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「伽夜様、とってもお美しいですよ。空色がこのようにお似合いになるとは」
季節は移ろい、夏になった。
ドレスは涼しげに白を基調として薄い空の色の柄が入っている。胸元と腰の盛り上がったバッスルには小さな赤や黄色の花を飾りがつき、濃い水色のリボンが大きく垂れる。
背中に垂れる髪にも小花が咲き、上品で華やかな装いだ。
瞳を輝かせるフミに、伽夜は恥ずかしそうに「ありがとう」と礼を言う。
今夜は鹿鳴館の舞踏会に行く。
「準備はどう?」
振り返ると微笑みを浮かべた涼月がいて、彼はまず伽夜の全身に目を走らせかぶりを振る。
「やっぱり似合いませんか?」
自分には派手だったかと不安になる伽夜の腰に手を伸ばし、涼月は「その逆だ」と笑う。
「あまりにも綺麗で、君を舞踏会に連れていくのが不安になる」
フミとキクヱが口に手をあててクスクスと微笑む。
妻を愛する気持ちをまったく隠そうとしない主人と、いつになっても慣れずに頬を染める女主人を前に微笑まずにはいられないようだ。
父と会った明くる日の朝、涼月にすべてを話して以来、伽夜にはなんの不安もない。
あの後、フミと寄った甘味処で叔母の玉森公爵夫人と萌子に偶然会ったが、夫人は伽夜たちの会計も済ませ、おまけに邸の皆さんへと大福と団子のお土産までくれた。
萌子は終始うつむき加減で、最後に『今までごめんなさい』と謝ってきたのである。
なにがあったかわからないが、もう彼女たちはなにもしないと実感はできた。
フミは『どんなに謝っても伽夜様へ酷い仕打ちをした罪は消えません』と憤っていたが、それでも伽夜には、安堵の微笑みを見せた。
『よかったですね、伽夜様』
『ええ。謝ってくれるとは夢にも思わなかったわ』
涼月にその話をすると「君の両親について確認に行ったんだよ」と微笑んだ。
『君の母は田舎で療養中に医師と恋に落ちたそうだ』
すべてを知っている彼がわざわざそんなふうに言う意味が、伽夜にはわかった。
彼は釘を刺しに行ってくれたのだ。
優しく頼もしい夫を見上げる。
「さあ、行こうか」
「はい」
鹿鳴館は今日も賑やかだ。
杏は今夜も鬼束伯爵と一緒にいた。
舞踏会ではよく一緒にいるが、杏が言うには恋人ではなく気が合う友人らしい。
今はもう鬼束と伽夜は挨拶を交わすだけだ。
あの後、舞踏会で会ったときにさりげなくお礼を言ったが、他人行儀な距離を保っている。
彼の方も伽夜に近づいてはこなかった。
彼と涼月の間に流れるピリピリした緊張感は気になるが、ひとまず気づかぬふりを通している。
黒木からも、男同士の問題ですからお気にせずにと言われたし、伽夜としても藪蛇で鬼束に迷惑をかけたくない。
今の距離感がちょうどいい。
「伽夜」
呼びかけられて顎を上げると、涼月の甘い瞳と目が合った。
「幸せか?」
「ええ、もちろん」
こんなふうに愛する夫とダンスを踊る時間が、幸せでないはずもない。
伽夜は「誰よりも幸せですよ」と、つけ加える。
「愛してる」
耳元で涼月が囁いた。
答える代わりに伽夜は涼月の瞳を見つめ返す。
たとえ心が見えなくても、涼月しか映っていない瞳から想いは伝わるはずだと思う。
心は相変わらず熱いけれど、息苦しさはない。
どんなに好きになってもいいと知ったときから、悲しみを連れて苦しみもどこかに消えた。
もう、この気持ちを止めなくていいのだ。
燃えるほど好きになってもかまわない。
大好きです。あなた。
ずっと私を離さないで。
伽夜はにっこりと微笑みながら、そう強く願った。
ー完ー