***
明くる朝、遠巻きにした使用人たちに見送られ、伽夜は叔父と一緒に車に乗った。
(みんな、元気でね)
フミもほかの使用人達も皆ひっそりと泣いている。
朝方声をあげて泣いた使用人が叔母に厳しく折檻された。だから泣かないでほしいと思うが、伽夜の目にも涙が光る。
彼らの姿が小さくなり、やがて見えなくなるまで、伽夜は車の窓を振り返った。
叔父はもともと口が少ない。会話もなく車に揺られながら、膝の上の風呂敷包みをギュッと握り締める。
伽夜の生活は質素だ。たいしたものはない。
昨日汚してしまった着物と袴は、しっかりと乾いてからフミが高遠の邸に届けてくれると言ってくれた。包みの中は幾らかの着替えのほかは祖母の形見の帯締めと、母の形見の小さな髪飾りだけ。
高遠家から身一つでいいと言われたらしく、言葉通りに吝嗇家の叔父はなにも用意はしてくれなかった。
ふと、朝食を思い出す。
(美味しいパンだったなぁ)
今朝もいつものように明け方に起きて掃き掃除をしていると、叔父に朝食を一緒に取るようにと呼ばれた。
最後の晩餐ならぬ最後の朝食。叔母と萌子はとても不満気だったが、叔父なりの配慮らしい。
スープにこんがりと焼けたパン。野菜だけでなく卵焼きやハムが添えられ、果物もつくという贅沢な洋食だった。
伽夜の普段の朝食は具のないおにぎりひとつだし、祖父母がいた頃は和食である。叔父達は普段ああいった朝食を取っていたのかと、ぼんやり思う。
「伽夜、余計なことは言うなよ。お前はわたしの娘としか先方には言っていない」
「はい」
この時代、妾も多かったせいか養子や養女は珍しくない。女学校にも通っていたから詮索はされないはずだ。そしてなによりも――。
もし両親の秘密がわかってしまったら、どうなるのか。
恐怖からくる緊張が背筋に走る。
『いいかい伽夜。戻ってきたら、助田様に嫁がせるからね』
今朝、叔母に挨拶をするとそう言われた。
『助田様……?』
『お前はもともと助田様に嫁がせる予定だったんだ。まあどうせこの縁談に高遠様は乗り気じゃないし、すぐに追い返されるだろうから、そのまま助田様のところへ連れて行くよ』
助田は子爵だ。おそらく歳は五十近い。
何度も再婚を重ねていて、その度に妻は早逝している。残忍な嗜好があり、妻たちは痛めつけられたまま死んだらしいと、女学校で噂になっていた。使用人も何人も行方知れずになっているという。
単なる噂ではないと思ったのは、助田が玉森家に来たときだ。
今から半月ほど前、珍しく伽夜は母家に呼ばれ、夕食を共にとった。叔父夫婦はいたが、なぜか萌子はおらず、助田がテーブルの向かいの席にいた。
『ほぉ、これは美しい……』
そのとき助田が向けた蛇のような眼差しを忘れられない。
残忍に光る目を思い出し、ぞわぞわと鳥肌がたった。
伽夜は腕をさすり、ふぅっとゆっくり息を吐く。
前門の虎後門の狼ならぬ、前門の鬼、後門の蛇か。蛇は嫌だ。どうせならならば鬼がいいと思った。
(私だって、あやかしの娘かもしれないんだもの)
気持ちを切り替えようと車窓から外を見た。
車に乗るのは初めてのせいか、街の景色がいつもと違ってみえる。
ワンピースやブラウスにスカートという洋装の若い女性も多い。帽子をかぶり、髪も短かかったりして、時代の最先端をいく彼女たちは溌剌としている。仕事中なのか、颯爽と歩く姿が眩しい。
できるなら彼女たちのように働きたかった。誰にも迷惑をかけず、自分の力で。
そしていつか、父を捜したい。父が本当にあやかしだとしても……。
こみ上げる思いに涙が溢れそうになり、伽夜は風呂敷包みをきゅっと握り締めた。
