レベッタさんを抱きしめてから、数十秒ぐらい経過しただろうか。

 家の中から一人の女性が出てきた。

「何があった?」

 耳が隠れるぐらいの金髪ショートヘアをしていて、ややつり目な所が気の強さを感じる。ゆったりとしたワンピースを着ているが、手には片手剣があって物騒だ。少し意気が上がっているように見えるので、泣き声を聞いて駆けつけてきたんだろう。

 声を聴いたレベッタさんは振り返り、俺を背中に隠しながら話す。

「心配するようなことは何もないよ。大丈夫」
「本当に? 嘘ついてない?」

 カチャリと片手剣から音がした。威嚇しているように感じる。

「うん。嬉しくて泣いただけだから」
「……どういうこと?」

 ショートヘアの女性の声が和らいだ。

 すぐに話を信じるか。出会ったばかりの俺ですら、二人は仲が良いというのがわかった。

「ふふふ。いいでしょう! 紹介してあげる。きっとヘイリーは驚くはずだよっ!」

 目の前にいたレベッタさんが一歩横にずれると、俺の背中を押してきた。数歩前に出る。

「初めまして。イオディプスです」
「私はヘイリー……って、え、ええっ!?」

 挨拶は普通にできたと思うんだけど、俺の顔を見てヘイリーと名乗った女性は固まってしまった。

 この世界には不慣れなので、知らないうちに失礼な態度をとってしまったのかもしれない。

 不安になったのでレベッタさんの顔を見る。

 してやったり、みたいな表情をしていた。

 どういうこと!?

 レベッタさんはヘイリーさんに近づくと、小声で会話を始める。内緒話をするようだ。

「本当に男――――」
「――――間違いないよ――――囲って――」
「逃が――い」

 話している内に興奮してきたのか、少しだけ声が大きくなって、断片だけど聞き取れた。

 俺が男というのが気になっているようだ。女性が住んでいる家に入るのだから、警戒するのは当然だ。友達が男を連れ込んだとなれば、同居人としては抗議のひとつぐらいしたいものだろうから。

 盗み聞きするのも悪いと思って、少し離れようと動き出す。

「「待って」」

 ヘイリーさんに肩を、レベッタさんには腕を掴まれてしまった。

 振り返り、二人に話かける。

「少し散歩をしたかったんですが、ダメですか?」
「ダメに決まってます!! 襲われたらどうするんですか!!」
「え、逃げますけど」
「甘い、甘いですねっっ! 町のみんなに追われるんだから! 逃げられるわけないんですよ!」

 レベッタさんの言葉に、ヘイリーさんはうんうんと頷いている。

 いったいこの世界は、どんだけ危険なんだよ。と、心の中で突っ込んでしまった。男が歩いただけで町中が敵になるなんて、治安が悪いってレベルじゃない。これが異世界クオリティか。

 ようやく、フードをかぶって移動していた理由がわかった。

「世間知らずで申し訳ないです。大人しくしますね」
「素直でよろしい! さ、お家に入りましょう」

 二人に背中を押されて家に入ってしまった。

 同居人として、ヘイリーさんは文句を言いたかったんじゃないの? 男が入っても大丈夫なの? なんて疑問は出てくるが、危険な町に放置できないとの優しさが優先したんだろうと、自己完結した。

 玄関を通ってリビングに入る。ソファが四つ、囲むように配置されていて、中心には木製のローテーブルがあった。コップがのっているので、ヘイリーさんが飲んでいたんだろう。

 奥には長いダイニングテーブルがあるし、二人で住むには広すぎる。同居人は他にも何人かいそうだ。

「ソファに座って。飲み物を用意してくる」

 ヘイリーさんが部屋の奥に行ってしまった。

 バタンと、ドアの閉まる音が聞こえる。振り返ると、レベッタさんが今まで見たことがないほどの笑みを浮かべていた。

 また背筋がゾクッとし、体から危険だと信号が出ているようだ。

 女嫌いだった前の体の持ち主、その意志が残っていて、反発しているんだろうか。だったら大人しく眠っておけ。それが、お前の望んでいたことだろ。

 俺は入り口に一番近いソファへ腰を下ろすと、右隣にベレッタさんが座った。太ももが触れ合って少しドキドキしてしまう。

 まともに学校に通えなかったこともあって、異性への免疫がないのだ。これ以上優しくされたら勘違しちゃうからな。

「近くないですか?」
「森で暮らしていたからわからないんだと思うけど、男女はね、この距離感が普通なんだよ」

 早口で言われてしまった。
 プレッシャーが強くて気圧されてしまう。

「イオディプスは私より年下でしょ?」

 首を縦に振って肯定する。

「やっぱりね。だったらお姉さんが守ってあげるよ」

 顔が近づいてきたので後ろに下がって避けようとする。

 むにゅっと、後頭部に柔らかい感触があった。

 急いで離れてから後ろを見る。

 コップを持ったヘイリーさんが隣に座っていた。

「ごめんなさい! これは事故で……」
「気にしてない。むしろ、どんとこい」

 胸に触れたというのに笑顔で許され、しかも歓迎されてしまった。

 理解が追いつかず、頭が混乱して状況がわかってない。コップを差し出されたので受け取る。

「…………」

 飲むのを待っているみたいで、二人とも無言だ。

 口を付けてみる。鼻にツンとくる強い匂いとフルーティーな香りがした。クソ親父が飲んでいた酒に似ている。ってかこれ、酒だ。

「…………」

 二人の無言のプレッシャーがすごい。この世界では、水の代わりに酒を飲んでいるのだろうか。

 そういえば歴史の授業で、『昔は水が汚かったから酒にして飲んでいた』なんて言ってたな。あれは高橋先生の小話だった気がする。

 聞いたときは無駄な知識だと思っていたが、意外なところで役に立ってくれた。
 勉強ってのも大事なんだな。