午前11:12 アンナは、マルムゼを伴い南苑に到着した。

「なんと愚かなことを……」

 クロイス家の別邸の他、その周囲にあった貴族の居館が黒煙の中に包まれている。
 南苑の建物は、もともと謁見に訪れた貴族たちの待機所が発展したもので、ひとつひとつの建物は郊外にある貴族の別邸と比べると小規模だ。したがって庭もそれほど広くはなく、建物と建物の距離も近い。
 そのため、クロイス家で発生した火災は近隣の館に燃え広がっていた。
 衛兵隊長が、顧問の来着に気がつき部下と共に駆け寄ってくる。

「顧問閣下、このような事態を起こしてしまい大変申し訳ございません」
「状況は?」
「はい。ただいま南苑担当の3隊で消火活動にあたっておりますが、この規模の火災は想定しておらず、他の区域からの応援を呼んだところです」
「錬金工房には連絡しましたか?」
「は? いえ、それはまだ……」
「倉庫に、試作品の大型ポンプがあるはずです、それを使い運河の水を汲み上げなさい」
「はっ! 直ちに」

 隊長の横に控えていた衛兵が、すぐさま駆け出した。
 もともとエリーナ時代に、前線の陣地構築のために開発したものだ。試作品はうまくいったのだが、貴族の横槍で制式配備を見送られることとなった。以来、倉庫で埃をかぶったままになっているのを、工房再開時に確認している。まさかこんな形で役立つとは思わなかったが……。

「それにしても、一体何が起きたのですか?」

 アンナはまだ状況を理解できていない。
 大廊下でクロイス公が刃傷沙汰を起こし、彼の私兵が突入した直後のことだ。謁見の間で衛兵に指示を出していた時に、凄まじい轟音が響き、部屋全体が揺れた。大廊下で右往左往していた貴族たちの悲鳴も足音も、その轟音でぴたりと止み、異様な静けさが本殿を支配した。
 そして窓から外を見ると、南苑で黒煙がもうもうと立ち昇っていたのである。

「火元はクロイス公爵の別邸。まだ正確なところはわかりませんが、爆発の規模から考えると、地下に大量の爆薬が隠されていたと思われます」
「爆薬……ね」

 馬車で南苑に急行する最中、アンナもその可能性には思い至っていた。と言うよりあの轟音を聞き、この黒煙を見れば、それ以外考えられない。

「なぜそんなものをここに……?」

 いくらクロイス家の別邸とはいえ、ここは皇宮の敷地内だ。そのような危険物を持ち込むことは当然許されていない。
 宰相の権力を使えば、密かに持ち込むことは可能ではあろう。しかし、その理由がわからない。

「まさか、こう言う事態が起きることを予期していたとでも?」
「ありえますな」

 ラルガ侯爵が近づいていきた。
 彼もアンナを追うように、謁見の間からここに急行したらしい。

「クロイス公たちは姿を消しました。どうやらこの爆発を目眩しに使ったようです」
「私たちの計画が公爵に漏れていたと?」
「いえ、それならばブラーレ伯たちの抱き込みもうまくいかなかったでしょう。公爵自身にとっては不測の事態。ですがそれを予見していた別の人物がいたと考えるのが自然かと」
「なるほど……」

 思い当たる人物がいる。ルコットが出産のために隠れ住んでいた別邸の警護役だ。
 密かに調査を進めていたマルムゼたちを手玉に取り、コウノトリ……ホムンクルスを用いてルコットの出産を偽装する錬金術師たちの正体を隠し通した、凄腕の密偵。その人物なら、このくらいのことをやってのけても不思議はない。

(だとすれば、その人物の次の一手は……?)
 
 アンナは背筋の悪寒を覚え、東の空を見た。東苑には今、極めて重要な人物が2人いる。

 ひとりは寵姫ルコットの館にいるドリーヴ大公アルディス。名目上アルディス3世の遺児であり、クロイス公の実の孫だ。あの赤子は、公爵が挙兵する大義名分となる。
 
 そしてもうひとり、言うまでもなく女帝マリアン=ルーヌ。この混乱に乗じて、()()()()()()()()()()かが彼女を襲撃すれば現政権は大きな痛手を被る。
 それはクロイスの一族が代々得意としてきた手口だ。

「陛下が危ない……! 急ぎ東苑へ兵を!!」