【火・金更新】寵姫として皇帝と国に尽くした結果暗殺されたので、錬金術で復活して宮廷に復讐してやる!

 マルムゼを引き連れて隣の間へ移動すると、すぐさま仮面の女性が挨拶をしてきた。

「改めて女帝陛下のご戴冠と、新たな役職へのご就任おめでとうございます。グレアン侯爵閣下」
「ご無沙汰しております、ゼーゲン殿。こちらこそ、遠路はるばる戴冠式にご出席いただき、ありがとうございます」

 部屋にいたのはゼフィリアス2世の護衛を務めるホムンクルスの女性、ゼーゲンであった。他に2人の人物が同席しており、アンナたちに挨拶する。
 マルムゼと同じ顔を持つゼーゲンは、いたずらに詮索される事を避けるため、この宮殿内では仮面をつけている。それは前回の来訪から変わっていなかった。

「それにしても意外でした。ラルガ侯爵受け取った貴国の代表団の名簿にあなたの名が入っているとは思ってもいませんでしたので」

 ラルガはアンナの期待通り、帰国命令に従うとともに戴冠式に列席する代表団を連れてきた。その中にゼーゲンは副代表として混ざっていたのである。

「先帝陛下……いえ、マルムゼ=アルディスの訃報を聞いた時より、我が君ゼフィリアスは私をこの国に派遣する事を考えておりました。ゆえに護衛の私が不在でも問題ないように、昨年のうちに国内の不穏分子は残らず叩き潰しています」

 平然と、ゼーゲンはそう言ってのけた。マルムゼと同じかそれ以上の忠誠心を持つ彼女は、おそらくゼフィリアス帝の安全のためならどんな事だってやる。彼女の留守中に主君が襲われるなどあってはならない事なのである。だから今の話は、誇張ではないのだろう。

「それで、この2人が?」
「はい。我が国で最高の技能を持つ錬金術師です。それにホムンクルスの私を含め3人。先のお約束通り、貴国の錬金工房立ち上げにご協力いたします」
「ありがとうございます!」

 アンナは深々とお辞儀をし、謝意を示した。

「ご存知の通りあの和平条約以降、我が国の情勢は激変しました。そしてその裏には錬金術が大きく絡んでおります」
「ええ。我々もそれについては察しております」
「手紙には書けぬような事も数多くあります。例の場所まで馬車を用意させましたので、道中でそれをご説明しましょう」
「……以上が、昨年我が国に起きたことと、私が知った事実です」

 ヴィスタネージュから帝都職人街へと向かう場所の中で、アンナは"鷲の帝国"のホムンクルスと錬金術師たちに、ひと通りのことを伝えた。

 偽帝マルムゼ=アルディスの暴走と死、それを予見していたかのような皇妃マリアン=ルーヌの迅速な行動。
 配下の離反も気にせぬ、クロイス伯のなりふり構わぬ離反。そのきっかけとなったベレス伯爵の失言。
 そのベレス伯爵とペティア夫人の繋がり。
 そして何より、黄金帝の時代より続いていたこの国の偽りの歴史……。

 いずれも他国の人間に決して知られてはならない最重要機密だ。しかし、アンナはそれを隠すことも偽ることもせず、できる限り正確に伝えた。
 そうでなければ、共に錬金工房を再建することなどできないからだ。
 これらの情報をゼフィリアス2世が知れば、"百合の帝国"を滅ぼすことの出来る最悪のカードにだってなりうる。
 しかし、ゼーゲンにもゼフィリアスにもそんな意思はない。国を司る者としては危険な賭けだが、アンナは彼らを信じることにした。

「……にわかには信じられな話ばかりです」

 しばらくの沈黙の後、ゼーゲンは絞るように言葉を発した。笑顔など滅多に見せることのない女性だが、アンナの話を聞いた今、いっそう険しい顔つきになっている。

「まさかマリアン様にそのようなお力が……」

 やはり"鷲の帝国"の人間としては、マリアン=ルーヌの変化が何よりも気にかかる様子だった。

「バルフナー博士、シュルイーズ博士、どう思いますか?」

 ゼーゲンは馬車に同乗する2人の錬金術師に尋ねる。

「……私は"鷲の帝国"の皇族がかつて持っていた魔法を研究しています」

 まず、バルフナーが口を開く。"鷲の帝国"の宮廷錬金術師を務める50歳前後の女性だ。かつては"百合の帝国"の錬金工房とも盛んに研究成果を交換していたため、エリーナ時代に何度もその名を聞いていた。

「我が国の開祖、討竜公ルーダフは千里眼の持ち主だったと言われています」
「はい。その伝説は我が国の人間もよく知っております」

 ルーダフの千里眼は全てを見抜く。竜の軍勢の動きの全てを把握し、勇者リュディスはこの戦友を誰よりも頼みとした。
 "百合の帝国"の建国伝説にもそう残されている。

「討竜公は我々の地に国を興す際、肥沃な土地や鉱山の位置もつぶさに言い当て、それが帝国繁栄の礎となったそうです。私はそれを、魔力の流れを正確に知ることができる力だったのではないかと推測しています」
「魔力の?」
「はい。魔力は、魔法時代の勇者たちのみが持つ力と思われてきましたが、森羅万象あらゆるものに本来備わっているものとする考えが主流となってきています。魔法とは、その力を一時的に借りる技術に他なりません」
「なるほど……では、今の貴族たちが魔法を使えないのは……」
「はい。魔力を感じ、利用する力が劣化しているためです。そして我らが主君の血筋は、極めて正確にあらゆる魔力を見極めることができる力の持ち主だった」
「ということは、マリアン=ルーヌ陛下が目覚めた力というのは……」
「はい、討竜公より受け継がれてきた能力の一部が目覚めたと考えれび、私の仮説と合致します」
「あの、私からもよろしいでしょうか?」

 もう1人の錬金術師、シュルイーズが小さく手を挙げる。今年30歳になったという錬金術師としては若手の男性だ。公的な資格を持たない在野の術師なのだが、常識に縛られない自由な発想で研究を行っており、"百合の帝国"に派遣すべき人材として、バルフナーが推薦したのだという。

