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それから三日後――。
伽夜は朝から食欲があまりなかった。
「食べないのか?」
ハッとして顔を上げると、涼月が心配そうに見ていた。
「少し体調が」
涼月はすかさず立ちあがり伽夜の額に手をあてる。
「ん……。熱はないようだな」
ないはずだ。伽夜は体調が悪いわけじゃない。あくまでそのふりをしているだけだ。
食欲がないのは本当だけれど。
「大丈夫です。少し寝れば治りますから」
心配そうな涼月ににっこりと微笑みかけ、玄関で見送った。
彼の乗る車が見えなくなると、危うく涙が込み上げそうになり、必死に息を止める。
今生の別れというわけじゃない。
どうなるかはわからないが、すべて彼やこの家のため。明るい未来のためなのだから、涙は禁物だと自分に言い聞かせる。
それから夕方までは自分の部屋で過ごした。
涼月に贈る御守りの紐を仕上げなければならない。
黙々と作業を進め、ようやく出来上がった頃、フミがお茶を持ってきた。
「伽夜様、具合はどうですか?」
「随分よくなったけれど、今日はやっぱり早く寝るわ」
「わかりました。先にお食事にしましょう。ご主人様には私から伝えておきますね。ゆっくりお休みになってください」
フミに嘘をつくのは気が引けたが、ほかに理由が浮かばなかった。
部屋に食事を持ってきてもらい、床につく。
涼月と顔を合わせて嘘をつく自信はないので、寝たふりをしてやり過ごそうと決めている。
舞踏会に行って以来、涼月は少し変わったと思う。眼差しも抱き寄せる腕の力も、燃えるような熱を帯びていて、彼自身も持て余しているように感じるのは、気のせいか。
『君の心が見えない』
夕べ、おやすみの口づけの後、つぶやくように彼は言った。
舞踏会の帰りの車の中で、離縁したいなどとつまらない冗談を言ったからかもしれない。あのとき彼は言葉を失っていたから。
まさかあんなに驚くとは、想像だにしなかった。
いつも冷静な彼だから、淡々とやり過ごすと思ったのに。
離縁したらその後はどうするんだとか、冗談半分でも落ち着いて聞いてくれたなら、もう少し具体的に話をするつもりだった。
だが、一瞬とはいえ目を見開いて絶句する彼を前にして、伽夜は笑うしかなかった。
(最初から一年の約束なのに……。私は鬼の娘だから、いつかは離縁しなきゃいけないから)
実は冗談じゃなく本気だったと、彼は知らないままだ……。
鬼束伯爵の言葉を思いだす。
舞踏会で会った彼はふたりきりになったとき『俺も鬼の眷属だよ』と短く言った。
『君もそうだろう? 同じ匂いがするからすぐにわかった』
それだけでも十分驚いたのに、彼はずばり父を言い当てたのだ。
『ん? この匂いは、まさか。酒呑童子の?』
咄嗟に聞き返した。
『酒呑童子を知っているんですか?』
『知っているもなにも、彼は我々鬼の首長じゃないか』
涼月が杏と話をしている間の短い会話だった。
そして最後に、彼はこうも言ったのだ。
『でもどうして高遠と? あいつは鬼の敵なのに』
とにかく急いで真相を確かめなきゃいけない。
うやむやなままでは、彼や周りのみんなを不幸にしてしまう。まだ間に合うはずだと自分に言い聞かせた。
舞踏会には萌子も叔父夫婦ときていた。
涼月に手を引かれて一緒に挨拶をしたが、萌子は両親の後ろに隠れるようにして、怒りに燃える目で伽夜を睨んだ。