(ととさまに早く会いたい)
ガス燈の明かりを避けながら、その一心でひた走る。
向かうのは、鬼束伯爵の妹から渡された紙に書いてあった場所。
屋敷から北へ向かった先にある川沿いの道だ。
【丑三つ時に、柳姫の下で車を停めて待っています】
柳姫とは女のあやかしが棲みついているといわれている大きなしだれ柳の木だ。
角を曲ったところで、柳姫の下に停まる車が見えた。
約束通り彼は来てくれた。
ホッと胸を撫でおろす伽夜が近づくと、車の扉が開き、黒いマントの男が降りてきた。
鬼束伯爵である。
「さあ、乗って」
「はい、ありがとうございます。あの、ここからどれくらいですか?」
「遠くはないよ。一時間ほど走れば着く」
よかった。
夜明け前に帰り、今夜のことは知られたくない。
高遠家を出るときは、離縁をしてもらい正式な形で出たいと思っている。
そうでないと迷惑をかけてしまう。妻が家出をしたのでは、高遠家の恥だ。お世話になったのにそれでは申し訳ない。
「どうしても今夜のうちに帰りたいので」
鬼束伯爵はうなずく。
「俺も誘拐犯にはなりたくないからね」
クスッと笑う伯爵の笑顔に密かに胸を撫で下ろす。
ほんの数回しか会っていないし、正直彼がどういう人かわからない。もし悪人だった場合、それこそ高遠家に迷惑をかけてしまうが、不思議なほど伽夜には自信があった。
鬼束伯爵の瞳は嘘をついていないと思うのだ。
車が走り出し、伽夜は後ろを振り返った。
誰も追いかけてこない。
見つかった場合、自分はいいが鬼束に迷惑をかけてしまう。それはどうしても避けたい。
あらためて鬼束伯爵を振り向くと、彼は首を傾げて伽夜を見ていた。
「ご自分で運転なさるのですね」
「秘密にしたいときはね」
酒呑童子に会いに行くなど誰にも知られたくないだろうと納得する。
「さあ、早速だが、どうして高遠と結婚することになったんだい?」
「高遠の祖母の遺言だと聞きました」
眉間をひそめた鬼束は「なぜ高遠公爵夫人が」と考え込む。
「実は君に縁談を申し込みに玉森に行ったんだが、すでに君はいなかった」
「えっ?」
伽夜は目を剥いて驚いた。
「鬼の娘を探していた。手掛かりは額にある梅の花」
鬼束は伽夜の額を見る。
「君の額に花の痣があるという噂を聞いたんだが……」
今は見えないはず。
だが、見透かされるような気がして背中がヒヤリとする。
それにしても。
額に梅の花がある娘といえば、どう考えても伽夜に違いない。
叔父に不気味でみっともないから隠せと言われていた。
なので親友の杏にも見せていない。いったいどこからそんな話が漏れたのか。叔父夫婦に萌子、ほかに玉森の使用人ならば伽夜の額の痣を知ってはいるが。
鬼束伯爵は伽夜の額を見て「違うようだ」とひとりごちる。
「でも間違いなく、君は鬼の匂いがするのに」
実は痣はあると言ったらどうなるのだろう。
少し迷ったが、ひとまず黙っておいた。彼と結婚するつもりはないから。
「あの……。その痣にはどういう意味が?」
「祖父が今わの際で言ったんだ。額に梅の花のある娘を探して鬼束家に迎えろと。その娘は計り知れない力を秘めているとね」
――計り知れない力?