「私は、ペティア夫人が話されたという貴国の裏の歴史に違和感を覚えました。黄金帝の地位を奪ったものは魔法を一切使えぬと話されていたのですよね?」
「夫人は確かにそう言ってました」
「では、マリアン=ルーヌ陛下は貴国の皇族方に、その『光』というものを、お感じになられていないのでしょうか?」
「いいえ。実は私も、そこに引っかかっていたのです」

 アンナは答えた。そうなのだ。確かに女帝は、現皇族がもつ魔力を知覚している。皇弟リアンが放つ光と、アンナたちホムンクルスが放つ光を見分け、アルディスがホムンクルスだと看破したことがあるのだ。
 それはつまり、現皇族が魔法の力を受け継いでいるということになり、ペティアの話と矛盾する。

「だが、今私が説明した通り魔力はあらゆるものに偏在している。それは現皇族でも例外ではない」

 バルフナーが言う。

「はい、ですから女帝陛下が見ているのは魔力そのものではないだろうということです」
「む……?」
「私もバルフナー博士と同じく、魔力偏在説を支持しています。ですがその場合、女帝陛下はあらゆるもが放つ魔力を認識できる事になる。それはもはや盲目とはいえないほどはっきりと世界を捉えることになりますが……」

 実際に女帝が知覚できるのは一部の力のみであり、私生活での彼女は今も介助を必要としている。

「そうか。陛下がこれまでに感知してきた、ホムンクルスと"百合の帝国"の皇族、それにリュディスの短剣などの魔法遺物……それらの共通点を突き止めれば」
「陛下が見ているものが明らかとなり、それは我が国の皇族に眠る魔法の血の解明となる」
「素晴らしい! 素晴らしいぞシュルイーズくん! やはり君を連れてきて正解だった!!」

 バルフナー博士は歓喜の声をあげてシュルイーズの両手を取った。

(ゼーゲン殿は"鷲の帝国"の錬金術は遅れていると言っていたけど……)

 二人のやりとりを見ながらアンナは思う。遅れているなどとは、微塵も感じない。
 むしろ、貴族の意向により実利のある研究ばかりに資金が投入されてきた"百合の帝国"の錬金工房よりも、基礎理論の研究は先んじているのではないかとすら思う。
 そもそも"百合の帝国"では皇族の魔法研究など不敬の極みであり、絶対的なタブーとされていた。今にして思えば、それは彼らが偽りの血族であることが明らかにならないように黄金帝たちが作り出したタブーなのだろう。
 それに対して、"鷲の帝国"の学者たちは躊躇なく皇族の持つ力について研究し、このような推論を組み立てている。
 国がそれを取り締まることもない。バルフナーはともかく、シュルイーズなどは在野の学者にすぎないのに、だ。

「ゼーゲン殿、あなたの申し出を受けてよかったと改めて思います。この2人が協力をしてくれるなんて、これほど心強いことはありません!」
「こちらこそ、貴国のご内情を包み隠さず話していただけたこと、感謝いたします」

 アンナが謝意を述べると、ゼーゲンはそう返してきた。

「貴国の政情を安定させる事は、我が君ゼフィリアスの望みでもあります。その為にも、1日も早く錬金工房を復活させましょう!」
 一行を乗せた馬車は帝都職人街にたどり着いた。

「グレアン候万歳!」
「顧問アンナ万歳!!」

 馬車を降りると、アンナたちは住民たちから熱烈な歓待を受けた。広くはない街路に一斉に住民が飛び出したっため、まるで新年祭や竜討伐の記念日かと思うほどの人の波が押し寄せてくる。中には、いつ用意したのか紙吹雪を飛ばすお調子者まで現れる始末だ。

「見ての通り、職人街はかつての活気を取り戻しました! これもひとえに、顧問閣下のおかげです」
「いいえケント殿。すべては職人の皆様の努力のたまものですよ」

 新生職人街のリーダーであり、今や帝都の他の市域にも名が知られるようになったケントに、アンナは労いの言葉をかけた。確かに、皇妃の村里の建設は、職人街再建の契機となった。
 その報酬となった宝石類は、各工房の立て直しや資材の仕入れに十分すぎるほどだった。さらに村里を真似た簡素な別荘を求める貴族も続出し、そういった大口の契約がダンの大工組合に舞い込むようになりもした。同時に、調度品や庭の彫刻類も職人街の工房に頼む貴族も少なくなかった。
 しかしそれらの要望に応え、これほど急速に復興を成し遂げることができたのは、職人一人一人の努力の成果だ。アンナはあくまできっかけを作ったに過ぎない。

「ずいぶんと、民に慕われていますね」

 街を上げての歓待ぶりを見て、ゼーゲンは言った。

「その分、貴族たちには疎まれていますがね」

 アンナは苦笑交じりに言う。女帝の腹心中の腹心として、事実上貴族社会の頂点に立った。でも貴族たちに完全に受け入れられたわけでもない。皇妃の村里を真似て、ここの職人に頼んで別荘を建てた貴族だって、あくまで流行を追っているだけでアンナや女帝の考えに心から感服したわけでもなかろう。

「民と貴族を天秤にかけるなら、民の側に重しをのせよ」
「貴国の先帝、マリアン=シュトリア陛下の言葉ですね?」
「はい」

 この時代の為政者なら誰もが知っている言葉だ。かつてエリーナが愛したアルディス3世も、かの女帝を敬愛し、この言葉のようにありたいと常々話していた。
 しかし、これはあくまで理想論であり、実践することは難しい。君主にとっては貴族たちの持つ力や利権は無視できるものではなく、アルディスとエリーナはついにこれを打破することは出来なかった。発言の大元である女帝マリアン=シュトリアでさえ、さまざまな理由から民衆より貴族階級を優先せざるを得なかったことは一度や二度ではない。
 それでもこの言葉は、王たるものの規範とされている。民を顧みない王はいずれ、民によって断頭台に送られるのである。

「あなたは、この言葉を体現しておられる。そして恐らくは、我が先帝の娘たるマリアン=ルーヌ陛下にも」
「嬉しいお言葉です、ゼーゲン殿。その言葉をあなたが後悔されぬよう、我ら君臣ともに努力いたします」

