ベルーサ宮は帝都中心部、最も賑やかな区画にある。
4つの通りに面した外周部を、ぐるりと細長い建物が取り囲み、中央に広大な中庭を持つ宮殿だ。
その中庭は、公園として開放されていて、帝都市民の憩いの場となっている。加えて、皇弟の私有地でもあるため警察の立ち入りが許されていない。
人は多いが警察は入れない場所。そういうところには必ず不逞な輩が集まるものだ。
帝国第二位の権威者の居城は、過激思想家の演説会場や、娼婦たちのたまり場となっていった。今や、帝都で最も過激な場所として認知されているらしい。
「アルディス帝が名君と呼ばれたのも今や過去の話。すっかり貴族の豚どもに飼いならされてしまった」
アンナが中庭に足を踏みれると、さっそく威勢のいい言葉が聞こえてくる。
「やはり貴族や皇族には任せておけん! 平民の権利は、平民が戦って手に入れるべきだ!!」
「そうだ! 奴らを排除して、平民による国家を作るべきだ!!」
「帝政を打倒せよ!」
テーブルを並べ、酒やコーヒーを出すカフェのような店が、過激な主張を行う者たちのたまり場のようだ。
この店は2年前にはすでに存在したが、客の言葉はここまで過激ではなかった。
「ここの家主であるリアン大公も、一応皇族だけどもね」
「話の分かる帝室の異端児として彼らには人気のようです。皇弟殿下にこそ帝位を継いでほしいと、もっぱら評判の様子」
「そういうところは相変わらずなのかしら」
アンナはかつてのリアン太公を知っている。彼は昔から、ならず者を惹きつける妙なカリスマを持っていた。家督の相続権を持たない、貴族の次男坊三男坊を引き連れ、よなよな乱痴気騒ぎを起こしていたような時期もあった。
『どこまで、帝室の名誉に泥を塗れば気が済むのだ』
そんな愚痴を、皇帝アルディスはよくこぼしていた。
「一方で、文化芸術の保護者としても名高い。そやなだけな人物ではなさ……そ……」
不意にマルムゼの言葉がつまる。
「うん、どうかしたの?」
見ると、マルムゼはアンナから顔を背けていた。
「ふーん。何を見たのかしら、マルムゼ?」
黒髪の青年の不審な挙動を、アンナは見逃さない。いたずら心が鎌首をもたげ、意地悪くマルムゼに質問する。
「あの、それは……」
青年は、あんなの胸元から目を背けたらしい。
アンナはオレンジのワンピースから、古着屋で見つけた服に着替えていた。
同じくワンピースだが、趣はだいぶ違う。こちらは夜空のような濃い青。デコルテが大きく開き、腰回りのラインが強調された、ややセクシーなデザインだ。
本来は夜会のための仕立てなのだろうが、リアン太公の好みの装いでもある。
古着と言っても、まだまだ綺麗でシミもほつれも一切ない。恐らく、貴族の子女が2~3回袖を通して飽きた所で処分されたのだろう。そういった服は古着屋に回され、今度は中流階級の女性が着回すのだ。
「その……今の装いは、いささか目のやり場に困ると言いますか……」
マルムゼはしどろもどろに答える。
「でも、この場所では当たり前の格好よ。あちらの物陰にいるご婦人方も同じような装いでしたし」
アンナはわざととぼけてみせる。昼間からこんな場所でこんな服装をしているは、娼婦たちに他ならない。
「アンナ様、わかってて仰ってますよね!」
やや強めの語気で、マルムゼはとがめる。
突如大声になった黒い軍服の青年を見て、テーブルの客たちはひそひそと何かを話していた。
「クス……逆にあなたは目立っているわね」
「失礼しました……。近衛兵の軍服なんて、彼らにしてみれば倒すべき権力の象徴でしょうから」
思えば昨日の職人街跡地の暴漢たちも、この黒字に金刺繍の軍服を見て敵意を抱いたのかもしれない。
「本当に、私は着替えなくてよかったのですか? この姿で、ここに集う人たちに好意を持ってもらうのは難しそうでが……」
「良いのよ、あなたはその格好で。むしろ、その格好だからこそ良いのです」
「なにか考えがおありで?」
「そうね、ともかく中に入りましょう!」
中庭を抜けた先には北通り沿いの城館が建つ。ここがベルーサ宮の本殿とも言える建物で、リアン大公が生活しているのもここだ。
「骨董商ティスタンの使いです。お約束の”藤色”の短剣の件で殿下にご相談がございます」
「ふむ。初めてみる顔だが……よかろう、入れ」
守衛の兵士は、アンナとマルムゼを通してくれた。その先には別の使用人が控えている。建物の内部は、彼が案内してくれるらしい。
「骨董商? ”藤色”の短剣? さっきのは一体何です?」
使用人に聞こえない大きさの声で、マルムゼは尋ねてきた。リュディスの短剣の拵えに、藤色の装飾など一切無い。
彼の問いに、アンナも小声で返す。
「リアン大公が、贔屓の文化人に教えている合言葉よ。名乗るときに”藤色”という言葉を使う人間だけが、この離宮のサロンに案内されるの」
「……どうしてそんな事をご存知で?」
「だってその合言葉を考えたのは私ですもの」
そう言うとアンナはいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
