柳姫に礼をいい北へと馬を走らせた。
 歩いて行ける距離ではない。
 伽夜がひとりで向かうはずもなく、必ず手引きをした者がいるはずだ。
 森が近づいてくると、止まっている車が見えた。
 思ったとおり、鬼束伯爵の車である。
 馬を降りて近づくと、車の脇から鬼束が出てきた。
「伽夜はどうした」
「なんのことですか?」
 彼は肩をすくめる。
「ご覧の通り、タイヤがはまってしまいましてね」
 ちらりと見ると、確かに車は昨日降った雨のぬかるみにはまっているようだ。
 だが、涼月はそれには構わず続ける。
「言え。伽夜はどこにいる」
「ですから、うちの別宅がすぐそこに――」
 なおも惚ける彼の足元を目掛け、前に突き出した右手の平を大きく開いた。
 その刹那ひらりと飛び上がった鬼束は車の屋根の上に立つ。
 彼が立っていた地面は轟音と共に大きく抉られていた。
「危ないな」
 鬼束は肩をすくめておどける。
「やはりお前は鬼の眷属か」
「そういうお前も、ただの陰陽師ではないな。いったいお前は何者なんだ」
 鬼束はさらに上に飛び木の枝に片足で立ち、腕を組んでいる。
 到底普通の人間の動きではない。
「何度も言わすな、伽夜はどこだ!」
 涼月は怒気を強め、今度は枝を砕いた。
 鬼束が飛ぶその先の枝も砕口と同時に、今度は鬼束が細かい 礫 (つぶて)を投げ涼月は大きく飛び退く。
 涼月がいたはずの地面には無数の穴ができる。
 そのまま戦い続けるうち「いい加減にしろ!」と声が響いた。

「森を壊す気か!」
 見れば大木に大きな男が立っていた。
 腕には伽夜がいて、気を失っているように見える。
「酒呑童子か」
「言うまでもあるまい」
 酒呑童子はギロリと涼月と鬼束要のふたりを見比べるように首を回す。
「なるほどな。――陰陽師よ、ひとまずお前の屋敷に行く。少し話をしよう。夜が明ける前に」
 酒呑童子はそれだけ言うと伽夜を抱いたまま瞬時に姿を消した。

 涼月が高遠の屋敷に戻ったとき。酒呑童子は伽夜の部屋の窓に腰を下ろし、外を眺めていた。
 庭のあやかしたちが騒がしい。
 池の周りで河童らが身を寄せ合うようにして、草木の影から酒呑童子を見上げているのが見えた。恐れおののいているのだろう。
 邸に入り、伽夜の部屋の扉を開けると、酒呑童子は棚に並ぶ茶碗をつつき付喪神をからかっていた。
 茶碗が「やめてくれっ」と騒いでいる。
「遅いな」
「仕方がない人間の体なのだ」
 伽夜はベッドで寝ている。
「口の聞き方に気をつけるんだな。義理とはいえ我はお前の父親でもあるんだぞ」
 鬼めが、と咥内で毒づき涼月は溜め息をつく。
 やはり伽夜の父は酒呑童子だったのだ。
「伽夜のほかに子は?」
「おらん。伽夜は我の唯一無二の娘。小夜子は人の血が濃く、長く生きられなかったのが残念だ」
 目がよく似ていた。疑うほどの理由もない。
 噂通り、見れば見るほど美しい顔をした男である。ツノがなければそれとはわからないくらい人そのものだ。
 千年前に誕生したと言われているが、寿命はないのか。
 歳を重ねるごとに弱るあやかしもいるが、鬼は謎に包まれいる。
 ゆっくりと首を回した酒呑童子は涼月をじっと見る。
「大天狗だったとはな」
 酒呑童子は見抜いたらしい。
「お前は人よりも天狗が濃いではないか」
 よく化けたもんだとニヤリと笑う。
「お前、どういうつもりで伽夜を娶った。なぜ、伽夜は我と暮らしたいなどと言う?」
 酒呑童子は涼月を見極めようとするかのようにジッと見つめる。
「伽夜を足がかりに我を倒すつもりか。ことと次第によっては伽夜は赤鬼に預けるぞ」
 瞬きもせず見返した涼月は不敵な笑みを浮かべる。
 赤鬼――。鬼束要。
 明るく燃えるようにうねる髪は、まさに赤鬼を連想させる。