 アンナはゼーゲンに言った。

「さて、工房の跡地にご案内しましょう。その地下に、我々が求めるものが眠っております」

 * * *
 ケントの先導で、人ごみをかき分けて、一向はだだっ広い更地にたどり着いた。

「これより先、私のような一般人は立ち入りを許されておりませんので……」
「ありがとうございます、ケント殿。ここまでで大丈夫ですよ」

 錬金工房の地下は、"皇帝の小麦"事件依頼、今も立ち入り禁止なのだ。ここからはアンナたちのみで地下道の入り口を進んでいくことになる。

「依頼されたものは用意しています。従来品よりも輝度を向上させているので、暗闇で活躍するでしょう」

 ケントは別れ際に、革のバンドを5本、アンナに手渡した。バンドにはそれぞれ、握り拳大のカットされた鉱石が取り付けられている。

 「ありがとうございます」
 
 携帯用の、夜灯石ランプだ。
 錬金術の成果であるこの石は、日中に光を貯め、夜間に発光する性質を持つ。まだガス灯の安全性に課題が残っていた頃、常夜灯に使うために開発されたためこの名がつけられた。
 思った以上の輝度を得ることができず、採用は見送られたが、火気を使わないため使い勝手がいい。バンドで頭や胸に固定させても、髪や衣服が燃えるようなことはない。そのため、安全な携帯式照明器具として、主に軍隊や夜景などが愛用している。

「では、参りましょう」

 マルムゼを先頭に、アンナと"鷲の帝国"の客人3人は地下へと進んでいった。
 
 この地には、錬金術の到達点のひとつである「賢者の石」の生成施設が眠っている。
 膨大なエネルギーを内に秘めているされる鉱物であり、それがあれば、あらゆる錬金術の研究が飛躍的に前進すると言われる。
 それだけではない。そのエネルギーを直接的に使用すれば、帝都から永遠に夜を追放できるし、国中に鉄道網を走らせることができる。砲弾に加工すれば一発で会戦を終結させられる大量破壊兵器にもなりうる。

 そんな究極の物質を、かつてアンナはこの地下で発見した。しかし、当時の彼女には手に余るものと判断し、マルムゼに命じて石のありかを隠蔽したのである。

「これは……」

 久しぶりにこの地を訪れたアンナだったが、地下の様子は一変していた。堆く積み上げられていた木箱の類は全て消え、床が溜まっていた埃も綺麗さっぱりと掃き清められている。
 本当に何もない、空虚な空間がただ広がっているのみである。

 "皇帝の小麦"事件以来、この敷地の帝都防衛総監が管理していた。ラルガ侯爵がこの職務に就いていたときは、活発な操作が行われており、先代グリージュス公たちが行ってきた「余罪」の追及が進められていた。
 しかし、侯爵が"鷲の帝国"の大使となり、後任にクロイス派の貴族が赴任すると、証拠の隠滅を図ったのである。
 床に落ちた麦の一粒でも証拠になると思ったのだろう。数年間使われていない地下空間とは思えないほど、綺麗な状態だった。

「この空間の奥に、工房再興の鍵を握るものがあるというのですか?」
「はい……」

 バルフナー博士の問いの答えながらも、アンナは少し不安になる。これだけ完璧に全てが消えているとなると、賢者の石の隠し場所も見つかっているのではないかと。
 実際に隠蔽を行ったマルムゼの顔を見る。無言で頷く彼の瞳には、少しだけ不安の色が混じっていた。

(いえ、大丈夫よ。もしクロイス派やサン・ジェルマンが賢者の石を見つけ出していれば、私なんてとっくに潰されている)

 今自分がこの地にいることこそが、まだ石が誰の手にも渡っていない証だ。そういう理屈で不安を打ち消すと、アンナは足を踏み出した。

「ご案内します。ついてきて下さい」

  *  *  *
「この先は通路が細くなっていますので、お気をつけて下さい」

 階段を降りた先に延々と続く地下通路。何があっても対処できるよう、戦闘能力の高いマルムゼとゼーゲンが、それぞれ先頭と最後尾について進むこととなった。

「これは……シュルイーズくん」
「ええ……」

 2人の錬金術師は何かを悟ったようだ。自分たちの鞄から、何やら不思議な物体を取り出す。

「それは……?」

 バルフナーが取り出したのは風見鶏に時計とグリップがついたような物体だ。以前、農務省の技師に見せてもらった風力計に似ている。鶏の頭が向く方向に風が流れており、手元の計器で、その強さがわかるというものだ。

「私が試作した魔力の測定器です。鳥のくちばしと尾に魔力に反応する鉱石をつけており、これによって魔力の流れと強さを計ります」

 シュルイーズが取り出したものは、さらに不可解な形状をしている。
 ふたつの金属製の輪が鎖で繋ぎ止められている。シュルイーズはその輪を自分の靴に装着した。囚人が付けさせられる足枷のようだと、アンナは思う。

「歩幅測距儀、とでも申しましょうか。私の歩幅を一定にすることで正確な距離を測る道具です。これと一緒に使えば、かなり正確な移動経路を算出できます」

 そう言いながら、彼はさらに鞄から方位磁石を取り出した。

「この通路の距離を測るということですか?」
「はい。ちょっとね、怪しいと思いまして」

 シュルイーズが言うと、バルフナーもうなずく。
 詳しい話を尋ねようかと思ったが、おそらく二人も確信しているわけではないだろう。だから不可思議な計測器をふたつ取り出した。

「わかりました。道中の調査はお任せします。詳しいお話はあとでお聞かせください」

 そう言うとシュルイーズは歓喜の口笛を吹いた。

「さすがです!こう言う時に余計な口出しをしない方は信頼できる。ろくに理解もできぬくせに、やれアレはなんだ、やれソレはやめろなどと小うるさい役人のなんと多いことか」

 突如早口気味にまくしたてるシュルイーズ。そういう役人とのやりとりも多いであろう宮廷錬金術師のバルフナーが咳払いをし、その後ろでゼーゲンも苦々しげな笑みを浮かべていた。

