エクレアが乗っていた皿が、空になったのを見届けて声をかけた。
「高遠の話の前に、君は異能についてどんなふうに聞いている? 玉森家もかつては異能のある一族と聞いているが」
どこまで自覚しているのか、まずは軽く聞いてみた。
「子どもの頃、祖父母から聞きましたのは、玉森家の異能とはあやかしと交流ができたというお話でした。普通の人ならば見えないはずのあやかしが見えて、会話もできたそうです」
怖くないのかと伽夜が聞くと、祖母は『あやかしは怖いものばかりではないのですよ』と答えたという。
「あやかしたちは玉森家の異能がある者を〝狐〟と呼んだそうです。祖母が申しますには、ご先祖さまに九尾の狐がいたと。ですが、証拠になるものはありません。先の混乱のときに、処分されたのだと言っておりました」
先の混乱とは、異能の者が迫害された時代だろう。
だが、そういった物は簡単に処分したりしない。処分したと偽り隠したのだ。
現に残っている。
「証拠なら、君のお祖母様が遺したあの白い着物がそうだろう」
「えっ、そうなのですか」
伽夜は目を丸くして驚いている。
そうか。伽夜は知らなかったのか。
てっきり知っているものかと思っていたが、そうではないらしい。
「伽夜はこれまで異能を感じたことはないか?」
「はい。ございません。あやかしは見えませんし、声も聞こえませんでした。こちらに来て初めて付喪神の声が聞こえて話をしました」
なるほど、と涼月はうなずく。
「この屋敷にあやかしは多くいる。夜になると様々なあやかしが庭で遊ぶ。いたずら好きではあるが、人に危害は加えない。もし見えたり話をしたりしても問題はない」
伽夜は目を丸くした。
「そうなのですね。どおりで……」
「なにかあったか?」
「先日話し声で目が覚めて、窓を開けて庭を見下ろしたのです。すると苔があちこち光って。笑い声がしたのです」
「ああ。それはあやかしだな。苔が好きなのだ」
「そうでしたか」
にっこりと笑みを浮かべる様子から、まったく怖がっていないのが見てとれた。
異能がないごく普通の人間でも物音は聞こえるし、なにかの拍子に姿を見る。
あやかしどもは気に入らない人間を脅かしたりするため、この家に合わない使用人は数日の内に辞めていく。怯えて辞めていった者が流した噂により、化け物屋敷と呼ばれるようになった。
屋敷のあやかしどもが嫌う人間はおしなべて心が卑しく汚れている。そういう者達は邪気を呼ぶのだ。
高遠家に棲むあやかしは、邪気をまとうあやかしを嫌う。
ひとくちにあやかしと言っても、いろいろなのだ。
「高遠家にも異能があると聞いているだろう?」
「はい。女学校で噂をお聞きしました。平安の都で悪いあやかしを退治した陰陽師さまの一族だと」
女学校の噂と聞いてかすかに苦笑したが、あながち間違ってはいない。
「ああ、そうだな。それゆえ先の混乱のときでも、高遠家はそれほど責められなかったようだ」
逆に玉森家は大変だったと聞いている。
多くの使用人は辞めていき、物を売ってもらえず、倍の価格を請求されたりしたという。
その時期に三分の一ほどの資産を無くしたはずだ。
「だが陰陽師としての力は一つの側面に過ぎない。一族の者しか知らないが、君はもう高遠の一員だから教えておこう。我が一族の異能は天狗だ」
「え? 天狗」
「そうだ」
天狗にもいろいろいるが、総じて魔力が強い。
鬼や九尾の狐と違い、天狗は歴史上、人と戦って一度も負けていない。
高遠家の先祖は、あやかしの中でも最強といわれる大天狗である。
だが、そこまでは口にしなかった。
「陰陽師さまと天狗さま……」
伽夜は首を傾げる。
それもそのはず、相反するはずの関係だ。
「天狗には悪鬼を退治するという力がある」
納得したらしく「ああ、そうでございました」と伽夜は破顔した。
魔除けとして天狗を祀った神社が多くあるのを思い出したのだろう。
大天狗の力には、ほかにも人心を惑わすというものがある。人の心が見れる涼月にはそれができる。やらないだけで。
今それを伽夜に教える必要はない。
「そういうわけで、悪いあやかしはこの屋敷に入ってこれない。安心するといい」
「わかりました」
「これから伽夜は必ず昼寝をしなさい。女中には言っておく」
訝し気な彼女に北側の壁にある屏風を指さした。
小さな子どもの形をした座敷童がひょっこりと顔を出している。
「あっ」と声をあげた伽夜の目にも見えたはず。
「付喪神はだいたい、日中は鳴りを潜めている。今のように顔を覗かせてもおとなしいが、夜の帳が落ちるとともに活発になる。付喪神やほかのあやかしが話しかけてきたり、あまりよく眠れないかもしれないからね」
やつらは伽夜に興味津々だ。
結婚したのを見届けて、今後は遠慮なく、今の座敷童のようにしばらくはついてまわるだろう。
「あの、お屋敷のあやかしが見えるのは、涼月さん以外だと、どなたが」
涼月は左右に首を振る。
「基本的にはいない。なにかの拍子で見えたりする程度だ」
あやかしと交流できるのは高度な異能なのだが、伽夜はわかっていない。
自分の力がどれほど特別なものか、少しずつ教えなければ。
「だが、いるのは皆知っている。付喪神がときどき音を立てたり物を動かしたりするからね」
ほかにもいろいろと話はある。
高遠の祖父母や両親がどんなふうに亡くなったかも、いつかは聞かせなければ。
「異能をもつ者は高遠一族に数人いる。皆、京都にいるのでいずれ紹介しよう」
高遠家以外の異能がある者達は鹿鳴館で会ったときにでも教えればいい。
そのとき伽夜の異能が明るみにならなければいいが……。