今朝から空は雲もなく晴れ渡っている。絶好の散歩日和だ。

 外に出ると、涼月の手が伸びてきて伽夜の手を取った。
 彼に触れるのは初夜の夜以来である。
 長い指に手をすっぽりと包まれて、伽夜の胸はドキドキと高鳴ってくる。心臓の音が手から伝わってしまうんじゃないかと、俯いてもじもじしてしまう。

「夕べは随分賑やかだったね」
「あっ、すみません。うるさかったですか?」
 付喪神の声が、まさか部屋のそとまで聞こえるとは。
 涼月が妾のところに通っているという話を彼に聞かれてしまった?と焦ったが――。

「いや、階段を上がったときに、ガサガサした声が聞こえてね」
「ガサガサ?」
「付喪神の声は、人間の声の響きとは違う。少し離れると、物が (きし) んだような音に変わるんだ」
 そういえば、ときどきほかの部屋から木が軋むような音が聞こえるときがある。古い家だからと思っていたが、付喪神が話しているのかもしれない。

「それにしても賑やかだったが、なにかあったのか?」
「夕べは付喪神が言い争いをしてしまって」
 しょうがないなと、涼月は溜め息をつく。

「眠いだろう」
「はい。少しだけ……」と、正直に答えた。
「やつらを部屋から移動させよう。注意しておけばわざわざ起こしにはいかないから」
 驚いて涼月を振り向いた。
 付喪神は涼月を慕っているようだが、それ以上に恐れている。彼を本気で怒らせたら消されてしまうというのだ。
「私は大丈夫です。お話は楽しいですし、このままいていただきたいです。私が寝ると静かにしてくれるんです。夕べはたまたま私の寝付きが悪くて」
 涼月は表情を曇らせる。
「だが伽夜の体が心配だ」

 満開の八重桜の下。彼は両手で伽夜の頬を包んだ。
「疲れているように見える」
 顔が近い。高い鼻が触れそうだ。
 少し落ち着いたはずの胸が再び高鳴り、 榛色の瞳に吸い込まれそうになる。

「伽夜? 君は、付喪神にまで気を使っているんじゃないのか?」
「い、いいえ。そんな――」
 プルプルと頭を振った。
 付喪神は人にはわからない古い話や、あやかしの話をいろいろ教えてくれる。
 フミがこの家に来る前は、付喪神にしか心を開けなかったといっていい。伽夜にとって今や大事な存在である。
「付喪神がいてくれないと寂しいです」

 涼月は少し困ったような顔で溜め息をつく。
「ならいいが……」
「あの……。涼月さんの部屋に付喪神はいないのですか?」
 初夜の夜、彼の部屋ではなんの気配も感じなかった。
 もっともそんな気持ちの余裕もなかったが。

「いない。というか置かない。用事があれば向こうから部屋に来るからね」
 はらりと落ちた花びらが、伽夜の髪に落ち、涼月が指先で摘む。
 その花びらを、ふぅと吹くと、キラキラと輝き消えた。

 普通じゃないものたちと、普通じゃない庭と。この屋敷は不思議が溢れている。
 なのに彼は『いない。というか置かない』と、距離を置く。
 存在を認めてはいても、心は許さないということか。
 まるで自分が突き放されたような気がして、心がチクリと痛んだ。

 ふいに付喪神の言葉が脳裏に浮かぶ。
『ほれ、今日はあやかしの血の匂いをさせておらぬ』
 あやかしではなく、ほかの用事。
 妾……。
 通う女性は恐らく、〝普通の人〟なんだろう。自分のように、あやかしが見えたり付喪神とも話をしたりはしないに違いない。

 なんとなく、そう思い、伽夜は瞼を落とした。