聞けば付喪神はときどき物から抜け出し、丑三つ時の街を歩いているらしい。
ちらりと屏風を振り向いたが、付喪神がいる気配はない。
姿は見えなくても、いるときは気配がする。息づかいのようなものを感じるのだが、今はまったく感じなかった。
夜行に出掛けたのか。
(私とよく似た匂いの人……)
会ってみたいと思った。
付喪神に連れて行ってもらおうか、でもどうやって?と、考え込んだとき。
「伽夜」
涼月の声がした。
「はい?」
慌てて上半身を起こし、扉へと急ぐ。
開けると涼月が立っていた。
寝間着を着ているので腕の傷は見えない。
「眠くなければ、俺の部屋で少し話をしないか?」
「は、はい」
涼月は怪我をしていない右手を伽夜の背中に回し「心配かけてしまったね」と眉尻を下げる。
「いえ、それよりも傷のほうは?」
「血は止まった。べったりと薬を塗ってもらったし、痛み止めを飲んだからもう大丈夫だよ」
涼月の部屋に入るのは、祝言を挙げた夜以来だ。
南の大きな窓から月の光が入っていてテーブルや椅子を照らしている。
そういえばあのときも満月の夜だった。
月の光を浴びながら口づけを交わしたあの夜が、とても遠く感じ、切ない気持ちとともに瞼を伏せる。
窓を開けた涼月は、小さなテーブルの上にあるキュウリをとり、伽夜に差し出した。
「今日は河童がいるようだ」
「え、河童?」
慌てて池を見下ろしたがなにも見えない。
涼月は「見ていてごらん」とキュウリを半分に折り、池に向かって投げた。
キュウリが池に落ちる手前で、中から飛び出してきたなにかがキュウリを掴み、池のほとりで丸くなる。
月明かりなので色までははっきりわからないが、猿のように小さい。
そして頭の上に皿があり中の水が月を映している。月は半分雲に隠れていて、形はいびつだ。
初め見る河童は予想に反して少しも怖くはなかった。それどころか懐かしい気さえした。
「投げてごらん」
わくわくしながらキュウリを折り、ポンと投げた。
すると別の河童が出てきて、さっきと同じようにキュウリを掴み池の縁に出てくる。
河童は並んでキュウリを食べ、涼月が残りのキュウリを投げると縁に座っている河童が飛びついて、伽夜も投げるともう一匹がキュウリを受け取った。
月が完全に雲から出ると、河童たちは池の中に消えていく。
そのとき、「くぅー」と高い鳴き声のようなものが聞こえた。
「今のは?」
「河童が礼を言ったんだろう」
「かわいい」
河童のおかげで、塞いでいた気持ちが晴れた。
そしてなにより元気そうな涼月に会えたのがうれしい。
これでぐっすり眠れそうだと心が軽くなる。
「伽夜、今夜はここで一緒に寝よう」
(えっ……)
思いがけない誘いにトクンと心臓が跳ねる。
「この腕だからなにもしないよ、伽夜を抱いて寝れば気が和む」
うれしかった。
(気が和む……。そう思ってくれるのですか?)
断る理由などなく、涼月に手を引かれて伽夜は一緒にベッドに入った。
涼月のベッドは大きい。大人が三人並んで寝ても、余裕なほどだ。
枕を背もたれにするようにして上半身を起こし、横になった涼月は、怪我をしていない右腕で、伽夜を抱き寄せた。