「おっと、失礼しました。顧問殿、ご案内お願いいたします」
「ええ、そうですね。参りましょう」

 アンナは彼がなぜ宮仕えをせず、在野で錬金術の研究をしているのかが、わかった気がした。
 「このあたりは非常に入り組んでいます。どうか、はぐれないようお気をつけ下さい」

 アンナは背後にいる、"鷲の帝国"の客人3名に声をかけた。
 夜灯石ランプを頭にくくりつけたバルフナーとシュルイーズが何やら話している。風見鶏型の測定器に何か反応があったらしい。

「あの、顧問殿。お伺いしたいのですが?」

 バルフナーが声をかけてきた。

「この地下通路は工房建設時に作られたものなのでしょうか?」
「いえ、帝都には魔法時代より何度も地下水路が建設されてきました。そしてその多くが、現在では使われていません」
「では、その水路を利用していると?」
「はい。さらに悪しき竜の時代に作られたという地下寺院や地下墓地の遺跡も使っているそうです」
「なるほど……」
「私からもよろしいですか?」

 続いてシュルイーズも尋ねる。

「顧問はどうしてこの通路の正しい道順をお知りで?」
「それは……」

 わずかだがアンナは緊張する。当然来るはずであろう質問だったので、回答は用意しているが……。

「ある錬金術師に聞いていたのです。自分の死後、国に何か異変があった場合は、そこを調べろと」

 嘘は言っていない。ただし、その言葉を託されたのはアンナではなくフィルヴィーユ公爵夫人エリーナだ。
 ゼーゲンやゼフィリアスはアンナの正体がホムンクルスで得ることを知っている。しかし前世がエリーナであることまでは明かしていない。それを知るのは、マルムゼとラルガ親子のみであり、他の人物に知られることに何故かアンナは異様な抵抗を感じていた。

「ある錬金術師とは?」
「それは……言わなくてはいけませんか?」

 自分で口にした言葉に、異様な違和感を覚える。

(今の……本当に私が言った?)

 あまりに自分らしくない言い草だった。まるで、誰かに言わされたような感覚が残っている。

「はい。ご無礼を承知で敢えて言わせていただきます。誰に聞いたか、お答えください!」

 やけに神妙な顔つきでバルフナーが踏み込んできた。アンナは思わず後退りしてしまう。

 何故だ、何故そんなことを知りたがる? 今まで好意的に見ていた錬金術師に、急に不信感が芽生える。
 そんなことに踏み込むなんて、あまりに非常時ではないか、それでは……。

 (いや、何を考えてるの私!?)

 急に我に帰る。彼女たちを信頼し、全てを明かすと決めていたではないか。すでに国家機密レベルの事まで教えている。この通路について誰から聞いたかなど、それに比べれば些細な事ではないか!

 なのに、どういうわけか、その名を口に出すことができない。

「質問を変えましょう」

 シュルイーズが助け船を出すように、横から入ってきた。

「あなたは、ここを錬金工房の地下だと言っていましたが、その認識に間違いはありませんか?」
「は、はい」

 こちらはこちらで奇妙な質問だった。現に今、私たちは工房跡地からこの地下に入ったではないか。

「少なくともここは、工房の直下ではありません。全く別の、帝都のどこかにある水路の遺跡に我々はいます」
「は? どういう事ですか」
「私自身驚いています。地下に入ってからまだ10分程度しか経っていないように感じていますが、それは恐らく錯覚でしょう。私が足につけた測距儀は、すでに2万歩をカウントしています」
「2万!?」

 それだけ歩けば、帝都の端から端まで移動できる。

「正確な位置は、測距儀の記録と帝都の地図を照らし合わせる必要がありますが、少なくとも工房付近でないことは確かです」
「恐らくはこの通路に流れる魔力が、感覚を狂わせているのでしょう。私の計測機が、先ほどから定期的に強い魔力の流れを捉えています」

 風見鶏を手にしたバルフナーが言う。

「間違いなく人為的に作られた流れです。そしてこれだけ巧妙に魔力が操れるだろう人間を、私は1人しか思いつきません」

 その1人が誰かなど自明だ。アンナはその名を言わないで欲しいと、バルフナーに懇願したい思いにかられた。

「顧問殿、私からもよろしいですか?」

 すると最後尾でずっと黙って見ていたゼーゲンが口を開いた。

「おそらく今、あなたが味わっているだろう違和感や焦り。それを私やマルムゼ殿も味わっています」
「え?」

 アンナは背後に立つマルムゼの顔を見る。

「はい、アンナ様。恐らくそれは、ホムンクルスに施された記憶のロック機能かと」
「あっ!」

 マルムゼ=アルディスが言っていた事だ。ホムンクルスには、自身が知る重大な情報を漏らさないよう、記憶と心理に暗示による封印が施されているのだ。

「私にも覚えがあります。重要な情報を尋ねられた時の抵抗感。かつて私は、それを打ち消すために自らを傷つけるという手を使いましたが……」

 マルムゼはそう言って、自分の首筋を撫でた。もうほとんど傷は消えているので、夜灯石の光程度ではそれは見えない。けど、そこにごく微かに一本の線が残っているをアンナは知っていた。かつてアンナ自身が剣でつけた傷跡だ。

「我が君ゼフィリアスは帰国後、私に施されたロック機能の解除を試みました。そして、バルフナー殿によって部分的にそれが成功しています」
「はい」

 バルフナーはうなずいた。

「被験者はゼーゲン殿お一人ゆえ、確実ではないのですが……他者が自ら解答に到達すると、ロックは外れるようです。答えを得た者をホムンクルスは拒絶することができません」
「では……今私の中になる抵抗感も?」
「はい、こちらが先に答えを提示すればロックは解除されるかと」

 そう言うと、バルフナーはひと呼吸おいてからアンナの瞳を見つめ、その解答を提示した。

「あなたにこの道を教えたのは、サン・ジェルマン伯爵本人ですね」

 その名前を聞いた瞬間に、アンナの心を追っていた分厚い障壁が、嘘の様に霧散した。なぜこんな重要な情報を教えることができずにいたのか。なるほど、これがホムンクルスにかけられたロック機能の正体ということか。

