間で勇ましくそう言った若い伯爵は、先ほどの爆発の後、部屋の隅でガタガタと肩を震わせてうずくまっていた。
 あまりにも情けない姿だが、それを笑う者はいない。他の貴族たちも似たり寄ったりなのだ。かく言うクラーラ自身、宮廷を襲った未曾有の事態に心臓を握りつぶされそうな圧迫感を感じている。

「なんでこんなことに……?」
「顧問ですわ。あの方が勝手にクロイス公と喧嘩を始めたのがいけないのではなくて?」

 そんな事を話す夫人2人を、クラーラは嗜める。

「ベレラ夫人、ティストール夫人、陛下の前で不躾ですよ!」
「あっ!」
「も、申し訳ありません陛下」

 2人は、部屋の中央に座女帝マリアン=ルーヌに平伏する。顧問アンナは女帝の唯一無二の親友なのだ。ただ、彼女は政務に向いっきりで真珠の間を訪れることが少ないため、この2人の貴婦人はその認識が希薄だったのだろう。

「良いのです2人とも。正直なところ、私もアンナの真意を掴みかねていますので……」

 女帝の表情は物憂げだった。
 昨年のクーデターの後、女帝が定めた方針はクロイス派との共存だった。
 曲がりなりにもこれまで国家運営に携わってきたクロイスはの面々には、継続して政務に当たってもらう。同時にグレアン侯爵アンナを女帝の顧問とし、大きな権限を与えて政治に参画させる。それで貴族社会の力関係に均衡をもたらしたはずだった。
 しかしわずか1年でその均衡は崩れ、アンナは実力をでクロイス派を排除しようとしている。見ようによっては、これは女帝がアンナに面目を潰されたに等しい。もともとアンナも、徐々にクロイス派の力を削いでいく方針だったはずだ。だが彼女は豹変した。

「もちろんアンナのこと。何か考えがあるのだろうし、彼女の政治の才を私は信用しています。それでも……」

 女帝の顔を見て、クラーラは自分の中の野心がうずくのを感じた。

 女帝と顧問の間に亀裂が生じるとしたら、それは願ってもいないチャンスではないか?

 昨年、クロイス派を見限ってより、ずっとこの2人に仕えてきた。我が娘にグリージュス家を相続させるためだ。
 しかし、2人とも自分のことを完全に信頼していないことは肌で感じていた。女帝にとっては顧問が全てであり、顧問はクラーラを使い勝手の良い道具としか見ていない。
 そんな2人にかしずき、女官長の勤めを果たす日々に、いつしかクラーラは屈辱を覚えるようになっていた。

 せめて、どちらかがいなければ……。

 マリアン=ルーヌ以外の皇帝ならば、自分やグリージュス家の価値を認めてくれたであろう。あるいは、顧問アンナがいなければ、女帝とて自分を頼りにしてくれたかもしれない。
 そんな想いは日ごとに増していった。

 2人とクラーラの関係に微妙な変化が訪れたのは夏頃からだ。天災続きのため政務に追われるようになったアンナに代わり、自分が宮廷行事を取り仕切ることが増えていった。
 クラーラは懇意にしてきた貴族たちを真珠の間に集め、アンナがおらず退屈そうにしている女帝の話し相手、遊び相手となるように仕向けたのだ。
 このまま、2人の距離が離れていけば、この新たな友人たちを取り仕切るクラーラが顧問に成り代わる日も来るかもしれない。そう思うようになっていった。
 もちろん、簡単にいくことではない。クラーラにはアンナの他にも何人か邪魔者がいる……。

「ところで、グリーナはまだ見つからないの?」

 女帝が不安そうな声で、クラーラに尋ねてきた。

「申し訳ありません、使いを出して探させていますが、ポルトレイエ婦人の消息はまだ掴めておらず……」
「そう……、あの爆発に巻き込まれたりしていなければいいのだけど……」

 女帝はそう言うが、クラーラは真逆のことを期待していた。
 グリーナ・ディ・ポルトレイエ伯爵夫人は、真珠の間の新顔だ。あの男……今はダ・フォーリス大尉を名乗る、前戦争大臣ウィダスがどこからか連れてきた女……。
 どういうわけか彼女とダ・フォーリスのことを、女帝は殊の外気に入っている。その寵愛は、明らかにクラーラよりも上であった。
 首尾よくアンナを排除できたとしても、ポルトレイエがすげ変わったのでは意味がない。女帝が必要以上にのめり込む前に、彼女には退場して貰う必要がある。
 もし今日の政変に巻き込まれ、命を落としていればこれ以上のことはない。

「申し訳ないけど、どうしても連絡を取りたいの。可能ならここに来てほしい。お願いします、グリージュス夫人」
「……承知しました」

 そう応じるが、クラーラは必要以上のことをやるつもりはなかった。

「さあさあ皆さん! 軽食を用意しましたわ」

 その時扉が開き、場違いなほど明るい声が部屋に響いた。

「エスリー夫人!」

 声を聞いて女帝の顔が明るくなる。エスリー子爵夫人は、女帝がまだ皇妃だった頃からの彼女の友人だ。
 ああ、そうだ。こいつらも邪魔だな。と、クラーラは思った。