許さないという声が耳の中まで届くような鋭い目を思い出し、気持ちが暗くなる。
 叔父夫婦と会話をしている涼月には見えない角度で、萌子は伽夜だけを睨んでいたから、彼は彼女の憎悪に気づいていない。
 祝言を挙げて間もなく、一度だけ外出した伽夜は萌子に会っている。
 フミが気にしていた通り、キクヱに連れられて舞踏会に着るドレスを作りに行ったときだ。
 萌子は叔母とドレスを受け取りに来たのかちょうど帰るところで、なにも知らないキクヱが『まあ偶然ですね』と明るく声をかけた。
 涼月から口頭では結婚しようと言われていたものの、その時点ではまだ確信がもてず不安を抱えていた。
『ごきげんよう。こちらへは?』と聞く叔母を前に、伽夜はなんと挨拶したらいいかわからずにいると、キクヱがすかさず『今日は伽夜様の舞踏会のドレスの注文に』と答えてくれたのである。
 叔母は皮肉めいた冷たい目で『あらそう、よかったわね』と伽夜を睨み、行ってしまったが、萌子は違った。

『お前、調子に乗っていると、鬼の娘だと世間にバラすわよ』
 キクヱがわずかに伽夜から離れた隙の出来事だ。
『お祖母さまとお父様が話しているのを聞いたのよ。お前の母親は怪しい異能があって、ついには鬼の娘を生んだってね。お前は卑しい鬼の娘なんだ』
『え? なにを言っているの?』
 萌子は、伽夜の額の痣が証拠だと言った。
『高遠伯爵の銀行も研究所もなにもかも、お前のせいで潰れるよ。暴動が起きて屋敷も壊されるだろうね』
 萌子の目は本気だった。
() 月のうちに離縁しないと、そうなるよ』
 それが、フミにも言っていない真実だ。

 早いもので、もうひと月経ってしまった。
(急がなきゃいけない)
 玉森家で躊躇なく伽夜の頬を叩いたように。これ見よがしに伽夜の大切な物を壊したように。萌子に迷いはない。
 自分にできるのは、高遠家を守ること。
 まずは父が本当に酒呑童子なのか、真相を確かめなければ。
 丑三つ時までは時間がある。
 少し寝ようと思ううち、眠りに落ちていたらしい。
 付喪神の話し声にハッとして目覚めた。
「今何時?」
「もうそろそろ丑三つ時だよ」
 六時間ほど寝ていたようだ。
「鬼退治が様子を見にきていたよ」
「そうでしたか」
 涼月が来たのは、伽夜が床について間もなくだったらしい。
「あいつになにかされたのかい?」
「いいえ、なにも?」
 なぜそんな質問をするのかと聞くと、彼は謝っていたという。
「神妙な顔で『すまない』ってね」
 胸がチクリと痛んだ。
(謝らなきゃいけないのは私の方なのに)
「私は涼月さんに感謝こそすれ、謝られるような心当たりなんて、ひとつもありませんよ」
「まったくお前はいつもそうだ」
 彼の様子を詳しく聞きたかったが話込んでいる余裕はない。
 戻るつもりでいるが、どうなるかわからない。
 鬼束伯爵がどんな人かもわからないし、酒呑童子が父でなければ殺されてしまうかもしれないのだ……。
 気を取り直して急いで涼月宛の手紙をしたため、今日完成したお守りの紐を一緒に置く。
 作っておいた動きやすい服に着替え、昼間のうちに用意した綱を取り出す。
「さっきからなにをしているんだい?」
「ちょっと夜の散歩よ。明るくなる前に帰ってくるわね」
 屏風の付喪神が髪についた牡丹を揺らしながら首を傾げる。
「散歩? あたしらと一緒に行くんじゃないのかい?」
「今夜はまずひとりで行ってみるわ」
 この日のために付喪神には夜の散歩がうらやましいと言ってある。あなたたちのように、深夜の街を歩いてみたいと。

 そっと窓を開け、梯子のようになっている綱を下ろす。
 闇夜に浮かぶのは細い三日月、ひと目に付きにくく家出には絶好の夜だ。
 伽夜は迷いもせず、紐を伝って下りた。
 無事に庭に着き、念のためぶら下がる綱を見上げたが、壁と同じ色の紐のおかげで、思った通り目立たない。
 伽夜は風呂敷を背負い、足早に使用人用の通用口から通りへ出た。
 丑三つ時に歩く人はいない。
 少し前の伽夜なら、こんな時間にひとりで外を歩くなんて、恐ろしくて考えただけで震えただろう。
 でも、今は少しも怖くない。
 酒呑童子に会いたいという思いが恐怖に勝っている。
 瓢箪の酒を飲み始めてひと月、実は僅かだが両親と過ごした日々の記憶を取り戻していた。
『伽夜も、ととさまみたいなツノがほしい』
 記憶の中の父は優しい笑顔で笑っている。
 父の頭にツノは生えていたが、それ以外は人間とまったく変わらない見た目の、素敵な人だ。
 彼は実の父なのか?
 養父である可能性はないのか。