「はい、その通りです。この通路の存在は、サン・ジェルマン伯爵から……」

 そこまで言いかけ、不意に言葉を失う。

「顧問殿?」
「あ、いえ……なるほど、これが記憶のロック、ですか……。この肉体が人の意図によって生み出されたものだということを改めて実感しました」

 バルフナーの呼びかけに、急いで答えを取り繕った。怪しまれていないか? いや大丈夫。みんなロック機能からの解放に対する戸惑いだと思ったはずだ。

 アンナは自分にそう言い聞かせる。
 まだ自分の中でも整理できていないことだ、彼女たちに気取られてはいけない。そう思った。もしかしたらその考えすらも、ロック機能によって施されたまやかしの思い込みかもしれないが……。

(今、頭に浮かんだのは……)

 確かにバルフナーの回答により、アンナが口に出すことが出来なかった情報のひとつは、開示可能となった。
 しかしその瞬間、アンナの心の奥底に隠されていた、別の記憶があらわになったのだ。

(確かに、私はこの通路のことをサン・ジェルマン伯爵から聞かされた。そう、そのはず……!)

 そのはずなのだ。なのに、今アンナの頭の中で再現されている景色に、サン・ジェルマンの姿はいない。彼女にこの路を案内する男性。それは……。

(お父さん……!)

 勘違いなどでは断じてない。
 アンナの、いやエリーナの実の父親である、金属細工職人タフト。
 今や、敵の手によって幽閉されているという彼と、エリーナは間違いなく一緒にこの地下道を訪れている。
 そしてこの先に通路の仕掛けの解除方法についても彼から教わっていた。

 どういうことかわからない。
 しかしサン・ジェルマンとタフト、2人の姿がエリーナの記憶の中で1人のの人物となっていた。
 父に関する記憶の扉が開いたことに動揺しながらも、アンナは道案内を続けた。
 今、あれこれと考えても仕方がない。判断材料が少なすぎるのだ。それを解決するためにも、2人の錬金術師をあの部屋まで連れて行かなければ。

「こちらになります」

 ガス灯に照らされた通路の最奥まで来た。アンナは例の複雑な仕掛けを動かすと、鈍重な音と共に石壁が動きだす。隠し扉の奥に、ほのかに光る小さな小部屋が現れた。

「これは……?」
「もしや賢者の石……ですか?」

 淡い光に満たされた部屋に入った瞬間、2人の錬金術師はそれが何かを理解したようだ。

「見たまえ、シュルイーズ君。魔力測定器がご覧の有り様だ」

 バルフナーが持つ風見鶏型の測定器は一定の方向を差し示さず、狂乱したように激しく回転している。

「まるで嵐だ、魔力の嵐。以前、討竜公ゆかりの遺跡で同じような反応を観測したことがあるが、強さはその比じゃない……!」
「これだけの魔力量、長時間この部屋にいると人体にも影響が出そうですね」

 光に照らされている2人の顔には畏れと歓喜がないまぜになったような表情が浮かんでいる。自分たちの追い求め続けていたものの最終形がそこにあるのだ。無理もない。

「この研究を新工房の軸に据えたいと考えています。政治的な話をすれば、もちろん貴国との共同研究という形で」

 ゼフィリアス帝の代理人であるゼーゲンに言った。
 錬金術の最先端を共に研究し、その成果を分かち合う。アンナとゼフィリアスの個人的な友交を抜きにしても、"鷲の帝国"にとっては魅力的な申し出であるし、同盟の強化にもつながる。

「ありがたいお申し出です。停滞気味だった我が国の錬金術は一足跳びに飛躍できる。そうですよね、バルフナー博士?」
「研究者としては、絶対を請け負うことは致しかねますが……この石を前にして、そうなる努力を惜しむ錬金術師はおりますまい」

 いかにも学者らしい、持ってまわった表現だが、エリーナだった頃に工房に出入りしていたアンナは知っている。これは限りなくイエスに近い回答だ。

「しかし、この石は……運び出すことができるのでしょうか?」

 シュルイーズが言った。その言葉に、ゼーゲンが疑問を挟む。

「それはどういう意味だ、シュルイーズ博士?」
「先ほども言ったとおり、ここは職人街の地下ではなく、どこか別の街区のはずです。正確な座標は、計測結果をもとに計算する必要がありますが、いずれにしてもここでなければいけない理由がるのだと思います」
「理由、とは?」
「そうですね、たとえばこの位置でなければ、賢者の石を作ることができないとか?」
「石の生成に、場所が関係していると?」

 彼女たちのやりとりに、アンナも入る。

「それは、容易にこの石が他者に渡らないための隠蔽ではないのですか?」
「もちろんそれもあるでしょう。ですがこれほど強い魔力の塊を生成するのに、場所が無関係とも思えない」
「どういうことでしょう?」
「それについては私が説明しましょう」

 忙しなく回転し続ける風見鶏を持ったバルフナーが言った。

「もともと賢者の石とは、魔力を失った現代の人間が魔法を使うとなれば、強力なエネルギー源は必要と考えた100年前の錬金術師が提唱した物質です」
「エネルギー源というと……たとえば石炭のような?」
「はい。というより石炭はもともと、賢者の石の候補として研究されていた物質です。今日では、それを蒸気機関が発達しましたがが、これも広義には錬金術とされています」

 実際、"獅子の王国"の錬金術は、この石炭や蒸気機関の研究に特化しており実用化もされている。この分野で他国よりも一歩先をゆく"獅子の王国"は産業革命と言われる、社会変革の真っ最中だ。もし和平が実現していなければ、"百合の帝国"と"獅子の王国"の戦争は、蒸気機関研究で先手をゆく"獅子の王国"が勝利しただろうと、アンナは考えている。

「しかし狭義の錬金術、つまりかつての魔法を復活させる分野においては、石炭は『よく燃える石』以上の意味は持ちません。そのエネルギーの正体が魔力ではないからです」
「つまり、賢者の石は魔力を秘めた物質でないといけない?」
「その通りです。そしてそれを突き詰めた最近の研究では、賢者の石とは魔力そのものが物質化したものではないかと考えられています」
「物質化!?」