「父が酒呑童子に言われたらしい。その娘を守れと」
「守れ、ですか?」
結婚と守れとでは意味が違うと思うが。
「ああ、そうだよ。鬼束に迎え入れて、大事に守るつもりだったんだ」
そういう意味かと納得したが、同時に混乱した。
祖母は高遠家に伽夜を託し、おそらく父である酒呑童子は鬼束家に伽夜を託したことになる。
「それで、君は」
「は、はい?」
混乱していた伽夜はハッとして鬼束伯爵を振り向いた。
「酒呑童子に会ってどうするつもり?」
「どうもしません。ただ、会いたいんです」
本当に父なのかと確かめたい。
そして、なぜ覚えていないのか。無くした記憶も取り戻したい。今夜の望みはそれだけだ。
いずれ無事に涼月と離縁したら、一緒に暮らせないかと頼んでみようと思う。
人を喰らう鬼と父が関係あるなら、近くにいて止めなきゃいけないから。
わずかな記憶に残っている父ならば、優しいはずだが、たとえ命に代えても止める。それが人として生まれた自分の責務に違いない。
伽夜の思いを知らない鬼束は「まあ会うのはいいことだ」とうなづく。
これ以上質問される前にと、今度は伽夜が質問をする。
「あの、鬼束家は鬼の家系なのですか?」
彼は「もちろんだ」と眉をひそめた。わかりきったことだと言わんばかりに。
「我が一族は誇り高い赤鬼の血が入っている。五十年前の粛清で生き残るために鬼の気配を消さざるをえなかったが。――玉森は九尾の狐だろう?」
「はい。そういう言い伝えがあると聞いています。証拠はありませんが」
風呂敷に包んでいる輝く衣が脳裏をよぎったが、その話をするほどまだ彼を信用していない。
「君の母が受け継いだようだな。今の公爵にその気配はないし、君と違って萌子という娘の方はなんの匂いも感じない」
そうなのか、と伽夜はぼんやりと思った。
萌子と伽夜は従姉妹なのに、子どもの頃から似ても似つかないふたりだった。
考え方も好みも。顔や表情も。何もかも違う。
ふと空を見上げる。
雲がでてきたようで、月も星も見えなかった。
今頃萌子はぐっすりと眠っているだろう。
自分も異能などなければ夢の中のはずだと伽夜は思う。
付喪神とも話せず座敷童や河童も見れず。今となっては彼らに出会えないのは寂しいと思うが、それが普通なのだ。
ガス燈の明かりを避けながら、その一心でひた走る。
向かうのは、鬼束伯爵の妹から渡された紙に書いてあった場所。
屋敷から北へ向かった先にある川沿いの道だ。
【丑三つ時に、柳姫の下で車を停めて待っています】
柳姫とは女のあやかしが棲みついているといわれている大きなしだれ柳の木だ。
角を曲ったところで、柳姫の下に停まる車が見えた。
約束通り彼は来てくれた。
ホッと胸を撫でおろす伽夜が近づくと、車の扉が開き、黒いマントの男が降りてきた。
鬼束伯爵である。
「さあ、乗って」
「はい、ありがとうございます。あの、ここからどれくらいですか?」
「遠くはないよ。一時間ほど走れば着く」
よかった。
夜明け前に帰り、今夜のことは知られたくない。
高遠家を出るときは、離縁をしてもらい正式な形で出たいと思っている。
そうでないと迷惑をかけてしまう。妻が家出をしたのでは、高遠家の恥だ。お世話になったのにそれでは申し訳ない。
「どうしても今夜のうちに帰りたいので」
鬼束伯爵はうなずく。
「俺も誘拐犯にはなりたくないからね」
クスッと笑う伯爵の笑顔に密かに胸を撫で下ろす。
ほんの数回しか会っていないし、正直彼がどういう人かわからない。もし悪人だった場合、それこそ高遠家に迷惑をかけてしまうが、不思議なほど伽夜には自信があった。
鬼束伯爵の瞳は嘘をついていないと思うのだ。
車が走り出し、伽夜は後ろを振り返った。
誰も追いかけてこない。
見つかった場合、自分はいいが鬼束に迷惑をかけてしまう。それはどうしても避けたい。
