◆六の巻
 
 
 夕暮れとはいえまだ明るい光を浴びて。伽夜は庭を向き、立っていた。
 ドレスの裾が後ろに長く伸びている。
 ややうつむき加減ゆえに、うなじから細い首筋が際立って見えた。
「ほぉ、お美しいですね」
 軽口を叩かない黒木にしては珍しく、言葉にして伽夜を褒めた。
 彼だけじゃない。涼月が入ってきても気づかないほど、女中達も皆、彼女に見惚れている。
 伽夜が着る初めての舞踏会用のドレスは、紅桜を基調とした明るく可憐なドレスだ。
 バッスルといって腰が大きく膨らむ形になっていて、スカートは白に近い藤色で、よく見れば沢山の小花がついている。
 鎖骨が見えるほど開いた胸元から、細い腰へと細工を施されたレースに包まれていて、伽夜という花が咲いているようだ。
「なんとお美しい」
「本当に、伽夜様はお顔が小さくて首が長いから洋装もよくお似合いですね」
「西洋のお人形のようですわ」
 女中達が口々に絶賛するものだから、伽夜は鳥の羽のついた扇で顔を隠している。
 髪型も特別だ。専門の髪結いを呼び、ドレスに合わせて結ってもらってた。真珠が並んだ髪飾りに合わせ、胸元にも大粒の真珠と宝石が光っている。
 涼月が「美しいな」と声をかけた。
 ハッとしたように振り向いた伽夜は、扇の隙間から目だけを出す。
 彼もまたいつもとは違う艶やかな洋装に身を包んでいた。
 黒の三つ揃いではあるが、襟や袖に煌びやかな銀糸の刺繍が施されている。
「伽夜、隠れていては見えないよ」
 恥じらうように指先を胸元にあてる。着物やいつもの洋装とは違って胸元が大きく開いているのも気になるらしい。
 扇をおろしてごらんと言われて、意を決したように扇を下ろした。
「綺麗だ」
 涼月の声を追いかけるように、再び皆が口々に賛美の声を上げた。
 実際、驚愕するほど美しかった。
 穏やかな弧を描いた眉の下のくっきりとした二重の目は黒目勝ちで、ほんのり塗った頬紅と赤く小さな唇が色の白さを一層際立たせている。
 ホクロひとつ、くすみもない白い肌。
 伽夜がこの屋敷に来たのは桜の季節。八重桜も終わり、今は藤の花に変わっている。
 季節が移ろう間に、蛹が蝶へと変わったような変貌ぶりに涼月は目を見張った。

 しばらくそのまま見つめていた涼月は、ふと我に返ったように伽夜に近づいた。
 ずっと眺めていられると思ったが、いつまでもこうしはいられない。
「さあ、行こう」
「はい」
 差し出した涼月の手に伽夜が手を乗せる。
 車に乗り、ようやくホッとしたように伽夜は身を乗り出して訴えてきた。
「あの、開き過ぎてはいないですか?」
 やはり首回りが気になるらしい。
「西洋の女性はもっと開けている。大丈夫だよ」
 着痩せする伽夜の、意外なほど豊かな胸はしっかり隠れている。ふんわりとしたレースが包み込んでいて、まったく見えない。
 あいにく質感は隠せていないが。
「伽夜、本当に綺麗だよ。間違いなく今夜の舞踏会は君が主役だ」
「そ、そんな」
 泣きそうな顔をするが、事実だ。
 美人と謳われる女性は何人かいるが、今夜の彼女ほど美しい貴婦人は、過去に類を見ない。
「身内びいきはよくありませんよ」
 頬を膨らませて睨む彼女がかわいくてクスッと笑った。
 腕を切られてから十日、毎夜伽夜をベッドに招き入れて一緒に朝を迎えている。
 最初の数日は傷の養生のためなにもしなかったが、傷口が落ち着くとなにもせずにはいられなかった。
 それでもなんとか自制心を総動員して、口づけだけにとどめているが――。
 ふと、胸の中がざわついた。
 それがなぜなのかはわからないが、この美しい伽夜を、ほかの男に見せてはいけない気がするのだ。

「気が重いならやめる?」
 半分本気で聞いてみた。
「行きます。だって、お友だちに会えるんですもの」
「ああ、海棠家の?」
「はい。杏です」
 海棠家は父親が外交官で母も米国に留学の経験がある。ゆえに生活様式も考え方も洋式で、ハイカラな一族だ。杏という娘は働く道を選び、今は貿易会社に勤めている。先頃その会社の重役と話をしたが、杏は真面目で溌剌と働いているらしい。
 当初は華族令嬢のの気まぐれだろうとさほど期待もしなかったようだが、真剣で一生懸命な仕事ぶりに考えを改めたそうだ。
 なるほど真面目な伽夜の友人だけある。
「今日は玉森公爵一家も来ると思うが、俺の後ろに隠れていればいい」
「はい……」
 相変わらず玉森家の話になると伽夜の表情は曇る。
「大丈夫だよ。君はもう高遠家の人間だ。彼らにはなにもできない」
 涼月は伽夜の肩をしっかりと抱き寄せた。