 アンナはこの部屋の中央に鎮座するガラス製のフラスコを見た。それは液体に満たされており、その中心に青白く光る小さな結晶体がある。

「じゃあ、これは何らかの形で実体化した魔力そのものだと?」
「あくまで仮説のひとつでしたが、この部屋を見る限り、恐らくそれは当たっているでしょう」

 バルフナーが指差す。その先には壁づたいに金属の管が通り、中央のフラスコへとつながっていた。

「この計測器が正常に動作していない理由は、賢者の石本体ではなく、この管のようです。この管には高濃度の魔力が流れており、フラスコへと送られています」
「この管が……?」
「さわらないで!!」

 アンナが金属管に手を伸ばそうとした時に、シュルイーズが叫んだ。突然の大声に、アンナは肩をこわばらせ、手を引っ込める。

「先ほども申し上げたとおり、人体に影響が出るほどの魔力です。直に触ったらどんなことが起きるか想像もつきません」
「それほどに……?」
「ええ、そしてどうしてそれほどの魔力がこの帝都にあるかが問題なのです」
「あ……」

 この部屋にたどり着くまでの、二人による錬金術講義を思い出す。魔力は自然界に偏在しているものだという。けど、これほど強い魔力がもし自然な状態で存在していたら、錬金術はもっと早くに賢者の石まで行き着いており、魔法の復活もなっていただろう。そうなっていないということは、この部屋に流れ込んでいる魔力が異常な量であるということだ。

「もしや……リュディス5世?」
「そう考えるのが、最も自然です」

 黄金帝は帝位を奪い、真の皇帝を幽閉した後も、その魔力を恐れた。そして宮廷をヴィスタネージュへと移した。
 その、黄金帝が恐れた魔力こそが、賢者の石の原料ということか。

「帝都のどこかに、真のリュディス5世が残した強い魔力がある、それを結晶化させて、賢者の石を作り出すのがサン・ジェルマン伯爵の目的……」

 となれば、この部屋以外では石の生成ができない可能性は確かに大きい。シュルイーズが口にした疑問の意味がようやく理解できた。

「今日のところは一旦戻りましょう。いずれにせよ、この部屋は継続して調査する必要があります。今日1日で解決する問題ではありません」
「そう……ですね……」

 アンナは、青白い光で満たされた部屋を見渡した。石が生成されているフラスコ、そして魔力を伝える金属管……。

(この装置を作ったのは誰なの……?)

 偽帝マルムゼ=アルディスは、殺される前アンナに迫り、襲おうとした。その過程であの男は、エリーナの父タフトを幽閉していると言った。彼が賢者の石の隠し場所の仕掛けを作ったからだ。
 確かに父の仕事は工房に信頼されており、さまざまな機材を製作していた。この装置や、ここに来るまでの魔力的な隠蔽についても、タフトの手によるものである可能性は高い。
 しかし、果たしてそれは誰かから依頼を受けたやった仕事なのか?
 タフト自身がこの装置を着想し、自らの手で作り出した可能性はないか?

 そして、先ほど不意に開かれた記憶の扉。この通路を案内するサン・ジェルマン伯爵。そのときの彼の姿を思い出そうとすると、必ず父の顔が思い浮かぶ。

(ここまでの道のりを案内したのは父さんだ)

(それに、この装置を作ったのも……きっと父さんだ)

 そして……。

(私の父は、サン・ジェルマン伯爵だ)

 そんな確信が、今やアンナの心の中にしっかりと根付いていた。
 皇妃の村里は、今も変わらずアンナたちの政治的な拠点として使われている。

「私が、大臣に?」

 今日、この村里を訪れていたのは顧問アンナと一時帰国中の"鷲の帝国"駐在大使ラルガ侯爵の2人。村里の主人たるマリアン=ルーヌ女帝は公務のため来ていない。だがアンナは、彼女の不在時でも自由にここを使い、ゲストを呼ぶ特権を与えられていた。

「はい。ベレス伯爵が引退して以来、宮内大臣職が空位となっていますが、いつまでもそのままとはいかないでしょう?」
「しかし、顧問派から大臣を出すことを、クロイス宰相がお認めになりますか?」

 かつて「皇妃派」と呼ばれていた勢力は、マリアン=ルーヌの戴冠とアンナの顧問就任によって、「顧問派」と呼び名が変わっていた。
 と言っても、これまでもアンナが実質的な盟主だったため、実態はほとんど変わらない。

「すでにクロイス公の了承は得ております」
「なんと!?」
「ドリーヴ大公の件と引き換えです」
「なるほど」

 元寵姫ルコットは女帝の戴冠とほぼ同時期に男児を出産した。
 その実態は、ホムンクルスを用いた傀儡ではあるのだが、公式には先帝アルディス3世の唯一の息子である。
 父と同じアルディスという名を与えられたこの男の子に、女帝はドリーヴ大公の位を封じた。
 通例では、ドリーヴ大公位は皇太子に与えられる。そればかりか女帝は、この子が10歳になれば自分は退位するという宣言までした。
 つまり、この男の子は十年後には、"百合の帝国"皇帝アルディス4世となることが約束されたのだ。

「まさか陛下があそこまで譲歩されるとは思いませんでした。これもあなた様の策謀のひとつなのですか、顧問殿?」
「確かにいくつかのアドバイスはしていますが……実はあの子をドリーヴ大公に、というのは陛下が言い出したのですよ」
「陛下が?」

 グリージュス公の娘の件といい、どうやら女帝は子供に甘いらしい。しかも、どれだけ憎い相手の子供でも、感情を切り離してその子を慈しんでいる。

 もちろん、ただの子供好きというだけではない。ルコットの男子については別の感情も、女帝マリアン=ルーヌは抱いているようだ。

『私は結局、子をなすことができなかったから……』

 ルコットの息子をドリーヴ大公にしたいと言い出した時、彼女はアンナに胸の内を打ち明けた。その一言に、あらゆ想いが詰め込まれている。

 結果的に上手くはいかなかったが、アルディス3世とマリアン=ルーヌは、一度は良好な夫婦関係を築く事を試みたのだ。
 その後アルディスは死に、偽物がこの国を支配した。そしてその偽物が、クロイス公爵の娘を寵姫とし、唯一の男子を遺した。しかし、その男子には偽物のアルディスとすら血のつながりが無い。

 嘘に嘘を重ねた末に産まれた子。誰との血のつながりもないのに"百合の帝国"の皇帝の血を引く者として、生を受けたホムンクルス。

 ならば彼の事を自分の息子・皇太子として慈しむ、そんな嘘を重ねたって良いのではないか?