あらためて鬼束伯爵を振り向くと、彼は首を傾げて伽夜を見ていた。
「ご自分で運転なさるのですね」
「秘密にしたいときはね」
酒呑童子に会いに行くなど誰にも知られたくないだろうと納得する。
「さあ、早速だが、どうして高遠と結婚することになったんだい?」
「高遠の祖母の遺言だと聞きました」
眉間をひそめた鬼束は「なぜ高遠公爵夫人が」と考え込む。
「実は君に縁談を申し込みに玉森に行ったんだが、すでに君はいなかった」
「えっ?」
伽夜は目を剥いて驚いた。
「鬼の娘を探していた。手掛かりは額にある梅の花」
鬼束は伽夜の額を見る。
「君の額に花の痣があるという噂を聞いたんだが……」
今は見えないはず。
だが、見透かされるような気がして背中がヒヤリとする。
それにしても。
額に梅の花がある娘といえば、どう考えても伽夜に違いない。
叔父に不気味でみっともないから隠せと言われていた。
なので親友の杏にも見せていない。いったいどこからそんな話が漏れたのか。叔父夫婦に萌子、ほかに玉森の使用人ならば伽夜の額の痣を知ってはいるが。
鬼束伯爵は伽夜の額を見て「違うようだ」とひとりごちる。
「でも間違いなく、君は鬼の匂いがするのに」
実は痣はあると言ったらどうなるのだろう。
少し迷ったが、ひとまず黙っておいた。彼と結婚するつもりはないから。
「あの……。その痣にはどういう意味が?」
「祖父が今わの際で言ったんだ。額に梅の花のある娘を探して鬼束家に迎えろと。その娘は計り知れない力を秘めているとね」
――計り知れない力?
「父が酒呑童子に言われたらしい。その娘を守れと」
「守れ、ですか?」
結婚と守れとでは意味が違うと思うが。
「ああ、そうだよ。鬼束に迎え入れて、大事に守るつもりだったんだ」
そういう意味かと納得したが、同時に混乱した。
祖母は高遠家に伽夜を託し、おそらく父である酒呑童子は鬼束家に伽夜を託したことになる。
「それで、君は」
「は、はい?」
混乱していた伽夜はハッとして鬼束伯爵を振り向いた。
「酒呑童子に会ってどうするつもり?」
「どうもしません。ただ、会いたいんです」
本当に父なのかと確かめたい。
そして、なぜ覚えていないのか。無くした記憶も取り戻したい。今夜の望みはそれだけだ。
いずれ無事に涼月と離縁したら、一緒に暮らせないかと頼んでみようと思う。
人を喰らう鬼と父が関係あるなら、近くにいて止めなきゃいけないから。
わずかな記憶に残っている父ならば、優しいはずだが、たとえ命に代えても止める。それが人として生まれた自分の責務に違いない。
伽夜の思いを知らない鬼束は「まあ会うのはいいことだ」とうなづく。
これ以上質問される前にと、今度は伽夜が質問をする。
「あの、鬼束家は鬼の家系なのですか?」
彼は「もちろんだ」と眉をひそめた。わかりきったことだと言わんばかりに。
「我が一族は誇り高い赤鬼の血が入っている。五十年前の粛清で生き残るために鬼の気配を消さざるをえなかったが。――玉森は九尾の狐だろう?」
「はい。そういう言い伝えがあると聞いています。証拠はありませんが」
風呂敷に包んでいる輝く衣が脳裏をよぎったが、その話をするほどまだ彼を信用していない。
「君の母が受け継いだようだな。今の公爵にその気配はないし、君と違って萌子という娘の方はなんの匂いも感じない」
そうなのか、と伽夜はぼんやりと思った。
萌子と伽夜は従姉妹なのに、子どもの頃から似ても似つかないふたりだった。
考え方も好みも。顔や表情も。何もかも違う。
ふと空を見上げる。
雲がでてきたようで、月も星も見えなかった。
今頃萌子はぐっすりと眠っているだろう。
自分も異能などなければ夢の中のはずだと伽夜は思う。
付喪神とも話せず座敷童や河童も見れず。今となっては彼らに出会えないのは寂しいと思うが、それが普通なのだ。



