伽夜は不自由さを感じている。
 海棠杏が思うように、自由な外出が必要なら。それであの悲しげな表情が消えるのなら。出かけたらいい。しっかりと警備をつければ問題ないだろう。日中ならあやかしに襲われる心配もない。
 そんなことを思いつつ、ふと隣に座っている伽夜を見れば、彼女は物珍しそうに外の景色を見ていた。
 玉森公爵の言葉を信じるわけじゃないが、ああいう賑やかで華やかな場所は苦手なのかと思っていたが、どうなんだろう。

「舞踏会疲れたか?」
 振り向く伽夜はにっこりと微笑む。
「いいえ、大丈夫です」
 穏やかでいい笑顔だ。
 誰を紹介しても、今のような笑顔でそつなく挨拶を交わしていた。
 少し恥ずかしそうに控えめであった分、好感度は高かったと思う。皆褒めていたし、公爵夫人として点数をつければ満点のお披露目である。
 無理をしていなかったとは思うが、実際はどうなのか。
 相変わらず伽夜の心は読めない。

「ならいいが」
「正直言うと少し疲れました。でも、それ以上にとても楽しかったです」
 友達に会えたから?と聞こうとして、やめておいた。
 伽夜は心からうれしそうに見える。それで十分だ。
「海棠さんとたまに出かけるといい」
 ハッとしたように伽夜は目を見開くいた後、にっこりと微笑んだ。
「はい」
 そんなにうれしいかと、涼月は苦笑した。
(止めたつもりはなかったが、やはり遠慮していたのか)
 もしかすると金の心配をしているのかもしれない。給金が欲しいと言ったくらいだと思いあたった。
 そういえばと思った。使用人でいいと言い出したとき、伽夜は秘密だと言った。夢を叶えるためと後に聞いたが、もしかすると自由を得るための資金が欲しいのか。
 黒木が心配をしていた通り、今も伽夜はやはり高遠を出ていくつもりでいる?
 嫌な予感に、ぞわりと悪寒が走る。
「出かけるときは、必ずフミを連れて行くように」
「はい。わかりました」
 フミだけでは心配だ。伽夜の外出のために、玉森家に出入りしていた俥夫、捨吉という男を専属で雇おう。フミの話では人柄もいいようだ。俥夫の体力があれば用心棒もできるだろうし。
「ところで、なにを熱心に見ているんだ?」
「ガス燈で照らされる夜の銀座を見るのは初めてなので」
「ああ……」
(そうだったか)
 公爵家の令嬢ならば、親に連れられて舞踏会や宴に出かけるものだが、伽夜は捨て置かれていたのだった。
 考えてもみなかったが、伽夜は夜の街を知らないのだ。

「今度、レストランで食事をしよう」
 たまには着飾った伽夜を連れて夜の街を歩くのもいいかもしれない。
「はい。あ、でも御膳所の方々が」
 うれしそうな表情が一瞬で気遣わしげになる。
 伽夜はいつもそうだ。人の気持ちになってあれこれ考える。少しは自分の心配もしてほしいのに。
「俺も伽夜もいなければ賄いを作るだけで済む。いい休みになるだろう」
「あ、そうか、そうですね」
 彼女が来る前は、涼月が家で夕食を取らない日も頻繁にあった。作り甲斐がないと嘆いていた料理人も、今は伽夜のためにあれこれと研究して張り切っているようだ。
 高遠家の使用人は皆、伽夜を歓迎している。公爵家の令嬢であるのに腰が低く、いつも穏やかだ。おまけに可憐で美しい。いるだけで屋敷が華やぐ。
 不満があるとすれば、すぐに手伝おうとすることくらいか。
「伽夜、我が家は皆、変化を楽しむ余裕がある者ばかりだ。気にしなくていい。君はもっともっと我儘を覚えなきゃいけないな」
 さっそく戸惑う伽夜の手を握る。
「さあ、我儘の練習をしよう。なにか言ってごらん?」
「え、で、でも」
「なにかあるだろう?」
 困惑顔の伽夜は上目遣いにちらりと涼月を見て、頬を膨らませた。
「涼月さんは案外いじわるですね」
「ほぅ、どこが?」
 顔を覗き込むと、くすくす笑った伽夜は「では――」と、ジッと涼月を見た。

「では――。私と、離縁してくださいませ」

 時間が止まったような気がした。
「な……」
「冗談でございますよ」
 あははと楽しそうに笑う伽夜の様子から察するに、冗談のようだが――。
 声が出なかった。
 呼吸も心臓も止まったかもしれない。
「こいつめ」
 睨むと伽夜は「ごめんなさい」とまた笑う。
 両手で捕まえるように抱きしめて耳元で囁いた。
「今度そんな冗談を言ったら――」
 言ったら……。
(俺はどうしようと言うんだ?)
「――今後、食後のデザートは抜きだ」
 それは悲しいと笑う伽夜の肩を、涼月は抱き寄せた。