 屈折した考えだ。しかし、まともな人間関係を育むことなどできないのが、宮廷である。
 アルディスはまともな関係を求めた結果、他国の皇女マリアン=ルーヌではなく、市井の職人の娘エリーナを選んだ。
 そして、エリーナもまた、マリアン=ルーヌと同じく、アルディスとの子を望み、それをなすことが出来なかったから……。

 だからであろうか。アンナはそれが不利益につながるとわかっていながらも、女帝の願いを叶えなくてはいけないという義務感にかられた。

『かしこまりました。では、必ずこれも一緒に宣誓してください』

 そう言ってアンナが提案したのは、新ドリーヴ大公アルディスが成人したら自らは退位するという約束だった。
 一見するとこれは、クロイス派に対する異様なまでの歩み寄りに見える。だがこれは、女帝の身を守るための最大の自衛策だ。

 幼いアルディスが後継者に決定すれば、必ずクロイス派は女帝を亡きものにしようと動き出す。彼女が死ねば、自動的に自分たちの天下となるのだから、暗殺を考えないはずがない。
 しかもできるだけ早く動くだろう。アンナたちが対策を講じたり、女帝自身が心変わりしないうちに……。

 そうさせないために、期限を設けた。リスクなしに帝位が転がってくるなら、10年待てというのは決して悪い話ではないはずだ。
 しかしアンナももちろん、権力と命を10年後に手放すつもりはない。この10年で何もかもをぶち壊すつもりだった。クロイスら大貴族どもの権威も、それを生み出した貴族社会も。
 ラルガの大臣就任は、その最序盤の一手というわけだ。

「それで、私は空席となった宮内大臣に?」

 ラルガは話題を自分の人事へと引き戻した。

「いえ。宮廷女官長と宮内大臣が両方とも顧問派となれば、我々が宮廷を牛耳ることになります。流石にクロイス公もそれは許しませんでした」
「では、他の閣僚が宮内大臣にスライドし、空いたポストに私が入る、と言ったところですかな?」

 さすが、この英明な老人は話が早い。

「はい。法務大臣ブラーレ子爵が宮内大臣となり、あなたをその公認に据えたいとの事です」
「法務大臣、ですか」

 ラルガは、少し意外そうだった。

「あそここそクロイス派の牙城。高等法院とブラーレのタッグで、貴族のあらゆる不祥事がもみ消されてきたはずですが」
「実質的な力を持つのは高等法院です。そこをクロイス派がしっかり押さえていれば、あなたが大臣になったところで対抗できる、と考えたのでしょう」
「対抗、ですか。ではあなたは、この老体と高等法院の大喧嘩を期待しているので?」

 ラルガ侯爵は今年72歳となる。もう引退してもおかしくない年齢だ。

「帝都の防衛総監に任じられたのが4年前。2年も勤めた後は息子に爵位を譲り、どこかの山荘で隠居暮らしと思っていたのですがな」

 アンナと関わった結果、"獅子の王国"との和平交渉に参加し、さらに大使として"鷲の帝国"におもむき、そこから1年も立たぬうちに法務大臣に指名されることとなった。

「穏やかな老後を邪魔してしまったことについては申し訳ありません。ですが、今の私たちにはあなたの手腕が必要なのです」
「ふふ……誤解なさらず。むしろ楽しんでいますよ。田舎で狩りや養蜂をやっていても、これほど張り合いのある日々は送れていなかったでしょう」

 ラルガは言った。

「クロイス派の専横を苦々しく思いながらも、私ひとりではどうすることもできなかった。そこにあなたが現れ、この国を変えようとしている。人生の終盤で、こんな刺激的な時代が訪れた事に喜びを抱いてさえいますよ、私は」
「ラルガ侯爵……」

 かつてエリーナだった頃、この老人は政敵だった。フィルヴィーユ派の改革を急進的だとして、度々衝突してきたのだ。
 そんな彼が、マルムゼと並ぶ自分の最大の味方となったのは奇縁という他ないだろう。

「では法務大臣の件、よろしくお願いいたします」
「承知しました。高等法院を黙らせて、司法の世界の風通しをよくして差し上げましょう」

 顧問派の宿老とも言うべき老人は、そう言うとめずらしく朗らかな表情を見せた。
「顧問殿! 顧問殿! やはり間違ない! 私の思った通りです!!」

 興奮の塊みたいな気配が柊の間に近づいてくる。
 アンナはまたか、と眉間に手を当てながらため息をついた。声の主は"鷲の帝国"の錬金術師シュルイーズだ。

 アンナは異邦からやってきた2人の錬金術師に宮殿内に自由に出入りできる許可を与えていた。錬金工房の拠点が大庭園にあるためであり、職人街に新工房が建つまでの措置だったのだが、これが評判が悪い。

 このように、鼻息の荒い外国人が宮廷のマナーも守らずにうろつきまわっているのだから無理もない。しきたりにうるさい守旧派はもちろん、ある程度寛容な顧問派の貴族たちからも、やんわりと嫌味を言われる始末だ。

「顧問殿ー!!」
 
 ドアをノックし、侍従を仲介して名乗りと入室の許可を得る、という宮廷のエチケットを全て無視して、シュルイーズが室内に転がり込んできた。
 
「聞こえています。廊下では静かにと申し上げたはずです、シュルイーズ博士」
「あ、いや……これは失礼」

 ようやく我に帰ったように、シュルイーズは居住まいを正した。
 最初に会った時は、もっと知的な印象のある青年だったのだが……。アンナの気心が知れたせいなのか、近頃は無垢で陽気で、はた迷惑な本性を全開にしている。
 なるほど、バルフナー博士の推薦があっても宮廷錬金術師になれないわけだ、と得心する。

