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 今日ほど涼月を頼もしく思ったことはない。
 車を降りてからずっと、伽夜は転ばないように気をつけるだけで精一杯だった。
 練習してきたとはいえ裾が広がったスカートのせいで足元が見えないため、ほんの少しの段でも踏み外しかねない。
 そんな中、彼は手だけでなくときには背中にも手を回して、支えてくれた。
 顔を上げれば振り向いて、にっこりと微笑みかけてくれる。手の力強さと、優しさ溢れる微笑みだけで、不安な気持ちが消えていくのだった。

「最初に皇族方にご挨拶をするよ。友人との話をするのはその後だ」
「はい」
 高遠家は公爵家であるし官位は高い。こちらから挨拶に出向くのは宮家に限られる。
 しばらくは緊張の連続だった。
 自分がどう声を出したか覚えていないほどだが、涼月が隣にいてくれるという安心感でなんとか乗り切った。
 ホッとして肩の力を抜いたとき「伽夜」と声がして、首を回すと満面に笑みを浮かべた女性がこちらに向かって来る。親友の杏だ。
「伽夜、やっと会えたわね」
「会いたかったわ、杏」
 杏は、すっかり髪が短くなっていた。耳を隠すような素敵な髪型に「さすがだわ」と感心する。
 昨日雑誌で見たばかりの最新のお洒落だ。
「やっぱり杏は素敵。自慢のお友達だわ」
「伽夜こそ。もう、見違えるように綺麗になって。反則よ」
 お互いにあれこれ褒め合っていると伽夜の腰に手が伸びてきた。
「伽夜、そろそろ紹介してくれないか」
 ハッとして振り向くと涼月が苦笑を浮かべている。
「あ、ごめんなさい」
 慌てて杏を紹介する。軽い挨拶程度だったが、物怖じしない杏も、涼月を前に緊張しているようだった。
 涼月が近くにいた知り合いを話を始めると、杏がこそこそと耳打ちしてくる。
「どういうことよ。仮面の下にあんな美しい顔を隠していたなんて」
 噂では火傷の痕とか痣とか言われていたのだから、杏が驚くのも無理はない。
「西洋の王子様のようだわ。伽夜、あなたは王子様に見初められたお姫様ね」
 杏はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、つんつんと肩を突く。
「自分でも信じられないわ。家同士で決めたとはいえ、本当に私でいいのかしらって」
 今の気持ちを正直に答えた。
 できればこういう華やかな席には参加せずに一年後を迎えたかった。いたのかいないのかわからない謎の妻でよかった。
 だが最初に、舞踏会でダンスの相手をしてほしいと言われたのに今更断れない。

「なに言ってるのよ。伽夜はこの会場で一番綺麗よ! 私が保証するわ、誰がどうみてもお似合いの美男美女の麗しい夫婦だわ」
 絶賛されても、心は冷めていた。彼とお似合いなはずはないとわかっている。
 素敵なドレスと化粧のおかげでいくらか綺麗にはなれたが、あくまでも外見だけのこと。体を流れる〝血〟は、どうしようもない。
 それでも杏の気持ちに「ありがとう」と答え、伽夜は精一杯にっこりと微笑んだ。
「こんばんは、杏」
 いつの間にか杏の隣に背の高い男性がいた。
 涼月と同じくらいの年齢と思われるその人は、癖のある赤毛で、やや目尻が上がるくっきりとした目が特徴的だ。涼月とは別の美しさがある。
「あら、要さんこんばんは」
 にっこりと微笑んだ男性は、ジッと伽夜を見る。
「そちらの美しいご婦人は?」
 杏とは名前で呼び合うほど親しいようだ。
「もう、要さんたら美人には目がないのね。でも彼女は人妻だからだめよ」
 ふいに「わたしの妻ですよ」と涼月が話に入ってきた。
「こんばんは鬼束伯爵」
「ああ、ごきげんよう高遠公爵。――もしや、公爵の新妻でしたか?」
「ええ自慢の妻です」
 涼月もだが鬼束伯爵も高身長ですらりとしている。高いヒールを履いている伽夜よりも、ふたりとも頭一つほど高い。
 涼月が陰ならば、鬼束要は陽ともいえるが、涼月が光ならば鬼束要は闇のよう。真逆のものを連想させる対照的なふたりだ。
 それぞれにずば抜けて美しく、ふたりが向き合うと圧巻だった。
 呆然と見惚れていると、杏が「高遠公爵って案外ヤキモチ焼きなのね」と耳打ちし、忍び笑いをした。
(ヤキモチ? まさか)
 それはないと思うが涼月の様子はいつもと少し違う。
 明らかに鬼束伯爵を牽制しているように見える。
「玉森家の令嬢でしたよね」
「ええ。そうですが、なにか?」
 鬼束は体を涼月に向けたまま伽夜をジッと見る。
「てっきりあなたは萌子嬢と結婚されるものと思っていましよ。――お名前はなんと?」
 これには伽夜自身が答えた。
「伽夜と申します」

「なぜ萌子嬢と思われたのかはわかりませんが、望んだのはまさしく彼女です」
 涼月は伽夜の背中に手を回し、にっこりと笑みを浮かべ伽夜を見下ろした。
 と同時に音楽が鳴り響く。
 舞踏会の始まりだ。
「さあ伽夜、踊ろう」
 ふと見れば、杏は鬼束伯爵と踊るらしい。
 いよいよ緊張のダンスである。
 あれこれ考える余裕はなくなり、伽夜はダンスに集中した。