明くる朝、遠巻きにした使用人たちに見送られ、伽夜は叔父と一緒に車に乗った。
(みんな、元気でね)
フミもほかの使用人達も皆ひっそりと泣いている。
朝方声をあげて泣いた使用人が叔母に厳しく折檻された。だから泣かないでほしいと思うが、伽夜の目にも涙が光る。
彼らの姿が小さくなり、やがて見えなくなるまで、伽夜は車の窓を振り返った。
叔父はもともと口が少ない。会話もなく車に揺られながら、膝の上の風呂敷包みをギュッと握り締める。
伽夜の生活は質素だ。たいしたものはない。
昨日汚してしまった着物と袴は、しっかりと乾いてからフミが高遠の邸に届けてくれると言ってくれた。包みの中は幾らかの着替えのほかは祖母の形見の帯締めと、母の形見の小さな髪飾りだけ。
高遠家から身一つでいいと言われたらしく、言葉通りに吝嗇家の叔父はなにも用意はしてくれなかった。
ふと、朝食を思い出す。
(美味しいパンだったなぁ)
今朝もいつものように明け方に起きて掃き掃除をしていると、叔父に朝食を一緒に取るようにと呼ばれた。
最後の晩餐ならぬ最後の朝食。叔母と萌子はとても不満気だったが、叔父なりの配慮らしい。
スープにこんがりと焼けたパン。野菜だけでなく卵焼きやハムが添えられ、果物もつくという贅沢な洋食だった。
伽夜の普段の朝食は具のないおにぎりひとつだし、祖父母がいた頃は和食である。叔父達は普段ああいった朝食を取っていたのかと、ぼんやり思う。
「伽夜、余計なことは言うなよ。お前はわたしの娘としか先方には言っていない」
「はい」
この時代、妾も多かったせいか養子や養女は珍しくない。女学校にも通っていたから詮索はされないはずだ。そしてなによりも――。
もし両親の秘密がわかってしまったら、どうなるのか。
恐怖からくる緊張が背筋に走る。
『いいかい伽夜。戻ってきたら、助田様に嫁がせるからね』
今朝、叔母に挨拶をするとそう言われた。
『助田様……?』
『お前はもともと助田様に嫁がせる予定だったんだ。まあどうせこの縁談に高遠様は乗り気じゃないし、すぐに追い返されるだろうから、そのまま助田様のところへ連れて行くよ』
助田は子爵だ。おそらく歳は五十近い。
何度も再婚を重ねていて、その度に妻は早逝している。残忍な嗜好があり、妻たちは痛めつけられたまま死んだらしいと、女学校で噂になっていた。使用人も何人も行方知れずになっているという。
単なる噂ではないと思ったのは、助田が玉森家に来たときだ。
今から半月ほど前、珍しく伽夜は母家に呼ばれ、夕食を共にとった。叔父夫婦はいたが、なぜか萌子はおらず、助田がテーブルの向かいの席にいた。
『ほぉ、これは美しい……』
そのとき助田が向けた蛇のような眼差しを忘れられない。
残忍に光る目を思い出し、ぞわぞわと鳥肌がたった。
伽夜は腕をさすり、ふぅっとゆっくり息を吐く。
前門の虎後門の狼ならぬ、前門の鬼、後門の蛇か。蛇は嫌だ。どうせならならば鬼がいいと思った。
(私だって、あやかしの娘かもしれないんだもの)
気持ちを切り替えようと車窓から外を見た。
車に乗るのは初めてのせいか、街の景色がいつもと違ってみえる。
ワンピースやブラウスにスカートという洋装の若い女性も多い。帽子をかぶり、髪も短かかったりして、時代の最先端をいく彼女たちは溌剌としている。仕事中なのか、颯爽と歩く姿が眩しい。
できるなら彼女たちのように働きたかった。誰にも迷惑をかけず、自分の力で。
そしていつか、父を捜したい。父が本当にあやかしだとしても……。
こみ上げる思いに涙が溢れそうになり、伽夜は風呂敷包みをきゅっと握り締めた。