「それで、何がわかったのですか?」
「バティス・スコターディ城です! やっぱりバティス・スコターディ城だったんですよ!!」

 シュルイーズの言動のもう一つの特徴として、過程の説明などを全て吹っ飛ばすところがある。
 話が早いのは、聡明さの証である。アンナも普通なら好ましいと思うところなのだが、彼の場合は必要な過程まで飛ばしているからこちらが戸惑ってしまう。
 アンナは過去の彼との会話を思い返し、シュルイーズの言わんとする事の推察を試みた。

「ええと……つまり、あの地下道のこと?」
「そうその通り! 話が早いのは、聡明さの証です。その意味では顧問殿との会話は苦痛がなくて楽ですな」

 臆面もなく、こう言う事を言うのだからアンナは苦笑を禁じ得ない。
 しかし……地下道の話で、その地名が出てきたとなると笑ってばかりもいられない。

「賢者の石の場所が、あの城だと……?」
「はい。私の推測通りです! まさか座標の特定にこれほど時間がかるとは思いませんでしたが……」

 シュルイーズやバルフナーが職人街の工房跡地から地下道に入るのは、確か今日で15回目のはずだ。
 アンナも同行した1回目で、シュルイーズは足枷のような形状の測距儀を用いた。歩幅から、正確な距離を測る機械だ。
 地上に出た後、すぐに場所を割り出しを行ったのだが、記録が示したのは何の変哲もない民家だった。一応、人を派遣し家の中も調べさせたのだが、地下室も隠し通路も見つからなかった。
 どうやら魔力の流れを利用した仕掛けにより、方位磁針にも微妙なズレか生じていたようで、改めて調査が必要ということになった。
 それから2ヶ月。2人の錬金術師は何度も地下に潜り、少しずつ候補地の場所を狭めていった。そして今日、ついに割り出しに成功したのだという。
 そしてそれは、あのバティス・スコターディ城だったというわけだ。

「確かに黄金帝絡みの場所としては、最もありある場所よね」
「はい。しかしだからこそ予断は禁物! 私とバルフナー博士は、絶対にそこだという確証を得ることが出来なかったのです!」
「それで……間違いないのね?」
「はい! 苦節2ヶ月……! ついにやりました!! それにしても驚きです。二つ目の仕掛けの後に、一直線の狭い通路が続くエリアがあったかと思うのですが、実はあそこが湾曲した通路だったのです! 魔力による欺瞞と、巧妙な錯視効果で直線通路だと思わされる……。まさしく芸術的としか評しようがない工作です……っ!」

 滔々と語り始めるシュルイーズ。これが始まるといつまでも話が終わらないことは、過去の接見で学習している。
 アンナは、彼を無視してマルムゼの意見を伺った。

「どう思う、マルムゼ?」
「両博士が間違いないと言っているのであれば、それは信用していいかと。そして、ラルガ侯爵が法務大臣になったのは良いタイミングでしたな」
「まったくね」

 バティス・スコターディ城は帝室所有の監獄という微妙な立ち位置の施設だ。しかし最近になって急に、高等法院が自分たちに管理させろと主張してきていた。
 ベレス伯爵の一件がその理由である。あの時アンナは、彼をあの古い要塞に幽閉していたのだが、どうやらそれがクロイス公爵の耳に入ったらしい。
 そして顧問派が好き放題に使うのを止めるために、高等法院を動かしたという次第だ。

「帝室か高等法院か、どちらの管轄とするかはまだ決まっていませんが、そんな中で調査を始めようものなら、必ず揉め事になります」
「そうね。だからラルガ侯爵を通して、法務省には私たちに味方をしてもらわないと……マルムゼ、馬車の用意を!」

 善は急げ、だ。アンナはすぐにでも法務省へ向かうつもりだった。

「しかし……よろしいのですか?」

 マルムゼが気まずそうに応える。

「今日は宮廷で、女帝陛下主催の舞踏会があるのでは……」
「ああ、そうだったわね……」

 女帝主催の催しの取り仕切りはアンナの重大な仕事だ。顧問という職務が、皇妃家政機関総監から発展したものと考えると、むしろこれこそが本来の仕事と言っていい。

「……いいわ。今回はグリージュスに任せます」
「宮廷女官長にですか? しかし……」

 マルムゼの言わんとしていることはわかっている。アンナは先日も女帝の名の下に開催された音楽会を欠席した。"獅子の王国"大使が、とある侯爵と揉め事を起こし、その仲介に立つためである。
 その侯爵は元軍人で、"獅子の王国"にいまだに敵意を持つ人物だったものだから、下手すれば外交問題となる。故に、女帝の代理人としてアンナが動く必要があったのだ。

「仕方ないわ。明日の朝は、陛下と朝食を共にする約束をしている。そこで弁解します」
「わかりました……。では、直ちにグリージュス公に使者を送ります」
「ええ、そうしてちょうだい。細かな差配については彼女と共有しているから、問題ないはずよ」

 元々、舞踏会や晩餐会といった貴族の催しはグリージュス公の方が知識も経験も豊富だ。彼女に任せてしまって方がうまくいくことも多いだろう。

「シュルイーズ博士、あなたも法務省に同行してください」
「……という次第で、あのエリアの魔力は磁気に作用し……って、え、法務省? ラルガ公爵のところですか?」

 学術的な考察を楽しそうに語っていたシュルイーズは、アンナの言葉で我に返る。そしてげんなりとした表情を見せた。

「その、私あの人とはあまり相性が……」
「あなたがいなければ説明できないでしょう」

 生真面目で剛直なラルガ侯爵と、天衣無縫なシュルイーズ博士。まぁ、相性は良くないだろう。もしかしたらラルガの"鷲の帝国"への赴任中に、2人の間に何かあったのかもしれない。
 が、そんな所に配慮してるような状況でもない。アンナはマルムゼに目で合図する。

「いいから一緒に来てください!」

 アンナが言うと同時に、マルムゼの両腕がシュルイーズの肩をがっしりとつかんだ。

「そんなご無体な!」

 シュルイーズの抗弁を無視し、マルムゼは彼の体を抱え上げると、馬車を待機させるポーチへと向かっていった。