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スアヴィスはその後、わたくしに対してお仕置きも、危害を加えることもしませんでした。
ただ元のように、椅子に体を預けてぼうっとするわたくしに甲斐甲斐しく世話を焼くだけ。
わたくしの長い髪をブラシで梳く彼は、相変わらずの無表情でした。何を考えているのかも分かりません。
「……スアヴィス…。」
数週間ぶりに口をきいたせいで、掠れた声が出てしまいました。
「…わたくしのこと、本当は憎らしく思ってるでしょう…?
吸血鬼の敵…聖職者の娘を助けようとして…散々あなたに逆らったわ…。」
「……。」
「…わたくし、もう何もしないわ。何も無いの。
最初から、あの頃から本当は分かってたのに、わたくしは愚かにも…自分ならできると思ってしまったの…。」
長いこと栄養を口にしていないせいで、肌も唇もカラカラに乾いています。それなのに、悔しさから涙は滲むのです。
スアヴィスはブラシの手を止めません。
「…スアヴィス。わたくし、ラクリマと一緒に、我が父のことを退治しようと考えたのよ…。
こんな裏切り者、生かしておいてはだめでしょう…?」
スアヴィスの手は止まりません。
「…裏切り者のわたくしのことなんて、あなたの好きにしていいのよ。
だからお願い、わたくしを……、」
急に、スアヴィスの手がピタリと止まりました。
次いで、ブラシが鏡台の上に強めに置かれ、彼は青白い顔をわたくしの顔にグッと近づけてきました。
「!?」
予想外の行動にわたくしはギョッとします。
彼は無表情…のようですが、至近距離でよく見ると、瞳が爛々としています。何かを期待するような輝きです。
「本当に、よろしいのですか?」
「…えっ?」
まさかそんなに迫られるとは思わず、わたくしはビクビクしながら首を縦に振ります。
彼は獣の生き血を抜くことを躊躇わない男です。とても痛い方法で、わたくしの命を奪うに違いありません。
…それでもいい。
ラクリマが死んでしまったのに、役に立てなかったわたくしが生き続ける理由はない。
…それに、わたくしに対して一度も牙を剥かなかったスアヴィスになら、何をされてもいいと思えました。
「ーーーでは、お嬢様。
私の血をお飲みくださいませ。」
「……んえ?」
スアヴィスの提示した要求は、全く予想しなかったものです。
獣でも、人間でもない。彼自身の血を飲めという。
「…な、なにそれ…。
でも、わたくし血が…、」
苦手、と言おうとしたのをスアヴィスが遮り、とても落ち着いた様子で言います。
「お嬢様の幼少期の心の傷は、重々承知しております。
…ですが吸血鬼の体は、血を飲まねば緩やかに朽ちていく。150年保ったとしても、これから10年、20年後に、突然肉体を失ってしまうかもしれません。
私の好きにせよと仰るのでしたら、
“お嬢様を生き長らえさせたい”。
それが私の望みです。」
「…そんな…。」
スアヴィスの目は真剣でした。
一体どんな気持ちで、わたくしを生かそうと考えるのか。彼の心が、分からない。
「幼い頃のお嬢様とのお約束。
私ならばそれが果たせることを、証明したいのです。」
「え…。」
幼い頃の、約束。
スアヴィスとした約束なんて、幼い頃のあの一度きりのはず…。
それは、わたくしがまだ“人間”だった頃。ヴァンパイア・ロードによってこの城に連れ去られた日のことです。