「このあたりは非常に入り組んでいます。どうか、はぐれないようお気をつけ下さい」

 アンナは背後にいる、"鷲の帝国"の客人3名に声をかけた。
 夜灯石ランプを頭にくくりつけたバルフナーとシュルイーズが何やら話している。風見鶏型の測定器に何か反応があったらしい。

「あの、顧問殿。お伺いしたいのですが?」

 バルフナーが声をかけてきた。

「この地下通路は工房建設時に作られたものなのでしょうか?」
「いえ、帝都には魔法時代より何度も地下水路が建設されてきました。そしてその多くが、現在では使われていません」
「では、その水路を利用していると?」
「はい。さらに悪しき竜の時代に作られたという地下寺院や地下墓地の遺跡も使っているそうです」
「なるほど……」
「私からもよろしいですか?」

 続いてシュルイーズも尋ねる。

「顧問はどうしてこの通路の正しい道順をお知りで?」
「それは……」

 わずかだがアンナは緊張する。当然来るはずであろう質問だったので、回答は用意しているが……。

「ある錬金術師に聞いていたのです。自分の死後、国に何か異変があった場合は、そこを調べろと」

 嘘は言っていない。ただし、その言葉を託されたのはアンナではなくフィルヴィーユ公爵夫人エリーナだ。
 ゼーゲンやゼフィリアスはアンナの正体がホムンクルスで得ることを知っている。しかし前世がエリーナであることまでは明かしていない。それを知るのは、マルムゼとラルガ親子のみであり、他の人物に知られることに何故かアンナは異様な抵抗を感じていた。

「ある錬金術師とは?」
「それは……言わなくてはいけませんか?」

 自分で口にした言葉に、異様な違和感を覚える。

(今の……本当に私が言った?)

 あまりに自分らしくない言い草だった。まるで、誰かに言わされたような感覚が残っている。

「はい。ご無礼を承知で敢えて言わせていただきます。誰に聞いたか、お答えください!」

 やけに神妙な顔つきでバルフナーが踏み込んできた。アンナは思わず後退りしてしまう。

 何故だ、何故そんなことを知りたがる? 今まで好意的に見ていた錬金術師に、急に不信感が芽生える。
 そんなことに踏み込むなんて、あまりに非常時ではないか、それでは……。

 (いや、何を考えてるの私!?)

 急に我に帰る。彼女たちを信頼し、全てを明かすと決めていたではないか。すでに国家機密レベルの事まで教えている。この通路について誰から聞いたかなど、それに比べれば些細な事ではないか!

 なのに、どういうわけか、その名を口に出すことができない。

「質問を変えましょう」

 シュルイーズが助け船を出すように、横から入ってきた。

「あなたは、ここを錬金工房の地下だと言っていましたが、その認識に間違いはありませんか?」
「は、はい」

 こちらはこちらで奇妙な質問だった。現に今、私たちは工房跡地からこの地下に入ったではないか。

「少なくともここは、工房の直下ではありません。全く別の、帝都のどこかにある水路の遺跡に我々はいます」
「は? どういう事ですか」
「私自身驚いています。地下に入ってからまだ10分程度しか経っていないように感じていますが、それは恐らく錯覚でしょう。私が足につけた測距儀は、すでに2万歩をカウントしています」
「2万!?」

 それだけ歩けば、帝都の端から端まで移動できる。

「正確な位置は、測距儀の記録と帝都の地図を照らし合わせる必要がありますが、少なくとも工房付近でないことは確かです」
「恐らくはこの通路に流れる魔力が、感覚を狂わせているのでしょう。私の計測機が、先ほどから定期的に強い魔力の流れを捉えています」

 風見鶏を手にしたバルフナーが言う。

「間違いなく人為的に作られた流れです。そしてこれだけ巧妙に魔力が操れるだろう人間を、私は1人しか思いつきません」

 その1人が誰かなど自明だ。アンナはその名を言わないで欲しいと、バルフナーに懇願したい思いにかられた。

「顧問殿、私からもよろしいですか?」

 すると最後尾でずっと黙って見ていたゼーゲンが口を開いた。

「おそらく今、あなたが味わっているだろう違和感や焦り。それを私やマルムゼ殿も味わっています」
「え?」

 アンナは背後に立つマルムゼの顔を見る。

「はい、アンナ様。恐らくそれは、ホムンクルスに施された記憶のロック機能かと」
「あっ!」

 マルムゼ=アルディスが言っていた事だ。ホムンクルスには、自身が知る重大な情報を漏らさないよう、記憶と心理に暗示による封印が施されているのだ。

「私にも覚えがあります。重要な情報を尋ねられた時の抵抗感。かつて私は、それを打ち消すために自らを傷つけるという手を使いましたが……」

 マルムゼはそう言って、自分の首筋を撫でた。もうほとんど傷は消えているので、夜灯石の光程度ではそれは見えない。けど、そこにごく微かに一本の線が残っているをアンナは知っていた。かつてアンナ自身が剣でつけた傷跡だ。

「我が君ゼフィリアスは帰国後、私に施されたロック機能の解除を試みました。そして、バルフナー殿によって部分的にそれが成功しています」
「はい」

 バルフナーはうなずいた。

「被験者はゼーゲン殿お一人ゆえ、確実ではないのですが……他者が自ら解答に到達すると、ロックは外れるようです。答えを得た者をホムンクルスは拒絶することができません」
「では……今私の中になる抵抗感も?」
「はい、こちらが先に答えを提示すればロックは解除されるかと」

 そう言うと、バルフナーはひと呼吸おいてからアンナの瞳を見つめ、その解答を提示した。

「あなたにこの道を教えたのは、サン・ジェルマン伯爵本人ですね」

 その名前を聞いた瞬間に、アンナの心を追っていた分厚い障壁が、嘘の様に霧散した。なぜこんな重要な情報を教えることができずにいたのか。なるほど、これがホムンクルスにかけられたロック機能の正体ということか。

「はい、その通りです。この通路の存在は、サン・ジェルマン伯爵から……」

 そこまで言いかけ、不意に言葉を失う。

「顧問殿?」
「あ、いえ……なるほど、これが記憶のロック、ですか……。この肉体が人の意図によって生み出されたものだということを改めて実感しました」

 バルフナーの呼びかけに、急いで答えを取り繕った。怪しまれていないか? いや大丈夫。みんなロック機能からの解放に対する戸惑いだと思ったはずだ。

 アンナは自分にそう言い聞かせる。
 まだ自分の中でも整理できていないことだ、彼女たちに気取られてはいけない。そう思った。もしかしたらその考えすらも、ロック機能によって施されたまやかしの思い込みかもしれないが……。

(今、頭に浮かんだのは……)

 確かにバルフナーの回答により、アンナが口に出すことが出来なかった情報のひとつは、開示可能となった。
 しかしその瞬間、アンナの心の奥底に隠されていた、別の記憶があらわになったのだ。

(確かに、私はこの通路のことをサン・ジェルマン伯爵から聞かされた。そう、そのはず……!)

 そのはずなのだ。なのに、今アンナの頭の中で再現されている景色に、サン・ジェルマンの姿はいない。彼女にこの路を案内する男性。それは……。

(お父さん……!)

 勘違いなどでは断じてない。
 アンナの、いやエリーナの実の父親である、金属細工職人タフト。
 今や、敵の手によって幽閉されているという彼と、エリーナは間違いなく一緒にこの地下道を訪れている。
 そしてこの先に通路の仕掛けの解除方法についても彼から教わっていた。

 どういうことかわからない。
 しかしサン・ジェルマンとタフト、2人の姿がエリーナの記憶の中で1人のの人物となっていた。