4つの通りに面した外周部を、ぐるりと細長い建物が取り囲み、中央に広大な中庭を持つ宮殿だ。
その中庭は、公園として開放されていて、帝都市民の憩いの場となっている。加えて、皇弟の私有地でもあるため警察の立ち入りが許されていない。
人は多いが警察は入れない場所。そういうところには必ず不逞な輩が集まるものだ。
帝国第二位の権威者の居城は、過激思想家の演説会場や、娼婦たちのたまり場となっていった。今や、帝都で最も過激な場所として認知されているらしい。
「アルディス帝が名君と呼ばれたのも今や過去の話。すっかり貴族の豚どもに飼いならされてしまった」
アンナが中庭に足を踏みれると、さっそく威勢のいい言葉が聞こえてくる。
「やはり貴族や皇族には任せておけん! 平民の権利は、平民が戦って手に入れるべきだ!!」
「そうだ! 奴らを排除して、平民による国家を作るべきだ!!」
「帝政を打倒せよ!」
テーブルを並べ、酒やコーヒーを出すカフェのような店が、過激な主張を行う者たちのたまり場のようだ。
この店は2年前にはすでに存在したが、客の言葉はここまで過激ではなかった。
「ここの家主であるリアン大公も、一応皇族だけどもね」
「話の分かる帝室の異端児として彼らには人気のようです。皇弟殿下にこそ帝位を継いでほしいと、もっぱら評判の様子」
「そういうところは相変わらずなのかしら」
アンナはかつてのリアン太公を知っている。彼は昔から、ならず者を惹きつける妙なカリスマを持っていた。家督の相続権を持たない、貴族の次男坊三男坊を引き連れ、よなよな乱痴気騒ぎを起こしていたような時期もあった。
『どこまで、帝室の名誉に泥を塗れば気が済むのだ』
そんな愚痴を、皇帝アルディスはよくこぼしていた。
「一方で、文化芸術の保護者としても名高い。そやなだけな人物ではなさ……そ……」
不意にマルムゼの言葉がつまる。
「うん、どうかしたの?」
見ると、マルムゼはアンナから顔を背けていた。
「ふーん。何を見たのかしら、マルムゼ?」
黒髪の青年の不審な挙動を、アンナは見逃さない。いたずら心が鎌首をもたげ、意地悪くマルムゼに質問する。
「あの、それは……」
青年は、あんなの胸元から目を背けたらしい。
アンナはオレンジのワンピースから、古着屋で見つけた服に着替えていた。
同じくワンピースだが、趣はだいぶ違う。こちらは夜空のような濃い青。デコルテが大きく開き、腰回りのラインが強調された、ややセクシーなデザインだ。
本来は夜会のための仕立てなのだろうが、リアン太公の好みの装いでもある。
古着と言っても、まだまだ綺麗でシミもほつれも一切ない。恐らく、貴族の子女が2~3回袖を通して飽きた所で処分されたのだろう。そういった服は古着屋に回され、今度は中流階級の女性が着回すのだ。
「その……今の装いは、いささか目のやり場に困ると言いますか……」
マルムゼはしどろもどろに答える。
「でも、この場所では当たり前の格好よ。あちらの物陰にいるご婦人方も同じような装いでしたし」
アンナはわざととぼけてみせる。昼間からこんな場所でこんな服装をしているは、娼婦たちに他ならない。
「アンナ様、わかってて仰ってますよね!」
やや強めの語気で、マルムゼはとがめる。
突如大声になった黒い軍服の青年を見て、テーブルの客たちはひそひそと何かを話していた。
「クス……逆にあなたは目立っているわね」
「失礼しました……。近衛兵の軍服なんて、彼らにしてみれば倒すべき権力の象徴でしょうから」
思えば昨日の職人街跡地の暴漢たちも、この黒字に金刺繍の軍服を見て敵意を抱いたのかもしれない。
「本当に、私は着替えなくてよかったのですか? この姿で、ここに集う人たちに好意を持ってもらうのは難しそうでが……」
「良いのよ、あなたはその格好で。むしろ、その格好だからこそ良いのです」
「なにか考えがおありで?」
「そうね、ともかく中に入りましょう!」
中庭を抜けた先には北通り沿いの城館が建つ。ここがベルーサ宮の本殿とも言える建物で、リアン大公が生活しているのもここだ。
「骨董商ティスタンの使いです。お約束の”藤色”の短剣の件で殿下にご相談がございます」
「ふむ。初めてみる顔だが……よかろう、入れ」
守衛の兵士は、アンナとマルムゼを通してくれた。その先には別の使用人が控えている。建物の内部は、彼が案内してくれるらしい。
「骨董商? ”藤色”の短剣? さっきのは一体何です?」
使用人に聞こえない大きさの声で、マルムゼは尋ねてきた。リュディスの短剣の拵えに、藤色の装飾など一切無い。
彼の問いに、アンナも小声で返す。
「リアン大公が、贔屓の文化人に教えている合言葉よ。名乗るときに”藤色”という言葉を使う人間だけが、この離宮のサロンに案内されるの」
「……どうしてそんな事をご存知で?」
「だってその合言葉を考えたのは私ですもの」
そう言うとアンナはいたずらっぽくウィンクをしてみせた。