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夕食まで、伽夜は涼月に誘われて庭園を散歩した。
キクヱが案内してくれたときと違うのは、どのあたりにどんなあやかしがいるかの説明がある。
「この池にはときおり河童がでる」
「河童?」
見たいような見たくないような。
「いたずら好きだから、水を掛けられるかもしれない」
激しいのか、ちょっとなのか。
涼月の穏やかな表情からは、どんなふうに水をかけられるのか想像できない。
「河童は大きいのですか?」
付喪神以外は座敷童しか見ていないから、大きいとちょっと怖い気もする。
「大きいのも小さいのもいるな。だが猿くらいの大きさがほとんどだな」
なるほど、ときどき二階から覗いて見てみよう。
暗いから見えないとは思うが。
「あやかしは、どこにでもいるのですか?」
「居心地がよければ居着いたりする。ここは何百年も変わらない庭があるから、居やすいのだろう」
なるほどと思いながら、そういえばと思い出した。
伽夜がまだ小さくて祖父母が元気だった頃、玉森家にも和風庭園かあった。
なにか気配を感じてキョロキョロ見回すと、祖母が『気づかないふりをしてあげなさい』と言ったような気がする。
そのときは意味がわからなかったが、もしかすると祖母にはあやかしが見えたのかもしれない。
「玉森の家にも河童がいたのかもしれないのですね」
「そうだな。今はともかく、池があるならおそらく」
玉森の庭は祖母が亡くなってから年々変わっている。西洋ふうに作り変えた今の噴水がある池も、以前は錦の鯉が泳ぎ苔むした石があった。
祖母の口ぶりから、あやかしはいたはずなのに。
「覚えていないのが残念です」
涼月は伽夜を振り向いた。
「両親については、どんなことを覚えている?」
「母の笑顔や声は。でも父は漠然としているのです。温もりは、その感触や温度まで思い出せるのですが……」
穏やかな日々だったと思う。
でも、どんなふうに母が衰弱したのか。
亡くなったときはどうだったのかわからない。
「母が病床についてからの記憶はほとんど覚えておりません。父は『伽夜』と呼び、ずっと私に寄り添ってくれていたのは違いないのですが」
父がどんな顔をしていたのか。まったく覚えていないのだ。
ふいに涼月が伽夜の背中に手を回した。
「幸せだったんだな」
彼の優しい微笑みに、伽夜はじんわりと胸が熱くなる。
「はい。とても幸せでした」
夕食まで、いったん部屋に戻るとフミが顔を出した。
キクヱやほかの女中と同じ白い前掛けをつけていて、表情はとても明るい。
「どう? やっていけそう?」
「もちろんですよ、お嬢様。あちらのお邸よりも待遇もいいですし、皆さんいい方ばかりで」
「よかった」
フミも仮面を取った涼月に驚いたらしい。この世のものとは思えない神々しさだと興奮気味に言った。
「私もさっき初めて素顔を見せていただいたのよ」
「キクヱさんも驚かれていました。これまで夜しか外されたことがなかったそうですから」
「そうなのね」
だとすると特別なのか。
仮初めの結婚式は彼にとっても、なにかしら意味があるのかもしれない。
「お嬢様も、これからは奥様とお呼びしなければいけませんね」
フミはにっこりと微笑む。
奥様なんて嫌だと言いたいが、そういうわけにもいかないのだろうか。
「全然実感がないの。奥様じゃなくて伽夜でいいわ。なんだか恥ずかしくて」
頬を染めて伽夜はうつむく。
「では、こうしてふたりでいるときは伽夜様とお呼びしますね」
「ありがとう」
それだけで随分気が楽になる。
「キクヱさんに聞きましたが、ご主人様は随分とお忙しいそうですね」
「そうなの。今日は特別に一日お家にいらっしゃるけれど……」
正直ちょっと寂しい。
でも寂しいなどと贅沢なわがままを言ってはいけない。なによりも玉森家にいた頃と比べたら、すべてがありがたいのだから。
「お忙しいのに、いろいろ気にかけていただいて」
伽夜はフミの手を取った。
「夢みたいよ」
まさか、こんなふうに受け入れてもらえるとは思わなかった。
「伽夜様……。そんな、当然ですのに」
フミは涙を堪えるように唇を噛み、大きく息を吸ってにっこりと微笑んだ。
「さあ、伽夜様、夕食前にお着替えをしましょう」
「え? これではダメなの?」
フミは持ってきた手桶に水を注ぐ。
「今日はあちこちお出かけになられましたでしょう? お洋服に埃がついてしまいましたし。さあどうぞこちらで、まずは手を洗ってくださいな」
高遠家のしきたりというわけではなく、玉森の叔母もいつもそうしていたとフミは教えてくれた。
公爵令嬢でありながら、伽夜は華族のあるべき姿を知らない。
「高遠家のしきたりについては、キクヱさんによく聞いておきますね」
「ありがとうフミ」